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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第二部 名のない戦場たち
32/53

埋め合わせ

 氷晶宙域北側からの帰投から、数日が過ぎた。

 駆逐艦カラヴェルは、修理ドックから戦列に戻ってきていた。装甲板は新しく、姿勢制御系の応答は出航前より一拍早い、と整備工廠の主任が短く書類に書いていた。修理艦フォルクは《カラヴェル》から手を離れて、別任地へ転用されていた。

 軍務省監察局からの内線が、午前のうちに一度、入っていた。

 マティアス・グライフ大佐の声だった。皮肉が乗っていない。

「聴聞要請の正式書類が来た」

「内容は」

「《ザクセン》の放棄。氷晶北側への作戦命令の越権の有無」

「担当は」

「ヘルダー大佐。軍務省内、伯爵系列だ」

 レオンは執務机の前で、その通信を聞いていた。

「出席は」

「十日後」

「了解しました」

「もう一つ言っておく」

 通信の向こうで、グライフは紙の音を立てた。書類の頁を繰っているらしかった。

「あいつは、お前の応答を全部記録する。聴聞の十日後だけじゃない。聴聞前の文書回答も並行で受け付ける、と書いてある」

「並行、ですか」

「そうだ。出した文書も、全部、聴聞の材料になる」

「了解しました」

「ヘルダーは、伯爵に似ている。声を荒げない。だが、こちらを疲れさせるのが上手い」

「想定の範囲です」

「想定するな。準備しろ」

 通信が切れた。

 レオンは内ポケットの紙の角を、指で確認しただけだった。古い損耗予測表、子供の字の手紙、それから、ヤン・コルベが書いた旧式救難ビーコンの内部配線図と電源装置の構造図の写し。三枚は、いつもの順番に折り畳まれて、いつもの位置にあった。

 ミリア・エーレンベルク中尉が、通信卓の前で、星図の表示を切り替えていた。

 北方戦域、青の領域の縁。雪線群以南。星図の中の、小さな点が一つ、赤く点滅していた。

「少佐」

 彼女は呼んだ。

「リンザル前進基地から、補給線維持の要請です」

「同盟軍前衛の動きは」

「補給航路の途中で、待ち伏せの構え。観測艦四、武装艦六」

「司令官は」

「ベルン少将です」

 レオンは星図の方を見た。

 雪線群が崩壊した後、北方戦線の新しい防衛線として、いくつかの前進基地が構築されていた。リンザルは、その中の南端寄りの一つだった。装甲は薄く、防衛艦も少ない。だが、補給線がまだ通っている間は、まだ機能する基地だった。

「ベルンが、復帰したのですか」

「療養を経て、今の任地に着任しています。三か月前から」

「補給線の脅威は、いつから」

「四日前から増しています。今回が三度目の要請」

 レオンは執務机の編成表を開いた。

 第七支援隊の今回の編成は、軍艦六隻になる。《アルゲン》《ヴァイス》《カラヴェル》《エルベ》《エルベン》《ヴェルダ》。《イーゼ》は修理中、《ラザレット》は氷晶捜索に転用継続、《フォルク》は別任地、申請中の補助二隻はまだ答弁が出ない。

「出発予定は」

「四十八時間後」

「聴聞は十日後」

 彼は短く言った。

「補給線が先です。聴聞は文書で対応します」

 ミリアは応えなかった。代わりに、編成表の方に視線を移して、出発準備の手順を端末で並べ始めた。

「順番でいきます」

 レオンはそれだけ言った。

 二つの戦場が、その朝、同時に始まっていた。

     -

 出発準備の途中、軍務省内線が入った。

 ヘルダー大佐からだった。

 声は、若くも老いてもいなかった。落ち着いていて、語尾に少し丁寧さが残る。グライフが言った通り、伯爵に似ている響きだった。

「クラウゼン少佐」

「は」

「聴聞前に作戦行動を取られるのは、慎重に願いたい」

「任務優先順位は、監察局が決めます」

「ええ、そうです。ですが、あなたの応答は、聴聞で重要な参考になる」

「参考にされる前提で、文書で並行回答できると伺っています」

「結構です」

 ヘルダーの声には、変化がなかった。

「ところで、補助艦の二隻について」

「は」

「申請が出ているそうですが、精査中のままです。本日付で、継続不可、と判断されました」

「理由は」

「精査の継続不可、です」

 短い間。

「了解しました」

「ご無理のないように」

 通信が切れた。

 ミリアは通信卓の前で、補助艦二隻の欄に、横線を引いた。

 別の通信が、次に入った。グライフだった。声には、戻ってきた皮肉が薄く乗っていた。

「お前の補助艦の話、外から削られた」

「いま、聞きました」

「あいつは、お前を疲れさせるつもりだ。短期で何かをひっくり返す気はない。長期で、お前の判断を一つずつ細らせるつもりだ」

「了解しました」

「了解しました、で済む話か」

「他に答え方がありません」

「いつものか」

「いつもの、です」

 グライフが短く息を吐く音が、回線の向こうから届いた。

「文書回答、お前が出す前に、こっちで一度見せろ」

「お願いします」

 通信が切れた。

 ミリアは編成表の補助艦の欄を眺めて、それから、出発手順の続きに戻った。

     -

 リンザル前進基地は、古い小惑星をくり抜いた前進拠点だった。

 外殻は薄く、補修の溶接痕がいくつも縦に走っている。装甲板の塗装は剥げて、下地の金属が露出している箇所もあった。通信アンテナは三本、そのうち一本は折れたまま放置されている。雪線群崩壊の後、急ごしらえで構築された防衛線の中で、リンザルは南端寄りに位置していた。

 《アルゲン》が外接岸に接舷した時、指揮室には二人の人物がいた。

 一人は、痩せた中年の少将だった。目の下に隈、軍服は清潔、袖口に修理油の跡。査問の証言席に立っていた時と、ほぼ同じ印象だった。少しだけ、痩せていた。

 もう一人は、若い参謀士官だった。レオンはその顔を覚えていなかった。

 ベルン少将は、レオンを見ると、短く敬礼した。

「クラウゼン少佐」

「お久しぶりです」

「補給線、お手数をかけます」

「任務です」

 ベルンは指揮室の星図を広げて、補給航路の現状を説明し始めた。

 補給船団は、民間徴用船三隻、軍補給船二隻の構成。航路は、リンザル前進基地まで二十二時間。同盟軍前衛の待ち伏せ位置は、航路の中盤、低温粒子流の薄い帯の手前。

 ミリアが分散観測網の更新を端末に並べていく。

 レオンは、補給船団の内訳を確認した。

「民間徴用船には、リンザル人員の家族が乗っています」

「ええ。最後の便です」

 ベルンは星図の小さな点を指で押さえた。

「ここまで、すでに二便、家族の搬送を入れてもらっています。今回が三便目。これで、リンザルの後方退避要員のうち、家族枠は埋まります」

「人員は」

「リンザル本体は、約三千。後方退避は、いずれ別便で」

「いずれ、というのは」

「補給線が切れた時の話です」

 ベルンは星図の中の青の縁を、指でなぞった。

「ここの防衛は、長くは持ちません。同盟軍がこの方面に押し出してくれば、私の判断は撤退になる。その時、家族が後方にいるかどうかで、避難の手順が変わる」

「ご明察通りです」

 ベルンは指を止めた。短い間のあと、彼は言った。

「ここを守るのは、雪線で逃げ損ねたことの埋め合わせのつもりだ」

 レオンは、星図の上の青の縁を見ていた。

「閣下」

「は」

「埋め合わせは、任務の動機にしない方が、判断は冷えます」

 ベルンは少しだけ、目を細めた。

「分かっている」

「現場の判断は、現場の司令官のものです。動機の話は、それを濁します」

「分かっている。だが、それでも、ここを守りたい」

「閣下のご判断は」

「補給線を守ること。あなたに、お力添えをお願いします」

「了解しました」

 ベルンはうなずいた。

 彼は若い参謀士官に短く指示を出して、補給航路の細部の調整に移った。

 レオンは指揮室の隅で、ミリアの端末を見ていた。同盟軍前衛の配置が、少しずつ更新されていた。


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