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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第二部 名のない戦場たち
35/53

動いた刃

 中立通信回線が、三十分後に開いた。

 クラリッサの確認応答が、ミリアの端末に届いた。

 ── 同盟軍側の応答、待ちです。

 短い間。

 ミリアの端末の表示が、一度、点滅した。

「同盟軍側、応答……来ました」

 レオンは通信卓の前に立って、ヘッドセットを着けた。

 短い沈黙の後、声が届いた。

 穏やかで、年齢を感じない声だった。だが、その奥に、長い指揮の経験が薄く沈んでいる声だった。

 アレクサンドル・ヴェガ提督。

「クラウゼン少佐。久しぶりだ」

「ヴェガ提督。お久しぶりです」

 ヴェガが先に話した。

「君が、対話を要請してくるとは思わなかった」

「私もです」

 短い沈黙。

「公開した救難信号は、罠だ」

 ヴェガが言った。

「承知しているか」

「承知しています」

「それでも、応答するのか」

「応答します」

 もう一度、短い沈黙。

 ヴェガの声には、少しだけ、感情の色が乗った。理解できる、というニュアンスの色だった。

「私の指揮日誌に、君のことを書いた」

「は」

「『応答の側に立つ男だ』と」

「そうでしたか」

「もう一行、書いた。『世論が動けば、彼の特性は脆さに変わる』」

 レオンは応えなかった。

 通信卓の向こうで、ミリアが、別の表示を進めていた。囮部隊と同盟軍前衛の接触が始まっていた。

 ヴェガは続けた。

「読まれていた、ということだ」

「ご明察です」

「読まれていただけではない。これから、書かれていることが利用される」

「利用される、というのは」

「世論だ」

 ヴェガの声は、感情を一度、引いた。理性的な、ただの説明の声に戻っていた。

「君の国の貴族院は、君が応答するかどうかを聞いている。応答すれば、君は『敵の罠に飛び込む男』と書かれる。応答しなければ、『救難を見捨てる男』と書かれる。どちらでも、君の立場は弱くなる」

「ご明察です」

「君は、どちらを選んだ」

「私は、選んでいません」

 短い沈黙。

 ヴェガの声が、また少し動いた。今度は、軽い驚きの色だった。

「では、何を」

「順番を、組み直しました」

 もう一度、沈黙。

 通信の向こうで、ヴェガが短く息を吐く音が、聞こえた。

「二段ではなく、二つに、か」

「ご明察です」

「囮と、本隊」

「ご明察です」

「《リベルテ》、中央」

「ご明察です」

 ヴェガが、薄く笑った。今度は、皮肉ではなく、感心の笑いだった。

「君は、対話を要請しながら、その間に、本隊を私の前衛の外に通している」

「対話そのものが、想定外の手です」

「分かる」

 短い間。

「クラウゼン少佐」

「は」

「君に、一つだけ、訊きたいことがある」

「は」

「君は、なぜ応答する」

 レオンは、通信卓の星図を見ていた。星図の上で、囮部隊と同盟軍前衛が、軽い砲戦の距離に入っていた。本隊は、低温粒子流の影の中で、民間船団の発信源に近づいていた。

 彼は、ヘッドセットの向こうに、答えた。

「応答があるところから、まだ人間が生きているからです」

 沈黙。

 長い沈黙ではなかった。だが、短くもなかった。

「分かった」

 ヴェガは、それだけ言って、通信を切った。

     -

 民間船団との合流は、本隊の側で進んだ。

 民間船団二十隻は、すでに半分以下に減っていた。発信源の周辺で、低温粒子の影響と、同盟軍前衛の威嚇射撃を受けて、いくつかの船が機関停止していた。

 オットー・ヘルマは、年配の男だった。古い船長服の上に、毛布を巻いていた。痩せていた。だが、姿勢は崩れていなかった。

 レオンが《リベルテ》の通信卓経由で接触した時、彼は短く名乗った。

「ヘルマだ」

「クラウゼン少佐です」

「軍が来てくれたか」

「来ました。順番を組みます」

 ヘルマは、自分の指揮船の通信卓に手を置いていた。彼は、少し迷ってから、言った。

「公開信号を出すように、求められた」

「は」

「相手は、同盟軍と名乗らなかった」

 短い間。

「我々は、生きるためにそれに従いました」

「了解しました」

 レオンはそれ以上、問わなかった。

 救出シーケンスは、これまでの救出と同じ手順で組まれた。重傷者を《エルベ》の医療区画へ。低温被害の重い者を毛布と暖房付きの輸送艇で。軽傷者と若年者を《リベルテ》に。

 全員の収容には、約十時間かかった。

 その間、囮部隊は同盟軍前衛との軽い砲戦を継続していた。ハルトマンの《ヴァイス》は、先端の前衛艦の進路を切る位置で、応射のみを続けていた。同盟軍前衛は深追いをしなかった。

 ユーンの観測網が、その理由を捉えていた。

「敵前衛、深追い中止の命令を受領」

「指揮系統は」

「ヴェガ提督から直接」

 レオンは応えなかった。

 ヴェガは、対話の後、自分の艦隊に深追いを止める命令を出していた。

     -

 収容完了の時点で、民間船団二十隻のうち、約十五隻が機関停止のまま放棄されていた。

 搬出二千五百名。重傷四百名。死亡確認百名。

 第七支援隊損害、軽傷六名のみ。戦死なし。

 囮部隊は、本隊の収容完了後、距離を取って撤退した。同盟軍前衛は深追いせず、互いに観測距離で離れていく形になった。

 帰投航路に乗った時、ミリアは報告書草案を提出欄に移していた。タイトルは「青縁外、民間救難応答」と書かれている。「補給支援作戦」ではなかった。今回は、補給ではなかった。

 末尾の追記。

 ── 搬出二千五百名。死者百名。重傷四百名。

 ── 民間船団指揮、オットー・ヘルマ。

 ── 救難信号は民間通信路経由で公開された。発信を求めた相手は、同盟軍と名乗らなかった、と現地指揮の証言あり。

 ── 第七支援隊、敵艦撃沈なし。

     -

 帝都郊外、第十七司令施設。

 帰投の翌朝、グライフ大佐からの内線が入った。

「文書回答、十時に提出した」

「ありがとうございます」

「聴聞の場で、ヘルダーがお前の文書を読み上げた」

「貴族院の反応は」

「半分は、お前の応答を『罠への飛び込み』として批判した。半分は、黙っていた」

「分かりました」

「だが、エーベルハルト伯爵が、その批判を引き取った」

「引き取った、というのは」

「『次回に持ち越す』と伯爵が宣言した」

「了解しました」

 通信の向こうで、グライフは紙の音を立てた。

「お前を直接処分する材料が、まだ揃っていない、という意味だ。だが、伯爵は次の手を準備している」

「ご明察です」

「ヘルダーが、次の聴聞要請を作っている。期日は、おそらく一か月以内」

「了解しました」

「あの男は、お前を疲れさせる、と前に言った」

「覚えています」

「疲れさせる、の次は、削る、だ。一つずつ、お前の判断を細らせる」

「想定の範囲です」

「想定するな。準備しろ」

「順番でいきます」

「お前らしい」

 グライフは短く笑った。

「クラウゼン」

「は」

「もう一つだけ」

「は」

「中立通信回線の使用記録、こっちで処理した。外務省も、監察局も、お前の今回の対話は『敵側の戦術評価のための情報収集』として記録する」

「ありがとうございます」

「お前の方の見方は」

 短い間。

「呼ばれた方から、行きます」

 通信の向こうで、グライフは黙った。それから、もう一度、短く笑った。

「お前の整え方は、いつも数字だ」

「他の整え方を、知りません」

 通信が切れた。

     -

 同盟軍旗艦オルトリーヴ

 アレクサンドル・ヴェガは、自分の私室で、自分の指揮日誌を開いていた。

 日誌の前のページには、ザールクヴェル後に書いた一行が残っていた。

 ── 撃つ局面でも、撃ち方を選ぶ男だ。(マルコ・セヴリーノ大佐の指揮日誌から、写し)

 その下に、氷晶宙域北側のあとに書いた二行。

 ── 応答の側に立つ男だ。

 ── 世論が動けば、彼の特性は脆さに変わる。

 ヴェガは、新しいページに、もう二行、書き加えた。

 ── 応答の側に立つ男だ、と書いた。だが、彼の応答は、数字の中にある。世論ではない。

 ── 次は、教科書ではなく、彼の数字を相手にする必要がある。

 彼は日誌を閉じた。

 星図の上で、雪線群以南の青の縁、その向こうに、自分の艦隊の本隊が、ゆっくりと集結を始めていた。前線寄りの位置に。

     -

 帝都郊外、第十七司令施設。

 レオンは執務机の前で、内ポケットの紙を、一度確認した。

 古い損耗予測表、子供の字の手紙、ヤン・コルベの配線図。そこに、もう一枚、新しい紙が加わっていた。ミリアが書き起こした、ヴェガとの対話の記録の写しだった。

 短い対話だった。十分にも満たない時間の対話。だが、その十分は、彼の机の上の数字を、少しだけ、別の方向に揺らしていた。

 ミリアは通信卓の前で、分散観測網の最新の表示を進めていた。

 北方戦域の星図の中で、雪線群以南の青の縁、その向こうに、複数の赤い艦影が、ゆっくりと、近づいてきていた。

「ヴェガ提督の本隊、前線寄りに移動中」

 彼女は言った。

「規模は」

「同盟軍の中規模艦隊が、複数方面から集結の兆しを見せています」

 レオンは星図を見ていた。

 彼の机の上の数字は、これまでと違う方向に動こうとしていた。これまでの第七支援隊の任務は、小規模な救出と補給線維持が中心だった。中規模艦隊が複数方面から集結している、という観測は、それを変える兆しだった。

 彼は内ポケットの紙を、もう一度、指で確認した。

 古い損耗予測表。子供の字。ヤン・コルベの配線図。ヴェガとの対話の記録。四枚は、いつもの順番に、いつもの位置にあった。

「呼ばれた方から、行きます」

 彼はそれだけ言った。

 ミリアは小さくうなずいて、観測網の表示を進めていった。

 星図の上で、赤い艦影は、まだ、ゆっくりと近づいていた。


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