表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第二部 名のない戦場たち
30/53

廃止された航路

 ザールクヴェルから帰投して、数日。

 ミリア・エーレンベルク中尉は、通信卓の前で、古い周波数帯の信号を聞き続けていた。

 信号は弱かった。一定の間隔で、十六秒ごとに途切れる。

 手動式の旧式救難ビーコン、と彼女は端末に書いていた。発信源は、氷晶宙域の北側。同盟軍前衛が展開している宙域の、さらに先。座標は、氷晶回廊撤退の時に消息不明となった船団の旧位置と、概ね一致していた。

 査問の終わりに見た、大議場の星図の隅に点滅していた赤い点のうちの、一つだった。

 レオン・クラウゼン少佐は、ミリアの示した旧名簿を、執務机の上で開いていた。

 名簿の表紙には、氷晶回廊撤退時の混成船団、と書かれている。乗船総数、千二百三十二名。

「現在の信号からの推定人数は」

「六百五十前後です」

「半分は」

「未確認です」

 ミリアは紙の名簿の一枚目を、指で押さえていた。その下に、彼女自身がここ数日で書き加えた一行があった。

 ── 信号再活性化、三日前。

「自然作動ですか」

「不明です。手動再起動の可能性も、否定できません」

 レオンは名簿を畳んだ。

 通信卓のスピーカーが、別の音を流し始めた。軍務省監察局からの内線。グライフ大佐だった。

 声には、いつもの皮肉が乗っていた。だが、その下に、別の色が薄く重なっている。

「貴族院の何人かが、お前の艦隊がまた氷晶に戻ることを面白がっている」

「面白がっている、ですか」

「言葉通りだ。深く考えるな」

 レオンは答えなかった。

「補助艦の手配は、変わらん。《カラヴェル》があと数日で出る。《イーゼ》はあと一週間半」

「了解しました」

「もう一つ」

「は」

「お前の動きを、外から見ている目がある。お前が氷晶に戻る、という事実そのものが、彼らには使える」

「使える、というのは」

「彼らがいずれ何かを言いたい時、お前の動きが材料になる、という意味だ」

「了解しました」

「順番でいくのか」

「順番でいきます」

 通信が切れた。

 ミリアは、旧名簿の二枚目を開いた。乗船者の氏名が並んでいる。彼女はその名簿の中の、十数行を指でなぞった。

「通信士官、四名」

「は」

「氷晶回廊撤退時、この船団に同乗していました。うち、若手が一名。ヤン・コルベ、技術曹長」

「旧式ビーコンを扱える者ですか」

「資格上は」

 ミリアはもう一行加えた。

「ノア・カザン船長に、すでに連絡を入れました」

 レオンは目を上げた。

「いつ」

「昨日です」

「返答は」

「《リベルテ》、修理ドックから出たところだそうです。氷晶ならば、一日半で到着する、と」

 レオンはうなずいた。

「お知恵を借ります」

     -

 《リベルテ》は、翌日の午後、第十七司令施設の外接岸に着いた。

 ノア・カザンは、査問の証言席に立った時とほぼ同じ服装で降りてきた。灰色の髪を後ろで縛り、古い船長服の上に厚手の防寒ジャケットを羽織っている。眉間の皺は、相変わらず深かった。

 指揮所に通されると、彼は最初に星図を見た。

 氷晶宙域の北側、青と灰色の境界線の、少し先。

「氷晶か」

「氷晶です」

「軍では入れない場所がある」

「ご存じの場所はありますか」

「ある」

 ノアは星図に近づいて、指で三本の線を引いた。

 旧鉱山航路。旧商業航路。低温粒子流の影を伝う、観測網に乗らない経路。

「軍が観測網を作る時、その元になる地図が必要だ。地図は、誰かが先に通っていなければ作れない。先に通った者の航路は、軍の地図には載らない」

 彼は淡々と説明した。

「軍はいつも、船に二つの仕事をさせたがる。荷を運ぶことと、地図を作らせること。だが、地図を作った船は、いずれ廃止される。地図が完成するから、不要になる」

 レオンは星図の三本の線を見ていた。

「廃止された航路は、いま、通れますか」

「通れる場所と、通れない場所がある」

「割合は」

「半分」

「半分は、十分です」

 ノアは少しだけ、口の端を動かした。

「ところで、《リベルテ》の修理代は、まだ払われていない」

「外務省と監察局で、共同負担になっています。手続き中です」

「待つことには慣れている」

「ありがとうございます」

 ノアは指揮所の隅の椅子に座って、自分の防寒ジャケットの内ポケットから、糊で綴じた紙のメモを出した。

「あの船団のいた場所、見当はつく。氷晶の北側に、古い鉱山船の隠れ場所があった。低温粒子流の影で、軍の観測には乗りにくい」

「同盟軍の警戒網は」

「軍が作った観測網は、軍の地図に載るからな。同盟軍も、その地図を読んでいるはずだ」

「そこを抜ける、ですか」

「抜ける」

 ノアは紙のメモの一頁を指で押さえた。

「ただし、こちらの船団は、軍服を着てこない方がいい」

     -

 第七支援隊の編成は、軍艦五隻、民間一隻になった。

 通信巡洋艦アルゲン駆逐艦ヴァイス補給母艦エルベ駆逐艦エルベン駆逐艦ヴェルダ。それに、ノア・カザンの民間船リベルテ

 駆逐艦イーゼはザールクヴェルでの中破により修理中。駆逐艦カラヴェルは《エルツバッハ》戦の中破からの修理進行中。修理艦フォルクは《カラヴェル》整備に拘束されたままだった。申請中の補助駆逐艦二隻は、答弁の予定が、また外されていた。

 出発の朝、ミリアは通信卓の前で、分散観測網の表示を確認していた。

 北方戦域、青の領域の縁。氷晶宙域の手前、雪線群以南。

 星図の上で、同盟軍前衛の艦影が、断続的に動いていた。

「敵前衛、巡回パターン、確認」

 ミリアは言った。

「警戒網は、時間帯で密度が変わります」

「変動の幅は」

「観測艦の交代時間、補給艇の航行時間帯、低温粒子流の濃淡。三つの変数で、薄い時間帯が一日に二度、各三十分前後」

「短いですね」

「短いですが、ないわけではありません」

 レオンは星図を見ていた。

「《リベルテ》、先導。距離は、軍用観測網に乗らない位置で」

 通信卓に、ノアの声が返ってきた。

「了解。古い船は、古い船の扱いを知っている」

 星図の上で、《リベルテ》の艦影が、ゆっくりと氷晶宙域への入口に向かって動き出した。

     -

 氷晶宙域への進入は、軍用航路から外れた経路を通った。

 ミリアの分散観測網は、同盟軍前衛の警戒網を、一秒ごとに更新していた。同盟軍の観測艦は、軍用の標準的な巡回パターンを踏襲していた。それは、帝国軍が同盟軍の地図を読んでいるのと同じ理由で、帝国軍にも読まれていた。

 ノアの旧航路は、その地図には載っていなかった。

 低温粒子流の濃密帯の、影を伝う経路。観測網が成立する前に廃止された旧鉱山航路。低温粒子流の濃淡が観測艦のセンサーを乱す位置。

 第七支援隊は、最小限の機動で進んだ。コア艦と補助艦は、《リベルテ》の航跡を追う形で、艦間距離を狭めずに進む。

 進入から十二時間。

 同盟軍前衛艦の一隻が、《リベルテ》の進行方向に近づいた。

「敵観測艦、進路上に接近」

「距離は」

「四千二百」

「警戒網の薄い時間帯ですか」

「いま、入りました。残り、二十二分」

 レオンは通信卓に指示を出した。

「《リベルテ》、進路維持。観測偽装を準備」

 ミリアは通信卓のもう一つの端末を開いた。彼女が用意していたのは、民間放送局の中継ブイの信号パターンの写しだった。査問の後の数か月、分散観測網を整備する中で、彼女は同種の信号を多数収集していた。

「観測偽装、入りました。敵は『民間放送局の信号』と読みます」

「読まれて構いません」

 同盟軍観測艦は、《リベルテ》の方向に、わずかに進路を変えた。ただし、攻撃姿勢ではなく、確認姿勢だった。民間信号として処理する場合、武装解除を要求するか、通過させるかの判断になる。

 通過させる、と判断した。観測艦は進路を戻し、《リベルテ》から離れた。

「敵観測艦、進路復帰」

「距離、開きます」

 ミリアの声には、緊張の色が薄く残っていた。だが、すぐに次の警戒網の解析に戻っていく。

 ノアの通信が、《アルゲン》に届いた。

「ここで右、低温粒子流の影に入る」

「了解。《リベルテ》先導、コア艦は粒子流の影に同期」

 艦影は、星図の上で、淡い灰色の帯の中に入っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ