二つの戦場
補給航路は、二つに分けた。
主航路は、第七支援隊本隊と軍補給船二隻が、目立つ位置で進む。同盟軍前衛は、補給船団が来ることを知っている。航路の中盤で待ち伏せる構えを取っていた。その待ち伏せに、こちらの主力を見せる。
副航路は、民間徴用船三隻が、観測網に乗らない迂回経路で進む。
迂回経路の元になったのは、ノア・カザンが氷晶宙域北側の救出時に提供した、軍用観測網に乗らない経路の知識だった。ミリアが、その情報を整理して、リンザル方面の地形と粒子流データに重ねていた。
ノアは今回は契約外だった。《リベルテ》の修理代の本格交渉が、外務省と監察局のあいだで進行中で、軍指揮下への一時編入は手続き上、宙に浮いていた。
だが、ノアが残した航路情報は、ノアが不在でも、地図の上で動いた。
「副航路、ノアが残した航路情報を適用しました」
ミリアが言った。
「経路、確認しました」
「同盟軍前衛から、副航路は見えますか」
「観測網には乗らない経路です。粒子流の影と、廃止された鉱山航路の残骸帯を組み合わせています」
「了解」
レオンは通信卓に指示を出した。
「主航路、《アルゲン》《ヴァイス》《エルベン》《ヴェルダ》。前衛は《ヴァイス》。応射のみ、距離維持」
ハルトマンの《ヴァイス》から、応答が返ってきた。
「《ヴァイス》、配置完了。応射のみ、距離維持。了解」
「《カラヴェル》、副航路待機。民間徴用船三隻、護衛」
「《カラヴェル》、了解しました」
「《エルベ》、主航路中央。軍補給船二隻、随伴」
「《エルベ》、了解」
星図の上で、艦影が二つの航路に分かれていった。
主航路は、補給線に対して標準的な防衛位置を取った。同盟軍前衛は、その配置を確認したらしかった。観測艦の動きが、こちらの艦影の方に集中している。
副航路は、星図の中で薄い灰色の帯の中に入っていった。粒子流の影、軍用観測網の外側。同盟軍観測艦のセンサーは、その方向には向いていなかった。
レオンはその二つの航路を、《アルゲン》指揮所の星図の上で並べて見ていた。
「読まれていますが、二つあることは、読まれていません」
彼はそれだけ言った。
ミリアは応えなかった。代わりに、副航路の進度を更新する手を続けていた。
-
主航路の途中で、同盟軍前衛との接触があった。
観測艦と武装艦が、補給船団の進路を切る位置に出てきた。砲戦の距離まではまだ間があるが、こちらの応答を試す動きだった。
ハルトマンの《ヴァイス》が、応射のみで対応した。《エルベン》《ヴェルダ》は《エルベ》の側面を維持していた。
レオンは砲戦の規模を最小限に抑えた。沈める指示は出さなかった。応射の弾数も限定した。
接触は短かった。同盟軍は深追いをしなかった。包囲の構えを取ろうとしたが、こちらの主航路の防衛が薄くないことを確認したらしく、距離を取った。
副航路の方は、まだ、観測されていなかった。
順調に進んでいた、その時、軍務省から追加の内線が入った。
ヘルダー大佐だった。
「クラウゼン少佐」
「は」
「補給対象から、民間徴用船を外してください」
レオンは通信卓の前で、星図の副航路の点を見ていた。
「理由は」
「命令です。理由は、軍務省内の判断によります」
「民間徴用船には、リンザル人員の家族が乗っています」
「承知しています」
「順番は、変更しません」
通信の向こうで、短い間があった。
「クラウゼン少佐。それは越権です。命令違反として記録します」
「権限範囲を確認します」
「確認の結果は」
「補給線維持に関する現場判断は、第七支援隊指揮官にあります。退避対象の選別を、出発後の通信で変更する権限は、軍務省内、ヘルダー大佐に明記された通達は確認していません」
「文面で送付します」
「了解しました。受領後、改めて確認します」
通信が切れた。
ミリアが、副航路の点を端末で更新する手を一瞬止めた。それから、また続けた。
別の通信が、次に入った。グライフだった。
「ヘルダーは、記録を取っている。お前の応答は全部、聴聞で使われる」
「事実を答えます」
「事実は、お前を守らない。整え方によっては、不利になる」
「整え方は、監察局でお願いします」
「整える」
グライフが短く息を吐いた。
「ベルン少将に、話を通したか」
「これからです」
「ベルンは、雪線の話で、自分を責めている。お前の今の動き方を、支える気がある」
「ありがたい話です」
「ありがたいと思え。あの男の証言は、聴聞で重い」
通信が切れた。
レオンはリンザル前進基地への並行通信を開いた。
-
「ベルン少将」
「クラウゼン少佐」
「軍務省から、民間徴用船を補給対象から外せ、という命令が入りました」
「理由は」
「明示されません」
「あなたの判断は」
「順番は変更しません」
「結構です」
短い間。
ベルンの声は、いつもの通り、低く落ち着いていた。だが、その落ち着きの下に、何かが薄く乗っていた。
「クラウゼン少佐」
「は」
「あの時、私が言えなかったことが、いま、あなたを脅かしている」
レオンは星図の前で、姿勢を変えなかった。
「ご明察、というには、まだ早いかと思います」
「いや、明察ではない。事実だ」
ベルンは続けた。
「雪線の時、私は撤退を口にできなかった。あなたが命令の届く順番を変えて、現場を動かしてくれた。あの時、私が自分の口で撤退を言っていたら、お前の手は使わずに済んだ。お前の判断は、たぶん、いまほど読まれていない」
「過去の判断は、今の状況を作りますが、今の判断は、過去の判断ではありません」
「分かっている」
「閣下のご責任ではありません」
「それでも、すまない、と言わせてください」
レオンは星図の上の青の縁を、しばらく見ていた。
「閣下」
「は」
「謝罪は、聴聞では、私の方の不利になります」
「分かっている。だから、いま、ここで言わせてもらう。聴聞には届かない」
レオンはそれ以上、応えなかった。
ベルンの通信は、短く切れた。
その時、ミリアが指揮所の方で言った。
「副航路、進捗八割。順調です」
-
副航路で、民間徴用船の一隻が、機関温度低下で遅れた。
粒子流の濃密帯に長く入ったために、機関の出力が落ちていた。
レオンは通信卓に短く指示を出した。
「《カラヴェル》、副航路の遅延船を曳航。短時間で戻ります」
「《カラヴェル》、了解しました」
主航路の防衛は、《アルゲン》《ヴァイス》《エルベン》《ヴェルダ》で維持された。
《カラヴェル》は副航路に短時間離脱して、遅延船を曳航位置に入れた。粒子流の影の中で、推進機関の温度を回復させる。十二分間の作業の後、《カラヴェル》は主航路に戻った。
副航路、無事通過。
民間徴用船三隻は、リンザル前進基地の後方退避ドックに着いた。家族の搬送が完了した。
主航路の軍補給船二隻は、リンザル本体の補給庫へ。補給線維持、成功。
第七支援隊損害、軽傷三名のみ。戦死なし。
同盟軍前衛は、補給完了を確認した後、距離を取って撤退した。
-
ベルンとの別れ際の対話は、短かった。
リンザル前進基地の指揮室で、ベルンはレオンに、新しい紙のメモを一枚、渡した。
「次は、私の方から、報告書を書きます」
「ありがとうございます」
「あなたが守りたいと言っているものは、守るに値する」
「私が守りたいと言ったわけではありません」
レオンは短く返した。
「リンザルの人員が、まだ生きているからです」
ベルンは、少しだけ笑った。皺の浅い笑いだった。
「やはり、変わらない」
「変える理由がありません」
「結構」
ベルンは指揮室の窓の外を見た。窓の外には、星海の暗がりと、薄い小惑星の灯りがあった。
「クラウゼン少佐」
「は」
「聴聞で何かあれば、必要な時に呼んでくれ。文書でも、現場でも、出る」
「了解しました」
ベルンは敬礼を返した。レオンも敬礼を返した。
《アルゲン》は外接岸を離れて、帰投航路に乗った。
-
帝都郊外、第十七司令施設。
帰投の翌朝、レオンは執務机の前にいた。
ミリアが報告書草案を提出欄に移したところだった。タイトルは「リンザル前進基地補給支援作戦」と書かれている。
末尾の追記。
── 補給対象に民間徴用船三隻を含む。軍務省内の通信で対象除外指示あり。現場判断として継続。命令違反の指摘を受領済み。文書回答予定。
ミリアはその一行を二度読んでから、提出欄に送信した。
通信卓が、グライフ大佐からの内線を告げた。
「お前の文書回答、こっちで先に見せろ、と言った」
「了解しました」
「ヘルダーは、お前の応答を全部記録している。聴聞は十日後、文書回答も並行で受け付けるそうだ」
「文書で答えます」
通信の向こうで、グライフは短く笑った。皮肉ではなく、ただの笑いだった。
「お前らしい」
「他に書きようがありません」
「整えろ。お前の文面は、整わないと刺さらない」
「監察局でお願いします」
通信が切れた。
ミリアは通信卓の前で、分散観測網の最新の表示を進めていた。
北方戦域の星図の中で、彼女の指が、一つの点で止まった。
「少佐」
「は」
「ヴェガ提督の旗艦が、北方の前線寄りに動いています」
レオンは星図の方を見た。
「いつから」
「過去三日、徐々に。最終位置はまだ分かりません」
「規模は」
「《オルトリーヴ》本艦のみ、確認できています。本隊の動きは、まだです」
星図の上で、雪線群以南の青の縁、その向こうに、薄い赤の点が、ゆっくりと近づいていた。
レオンは執務机の引き出しを、開けはしなかった。代わりに、内ポケットの紙の角に、指を一度だけ触れた。
古い損耗予測表。子供の字の手紙。ヤン・コルベの配線図。三枚は、いつもの順番に、いつもの位置にあった。
「応答があるところから」
彼はそれだけ言って、星図の前から、椅子に戻った。
ミリアは小さくうなずいて、観測網の表示を進めていった。
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