公開された救難信号
今日が、聴聞の日だった。
リンザル前進基地からの帰投から、数日。聴聞要請を受けてから、ちょうど十日が過ぎていた。
レオン・クラウゼン少佐は、その朝、第十七司令施設の執務机の前にいた。
軍務省内、ヘルダー大佐主催。案件は、貨物船の放棄と、氷晶宙域北側への作戦命令の越権の有無。
レオンは出席しない。文書回答で対応する。整えはマティアス・グライフ大佐に任せていた。
グライフからの内線が、十時の少し前に入った。
「文書回答、こっちで整えた」
「ありがとうございます」
「お前の応答は、概ねそのままだ。事実関係に絞った。整えすぎると、刺さらん」
「了解しました」
「十時に提出する」
通信が短く切れる前に、グライフはひとこと加えた。
「お前の方は」
「は」
「今日、何かあるか」
レオンは星図を見ていた。
通信卓の前で、ミリア・エーレンベルク中尉が、分散観測網の更新を進めていた。北方戦域、青の領域の縁。雪線群以南。
その縁の少し向こうに、赤い艦影が一つ、はっきりと止まっていた。
「ヴェガ提督の旗艦が、前線進出を確認しました」
ミリアが言った。
「規模は」
「本艦のみ確認。本隊は、まだ後方です」
「いつ動きました」
「夜のうち、少しずつ。前進完了は、二時間前」
「了解」
レオンは通信卓のもう一つの端末を開いた。後方の観測拠点、サイラス・ユーン所長との並行通信が、薄く開いている。
ユーンの声が、回線の向こうから、いつもの通り、不機嫌そうに聞こえた。
「私の予測通り、彼は動いた」
「予測の根拠は」
「ない。だが、観測者として三十年やっていれば、敵の頭が動く前に、姿勢が動く時がある」
「三十年です、というのは、別の方からも聞きました」
「ヘフナーか」
「ご明察です」
「あの男は、機材の話で同じことを言う。私は、敵将の話で言う」
ユーンは咳ばらいを一つしてから、続けた。
「観測網に、ヴェガ提督の動きを取り込んだ。前線寄りの艦影、本艦のみ。だが、彼の艦が動く時、本隊は、いずれ動く」
「分かるところまでで結構です」
「結構」
通信は薄く開いたままにして、別のチャンネルに移る。
グライフがまだ通信を切らずにいた。
「お前の方、何かあるか」
レオンは答えた。
「あります。ですが、まだ詳細が決まっていません」
「分かったら、知らせろ」
「了解しました」
通信が切れた。
その直後、通信卓のスピーカーが、別の音を流し始めた。
救難信号だった。民間通信路経由。声は機械的だが、内容は人間の声で挿入されていた。
── こちら、民間船団二十隻。指揮、オットー・ヘルマ。位置、雪線群以南、青の縁を超えた宙域。避難民、約三千。被害多数。救援を要請する。
-
ミリアが信号の解析を進めるのに、それほど時間はかからなかった。
彼女が並べた数字は、いつものように淡々としていた。
「発信源、青の縁の少し向こう。我が方の防衛範囲外」
「同盟軍の支配域に近いですか」
「近いです。同盟軍前衛の観測網には、確実に入っています」
「信号の周波数帯は」
「民間通信路の標準帯。同盟軍も帝国も、貴族院も、観測員のいる場所ならどこでも傍受できます」
「公開、ですか」
「完全に公開されています」
レオンはミリアの端末の表示を見ていた。
救難信号は、十六秒ごとに同じ内容を繰り返していた。場所、規模、被害、救援要請。すべて、明示的に書かれている。
「これは、罠ですね」
彼は言った。
「罠であることを、相手も承知の上で出しています」
ミリアの声には、感情の色は薄かった。だが、その下に、何かが沈んでいた。
通信卓の別のスピーカーから、グライフの内線が再度入った。声には、いつもの皮肉が、いつもより薄かった。
「お前の方の『何か』、確認した」
「は」
「貴族院の何人かが、この救難信号を聞いている。お前の艦隊が応答するか、しないか、を見ている」
「了解しました」
「文書回答、もう提出した。だが、お前の今の動きは、次の聴聞要請の材料になる」
「分かっています」
「応答するのか」
「応答します」
「分かった」
グライフは短く息を吐いた。
「気をつけろ。あの男は、お前を読んでいる」
「読まれている前提です」
「分かっている」
通信が切れた。
-
《アルゲン》指揮所。
レオンは、編成表を端末の上で広げた。
通信巡洋艦、駆逐艦、駆逐艦、駆逐艦、補給母艦、駆逐艦、駆逐艦。それに、外接岸にちょうど着いた民間船。
ノア・カザンが、グライフの内線が切れた直後に、自分の船で着いていた。修理代の交渉が、外務省と監察局の間で、ようやく一時的に決着していた。軍指揮下に再編入されるための書類は、未提出のままだったが、ノアは「整うまで待たない」と言って、出てきていた。
「氷晶の時と同じ手か」
ノアは指揮所に入ってくると、まず星図を見て、それからレオンに訊いた。
「いいえ」
レオンは答えた。
「今回は、二段ではなく、二つです」
「分かった」
ノアはそれだけ言った。
レオンは編成表の艦影を、二つの色に分けた。
「囮部隊。駆逐艦、ハルトマン大尉指揮。駆逐艦、駆逐艦」
ハルトマンの応答が、《ヴァイス》から返ってきた。
「《ヴァイス》、囮部隊指揮、了解しました」
「応射のみ。距離維持。沈めません」
「沈めない、了解」
ハルトマンの声には、いつもの平坦さがあった。
「本隊。通信巡洋艦、駆逐艦、補給母艦、駆逐艦。それと、民間船」
ノアが頷いた。
「私の船は、先導か」
「いえ。今回は中央です。民間船として、目立たない位置で」
「分かった」
「修理代の話は」
「また後でな」
ノアは短く言って、自分の船に戻る通路に向かった。
レオンは指揮所に残ったミリアに、最後の指示を出した。
「ユーン所長との並行通信、開けたままに」
「はい」
「中立通信回線を、別目的で開く手続きを、クラリッサ参事官に確認してください」
ミリアは少しだけ、顔を上げた。
「別目的、というのは」
「敵将との対話です」
ミリアは、それ以上は問わなかった。
-
第七支援隊は、二つの艦列に分かれて、青の縁に向かった。
囮部隊の三隻は、星図の上で目立つ位置に進んだ。同盟軍前衛の観測網が確実に拾える経路。前衛艦の機動を引き寄せる位置。
本隊は、別経路で接近した。低温粒子流の影、廃止された商業航路の残骸帯、軍用観測網に乗らない経路。ノアの《リベルテ》が中央に置かれている。同盟軍前衛の観測網が「民間船」として処理する可能性に賭けた配置だった。
ユーン所長との並行通信が、薄く開いたまま、観測網の更新を流し続けていた。
「敵主力、青の縁の手前で停止。前衛だけが救難信号の宙域に展開しています」
ユーンの声は、いつもの不機嫌だった。
「彼自身は、出てきません」
「彼の艦影は、確認できます。だが、彼の前衛とは離れた位置です」
「離れた、というのは」
「指揮系統が、前衛と本艦で分かれている。前衛の指揮はセヴリーノ大佐です。本艦はヴェガ提督」
「了解」
レオンは通信卓に視線を移した。
「対話の準備をします」
「対話、というのは」
ユーンが応じた。
「敵将と、です」
ユーンは短く笑ったらしかった。皮肉だった。
「観測者の出る幕ではないな」
「観測の続きは、お願いします」
「結構」
別の通信が、次に開いた。
クラリッサ・フォン・ヴァイト参事官だった。声は涼しく、いつもの通り、視線が見える気がする声だった。
「捕虜交換用中立通信回線、別目的で開ける手続きを確認しました」
「ありがとうございます」
「目的は」
「敵将との対話です」
「分かりました。手続きをします。三十分以内に開けます」
通信が切れた。
ミリアは通信卓の前で、その三十分を計りながら、囮部隊と本隊の進捗を並べていた。
星図の上で、囮部隊の三隻が、同盟軍前衛と接触距離に入っていた。
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