動かない船団
同盟軍指揮艦。
マルコ・セヴリーノ大佐は、若い指揮官だった。三十代半ば、士官学校では機動戦術の上位卒、ヴェガ提督直属での実戦は三年目に入る。
艦橋では、左右の機動序列が、星図の上で滑らかに動いていた。
「右翼、二十二時間で包囲位置」
「左翼、二十時間で包囲位置」
「中央本隊、出口側展開、二十四時間で完了」
「予定通り」
セヴリーノはうなずいた。
《エルツバッハ》宙域に、帝国側の防衛は薄かった。星図の出口手前に、巡洋艦一隻と駆逐艦三隻、それに後ろに数隻の補助艦が控えている程度。コア部隊は確認できたが、規模が小さい。補給母艦の存在は確認した。これは、引き上げ作業を支援するためのものと判断できる。
「クラウゼン少佐の艦隊か」
彼は副官に確かめた。
「はい。第七支援隊。北方戦線撤収・補給再編特別監察官代理の直轄部隊です」
「規模は」
「実動八隻、と思われます」
セヴリーノは唇の端を動かした。
「八隻で、何をするつもりだ」
副官は答えなかった。
「時間稼ぎだろう」
セヴリーノは星図を見て続けた。
「《エルツバッハ》の引き上げ作業は、現場申告で百二十時間。我々の包囲完成は、二十四時間。船団は、約九十時間以内に出口を抜けねばならない」
「百二十から九十を引きますと、三十時間の不足です」
「クラウゼンは、その三十時間を稼ぐつもりだ」
セヴリーノは少しの間、星図を見ていた。
彼はヴェガ提督から、ひと言の命令を受けて出てきていた。
── クラウゼンを観察し、可能なら船団を取れ。
「観察」は、命令の前半である。「取れ」は、命令の後半である。
セヴリーノは前半を、自分の流儀でこなすつもりでいた。教科書通りの包囲を組み、教科書通りに圧する。クラウゼンが教科書通りに時間を稼ぐ。観察するならば、教科書を並べた状態で観察する方が早い。
「包囲、予定通り。両翼の機動経路、変更なし」
「了解」
艦橋の中で、命令はそのまま流れていった。
-
《エルツバッハ》表面、引き上げ作業区。
搬出は順調に進んでいた。最初の二十四時間で、技術者の家族の三千四百名と、初期搬送可能な熟練工の三千名が、輸送船団に乗船した。続く二十四時間で、設備の梱包・連結作業が進行している。
ミリアの分散観測網は、同盟軍の機動を一秒ごとに更新していた。本隊は予定通りに進み、両翼は予定通りに広がっている。
《アルゲン》指揮所では、レオンが星図の前で時間表を確認していた。
四十八時間経過。搬出進度、四十パーセント。同盟軍包囲完成まで、残り四十八時間。
ハルトマンの《ヴァイス》から、応射の報告が短く入った。
「敵前衛、軽接触。応射、距離維持」
「了解」
「沈めなくていいんですね」
「はい。距離維持です」
「了解しました」
ハルトマンは余計なことを言わなかった。
軽接触は何度か続いた。前衛の探りに対して、こちらは応射するが追わない。距離を縮めない。撃ち落とせる位置に来た艦も、しばらく見送る。
《ヴァイス》の砲手たちは、もどかしい思いをしているかもしれなかった。だが、ハルトマンが余計を言わない以上、それは砲手たちの中で収まる範囲だった。
ミリアが、傍受していた同盟軍内通信から、一文を訳して伝えた。
「敵指揮所、命令確認。『予定通り。挟む』」
「読みます」
「妨害は」
「しません」
ミリアは小さくうなずいた。
彼女は、雪線時から学んだことを応用していた。
── 内容を読ませず、存在は読ませる。
ただし今回は、内容を「読みつつ、見せない」。同盟軍はこちらの応答が薄いのを「時間稼ぎの典型」と読む。読まれて構わない。
時間は、変わらない速度で過ぎた。
-
七十二時間経過。搬出進度、六十五パーセント。同盟軍包囲完成まで、残り二十時間。
ミリアの観測網が、右翼の動きに小さな揺れを捉えた。
「敵右翼、減速」
「経路の理由は」
「観測ブイ群と機雷散布残骸の位置に入りました」
「いつ置かれたものですか」
「二か月前、北黒嶺方面で実施された補給線確保作戦の名残です。記録上は撤収扱いですが、実物は宙域に残っています」
「そうですか」
レオンは星図を見ていた。
右翼の機動経路上の淡い色の点が、機動序列の真ん中を横切っていた。通り抜けには、減速が必要になる。機雷除去は記録上完了しているが、残骸の中には不発のものが含まれている可能性があり、同盟軍はそれを「あり得る」と判断するだろう。完全に通過するには、再除去か、減速して回避するかになる。
包囲完成は、その分遅れる。予測では、四時間半。
「左翼は」
「左翼の進行先には、雪線時にアステル系列センサーが観測した粒子流の濃密帯があります。最近、再活性化しています」
「濃密帯に入ると」
「通信が乱れます。本隊との連携が分断されます」
「分断時間は」
「最大三時間、回避すれば六時間追加」
レオンは星図の点を二つ、視線で結んだ。
右翼は四時間半遅れる。左翼は分断されるか、回避で六時間遅れる。どちらの選択をしても、同盟軍が出口を挟む位置に揃うのは、引き上げ完了より後になる。
彼は腕を組まなかった。ただ、星図の前で、しばらく動かなかった。
-
同盟軍指揮艦。
艦橋の星図の上で、右翼の点列が止まっていた。
「右翼、機動停止。観測ブイ群および機雷散布残骸を確認」
「記録は」
「北黒嶺方面、二か月前の作戦記録。撤収扱いですが、実物は残置」
「除去できるか」
「八時間。減速で回避するなら、四時間追加」
セヴリーノは星図に目を落とした。
四時間半。その遅れは、致命的ではなかった。だが、左翼の状況を確認しなければ判断できない。
「左翼、状況」
「進行先に低温粒子流の濃密帯。現在再活性化中」
「迂回」
「迂回すれば六時間追加。突入すれば本隊との通信が乱れます」
セヴリーノは唇を引き締めた。
右翼に四時間半。左翼に六時間。両方を足せば、包囲完成は十時間以上遅れる。完成位置に揃わない場合、こちらの「挟む」が成立しない。挟まれない船団は、出口を抜ける。
搬出進度は、こちらの観測でも六十パーセントを越えている。
「クラウゼンは、時間を稼いでいるだけだろう」
副官は無言だった。
セヴリーノは星図を見たまま、声を落とした。
「だが、なぜ我々がこの経路を選ぶと、彼は知っていた」
副官が答えた。
「教科書通りの経路を選んだのは、我々です」
「教科書を読んでいるのは、こちらだけではない、と」
「そのようです」
セヴリーノは星図の中の青と赤を交互に見た。
残骸の中を通すか、別経路に切り替えるか。別経路への切り替えは、本隊の再集結を必要とする。再集結には十時間。搬出完了は、こちらの予測で十八時間後。十八時間後には、船団は出口に達している。包囲は不成立になる。
「正面突破に切り替える」
「再集結十時間、突破後の戦闘は」
「短くなる。船団は半分以上、出口を抜けている」
「割に合いません」
副官が言った。
セヴリーノは少し沈黙した。
彼は艦橋の隅に置かれた、ヴェガ提督からの命令書の写しを思い出していた。
── 観察し、可能なら取れ。
可能なら、である。不可能であれば、観察を持ち帰る。
彼は短く息を吐いた。
「主力、再集結。包囲機動、解除」
「了解」
「観察を持ち帰る」
「は」
「観察を持ち帰る、と言った」
艦橋の中で、命令が静かに流れていった。
星図の上で、両翼の点列が、ゆっくりと中央に戻り始める。
セヴリーノは、星図のもう一点を見ていた。
帝国側のコア部隊の位置である。動いていない。最初から、動いていなかった。ただそこに立っているように、配置を保ったまま、こちらの両翼を見送ろうとしている。
「時間稼ぎではないのか」
彼は誰にも聞こえない声で言った。その問いには、艦橋の誰も答えなかった。
-
《アルゲン》指揮所。
ミリアが観測網の更新を読み上げた。
「敵主力、後退開始。包囲機動、解除されました」
通信士たちが、互いに視線を交わした。レオンは星図の前で姿勢を変えなかった。
「追わない。出口確保継続」
「了解」
「ハルトマン大尉に伝達。砲戦終了、距離維持のまま帰投準備」
「《ヴァイス》より応答。『砲戦終了、距離維持、了解』」
ハルトマンの声は、依然として平坦だった。
搬出は止まらない。現場では、残りの設備の梱包が続いていた。ヘフナーの計算通り、最も難しい四基のデータ保全用の温度管理区画への移送が、《エルベ》の第三区画で進められている。
ミリアが小さく言った。
「敵は、わざと撃ち合いを引き伸ばすこともできました」
「できました」
「しなかった」
「彼は教科書通りの指揮官です」
レオンは星図に視線を戻した。
「教科書通りに、退き時を読みました」
「無能ではない」
「無能ではありません」
ミリアはそれ以上聞かなかった。代わりに、観測網の点をひとつずつ、ゆっくりと確認していった。
続きが気になると思っていただけたら、☆☆☆☆☆で評価いただけますと幸いです。
ブックマークや感想などもいただけると励みになります。




