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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第二部 名のない戦場たち
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戦意なき艦隊

 《エルツバッハ》から帰投した翌日。

 駆逐艦カラヴェルは、修理ドックに入ったところだった。装甲板の張り替え、姿勢制御系の交換、機関出力の再調整。完了予測は二週間後、と整備工廠の主任が書類に書いていた。修理艦フォルクは《カラヴェル》の整備に拘束されていて、第七支援隊の手元には戻らない。

 ミリアの分散観測網は、ザールクヴェル方面の同盟軍前衛が増えていることを、すでに拾っていた。

 軍務省監察局からの通信は、その朝のうちに二度入っていた。いずれもグライフ大佐からだった。

「補助艦の手配、二隻だけだ」

「申請中の二隻は、答弁の議題から外されたままだ」

「もう一つある」

 二度目の通信の声には、いつもの皮肉とは少し違う色があった。

「貴族院の何人かが、お前の艦隊が敵を撃たないのは『戦意がないからだ』と言い始めた」

 レオンは執務机の前で、その通信を聞いていた。

「沈めなかった事実は変わりません」

「事実は変わらん。だが、解釈は彼らが決める」

 通信が一度途切れた。

「『葬送艦隊』が、別の言い方でも呼ばれるようになっている。『戦意なき艦隊』だそうだ」

「公称は、第七支援隊です」

「公称が守らない、と前に言ったろう」

 レオンは答えなかった。

 ミリアが通信卓の前で、《イーゼ》のテレメトリと、北方戦域の星図を見比べていた。星図の中で、雪線群と氷晶のあいだに、小さな点がひとつ、赤く点滅している。

「ザールクヴェル中継基地です」

 彼女は言った。

「退避要請、入っています」

「順番でいきます」

 レオンはそれだけ言って、通信を切った。

     -

 《アルゲン》通信卓。

 ザールクヴェル中継基地は、雪線要塞群以南へ後退した戦線の中で、通信中継機能と医療後送機能を併設した中継拠点だった。基地そのものは新しくない。だが、雪線の崩壊以後、後方医療施設からの長期療養者が集約され、いまでは通信士官よりも医療要員の方が多い。

 ミリアが読み上げた数字は、淡々としていた。

「通信士官、約千二百名。医療要員、約千六百名。うち、長期療養患者は三百名」

「同盟軍の接近予測は」

「四十八時間後」

「片道は」

「四十時間」

「不足は」

「二十四時間です」

 レオンは編成表を広げた。

 今回の実動艦は六隻だった。通信巡洋艦アルゲン駆逐艦ヴァイス駆逐艦イーゼ補給母艦エルベ駆逐艦エルベン駆逐艦ヴェルダ

 《カラヴェル》は不在。修理艦フォルクも不在。医療艦ラザレットは氷晶宙域に転用継続中。

「医療艦が、ない」

 ミリアが小さく言った。

「あります」

 レオンは編成表を指した。

「《エルベ》第三区画です」

「燃料用です」

「前回も燃料用でした」

 ミリアは少し笑いそうになって、やめた。それから、もう一つの紙束を差し出した。医療要員の名簿だった。

「少佐」

 彼女は名簿の最初の方を指した。

「ここに、ファルク医師の名前があります」

 レオンは紙の上で指を止めた。

 エリナ・ファルク。第三区医療院から再派遣されている。

「再派遣の理由は」

「カレリア以後、ファルク医師は北方医療連合の現場巡回班に配属されました。ザールクヴェルは、今回の巡回先の一つです」

「巡回班に重傷者の管理はできません」

「ですから、留まる判断を、彼女がしました」

 レオンは名簿を持ったまま、しばらく動かなかった。それから、もう一行下を読んだ。

 移送中の死亡リスクが高い患者、二十名。

 ミリアは続けた。

「現地医療班の判断です。二十名は、移送で亡くなる可能性が高い、と」

 レオンは紙を閉じた。

「医療責任者は」

「ファルク医師です」

「了解しました」

 通信卓のスピーカーから、外務省戦時調停局の短信が入った。クラリッサ・フォン・ヴァイトの定型署名のあと、二行だけ書かれていた。

 ── 中立通信路、使用可。前回と同じ条件。

 ── 必要なら、追加要請を出す。

 ミリアは応答欄に「了解」と書き、その下に小さく「ありがとうございます」と打ち込んでから、送信欄に移した。

 レオンは編成表に戻って、編成欄の隅に短く書き足した。

 ── 順番。

     -

 ザールクヴェル中継基地。

 基地そのものは、雪線群と氷晶の中間にある、古い小惑星を三段にくり抜いた中継拠点だった。外殻の塗装は剥げ、補修の溶接痕がいくつも走っている。通信アンテナは三本、そのうち二本が補強用の鋼線で支えられていた。

 《アルゲン》が外接岸に接舷した。

 指揮所では、二人の人物が待っていた。

 ひとりは、灰色の制服の中堅軍人だった。階級章は中佐。痩せた顔立ちで、髪を短く刈っている。眉間には軽い疲れの皺。

 もうひとりは、白衣ではない、濃灰色の実務用ジャケットを羽織った女性だった。髪は短く整えられている。カレリアで会った時より、少し痩せていた。

「クラウゼン少佐」

 軍人の方が先に名乗った。

「中継基地指揮官、グレーター中佐です」

「ザールクヴェルの維持、ご苦労様でした」

「維持しただけです」

 グレーター中佐は短く首を振った。

「私は通信畑です。我々は撃ち合いに向きません。撃ち合いに向く者は、別部署にいます」

 その言い方には自嘲があったが、卑屈さはなかった。事実の確認、というのに近かった。

 もう一人が、レオンに視線を移した。

「クラウゼン少佐」

 その声に、レオンも目を上げた。

「ファルク医師」

「冷たい人ですね、まだ」

「変わりません」

「結構です」

 エリナ・ファルクはそれだけ言って、ジャケットのポケットから紙の名簿を出した。手書きだった。二十人分の氏名と、生年、容態、現在投与中の薬剤名、最終手術日が、整った字で書かれていた。

「二十名は、移送で亡くなる可能性が高い、と判断しました」

「根拠は」

「機関振動と気圧変動、いずれも閾値を超えます。手術後三十日以内の患者、人工心肺の調整中の患者、頭蓋内圧管理中の患者、それぞれ五名前後」

「移送可能な工程はありますか」

「ありません」

 エリナは即答した。

「私の判断では、二十名は基地に残します。同盟軍に降伏要請を出す余地が、まだあります」

 レオンはミリアの方を見なかった。ミリアもレオンを見なかった。

「同盟軍への保護要請の権限は、外務省です」

 レオンは言った。

「クラリッサ・フォン・ヴァイト参事官に繋ぎます。返答は、概ね一時間以内に来ます」

「あなたは、それを判断としますか」

 エリナの声には、批判はなかった。問いがあった。

「医師が判断しました」

 レオンは言った。

「私は、順番を組みます」

 エリナは一度、紙の名簿を指でなぞった。それから、ジャケットの内側に戻した。

「結構です」

 彼女はそれだけ言って、医療区の方へ歩き出した。

 グレーター中佐はその後ろ姿を見送ってから、レオンに言った。

「冷たい医師に見えますか」

「いいえ」

 レオンは答えた。

「数字で判断する医師です」

 グレーター中佐は短く頷いた。それから、自分の制服の襟を一度撫でて、視線を星図に戻した。

     -

 同盟軍指揮艦マリスタ

 マルコ・セヴリーノ大佐は、艦橋の星図の前に立っていた。

 ザールクヴェル方面の宙域は、新しい戦線だった。雪線群と氷晶の中間、第二派の南進に伴って戦線が下がってから、ここに同盟軍の前衛が踏み込むのは今回が初めてだった。

 既存配置物は、少ない。前衛は事前に偵察を入れていた。観測ブイの残骸、補給用ドローンの航路、機雷散布の残骸、それぞれの座標を、副官が一枚の紙にまとめて、セヴリーノに差し出していた。

「ご明察通り、少ないですね」

「ない、ということはない」

「ない、ということはありません」

 セヴリーノは紙を受け取った。

「クラウゼンは配置物を読む。今度は配置物を使わせない」

「方法は」

「速度だ」

 彼は短く言った。

「包囲はしない。楔形で突き刺す。中継基地正面に直接到達する」

「先端の損耗は」

「許容する。先端は突き刺すためにある」

 副官は短く礼をした。それから、もう一行訊いた。

「投降勧告は」

「出す」

「効きますか」

「効かなくていい」

 セヴリーノは星図の中の、まだ赤く点滅している中継基地の位置を見ていた。

「揺さぶれば、シーケンスが乱れる」

「ヴェガ提督からの追加命令は」

「ない」

 セヴリーノは紙を畳んだ。

「これは、私の判断だ」

 彼は艦橋の隅に置かれた通信卓に近づいて、自分で文面を作り始めた。

 民間通信路経由、平文。送り主は「自由星系同盟軍北方戦域指揮官」。

「医療要員の保護を保証する。投降を勧告する」

 短い文面だった。

 彼は文面を一度読み返して、送信欄に移した。

「今度は、観察ではなく結論を持ち帰る」

 艦橋の中で、その声に応える者はいなかった。

     -

 ザールクヴェル中継基地、通信中継室。

 ミリアは、テオ・リンク技術曹長と並んで、通信設備の選別作業を進めていた。

 リンクは民間出身の通信技師だった。痩せた、若くはない男で、目の周りに細かい皺がある。軍服は古い型のもので、襟章は技術曹長の階級章ひとつだけ。手元には、自分で作ったらしい工具一式が、布製のロールに巻かれて置かれていた。

 ミリアは、コード鍵の一覧を端末で並べていた。軍用回線中継器、暗号通信鍵、戦域内識別コード、それぞれの保管位置と、無効化の手順。リンクは横で、機材の物理的な配線を確認していた。

「全部燃やしたいんですが」

 リンクが言った。

「読まれて困らないものを残します」

 ミリアは答えた。

「読まれていい記録を残すと、向こうがこちらの民間通信網を知ることになります」

「知らせて困らないものを、知らせます」

「困らない、というのは」

「民間放送局の中継ブイ、廃止された鉱山ビーコン、観光案内用の短距離案内波。これらは既に同盟軍も座標を読んでいます。読まれて困らないものです」

「……どこで習いました」

「現場で」

 リンクは指の動きを止めなかった。それから、口の端に小さい笑いを浮かべた。

「現場で習える時代がうらやましいです」

「うらやましがるほどのものではありません」

「ですが、覚えるなら、現場の方が早い」

 ミリアは応答しなかった。代わりに、コード鍵の一覧の上から三つ目を指した。

「これは持ち帰ります」

「了解」

「これとこれは無効化」

「了解」

「ここから下は、残置」

「了解」

 リンクは布のロールから工具を一本取って、無効化用の端子に当てた。短い金属音と、低い電子音が一度鳴って、軍用回線中継器の表示が落ちた。

 通信中継室の壁のスピーカーが、その時、別の音を流し始めた。

 民間通信路。平文。声は機械的だった。

 ── 医療要員の保護を保証する。投降を勧告する。送り主、自由星系同盟軍北方戦域指揮官。

 ミリアは振り返らなかった。リンクは作業の手を止めて、スピーカーを見た。

「来ましたね」

「来ました」

 ミリアは端末を持ったまま、通信中継室の出口に向かった。

「グレーター中佐に伝達します」

「行ってください。ここは続けます」

 彼女は通路を抜けて、指揮所へ戻った。

     -

 指揮所では、グレーター中佐とレオンが、星図の前にいた。

 スピーカーから流れる平文を、グレーター中佐は黙って聞いていた。

 通信士官の一人が、振り返って言った。

「指揮官、医療要員の中に、これを聞いている者がいます」

「全員に聞こえる回線です」

 グレーターは応じた。

「黙らせる手はありません」

 その時、レオンが言った。

「読みます」

「は」

「医療要員に、退避先の名簿を読み上げてください。投降勧告の前に、というより、勧告と同じ周波数で」

「同じ周波数で、ですか」

「内容を上書きします」

 ミリアが指揮所に入ってきた。レオンは彼女に視線を向けた。

「中尉。退避先の名簿、こちらで読み上げます。受け入れ施設名と担当者連絡先まで」

「はい」

 ミリアは通信卓に着いて、自分のヘッドセットを着けた。

 数秒の準備のあと、彼女の声が、基地内放送と民間通信路に、同時に乗った。

「ザールクヴェル中継基地、退避案内。医療要員の移送先は、三か所。第一、南方リンデン医療連合。受け入れ担当、リンデン医療連合事務局、コード六八二。第二、ノルトハーフェン後送区、第三医療センター、コード四四九。第三、外務省管轄、中立施設、コード〇〇七、担当はヴァイト参事官事務局」

 彼女は名簿を読み続けた。

「家族の同居枠、各施設にあります。同居枠の配分は、移送順に確定。重症患者の受け入れ準備は、第一、第二の両施設で完了済み。受け入れ床数、合計千八百」

 民間通信路の同盟軍からの平文は、彼女の声の下で、少し小さくなった。

 平文は同じ文を繰り返していた。彼女の名簿は、数字と固有名を流し続けた。

 グレーター中佐は、しばらく星図の前から動かなかった。それから、レオンに低い声で言った。

「先に名簿を読むのですか」

「数字を先に出す方が、勧告より早く届きます」

 グレーターは頷いた。彼の声の中には、少し疲れの色があった。

「私はこの仕事に向いていないと、ずっと思ってきました」

「は」

「ですが、向いていなくても、ある場所に居ることはできます」

 レオンは何も言わなかった。

 ミリアの声は、まだ続いていた。


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