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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第二部 名のない戦場たち
25/53

葬送艦隊

 貴族院査問から、四か月が過ぎていた。

 帝国北方戦線の星図は、さらに小さくなっている。雪線要塞群以南へ後退した青の領域は、いくつかの突出部を保ちつつ、全体として南へ寄っていた。灰色は増え、青の縁を内側から削っている。

 地図はかつて、戦線の進退を示す軍事的な記号だった。今は、誰がどこから戻ったか、どこに残されたかを示す名簿の延長になりつつあった。

 帝都郊外、第十七司令施設の一画。

 ここに、北方戦線特別機動支援隊の臨時司令部が置かれている。公称は、第七支援隊。

 帝国軍務省北方戦線撤収・補給再編特別監察官代理レオン・クラウゼン少佐の指揮下にある、編成上は艦十二、実動は八。残り四は申請中か、他戦線に転用されたままだった。

 通信卓に向かっていたミリア・エーレンベルク中尉が、視線を上げた。

「《ラザレット》の転用、延長になりました」

「氷晶宙域ですか」

「はい。捜索任務、追加で十六日」

 レオンは机上の編成表に小さく印をつけた。この一か月で四度目だった。医療艦ラザレットは、書類上は第七支援隊の所属である。だが、書類が実態に追いついていなかった。

 ミリアが付け加えた。

「補助駆逐艦二隻の申請、貴族院軍務委員会で第二回答弁待ちです」

「答弁の予定は」

「未定です」

 レオンはうなずいた。

 申請が答弁待ちになっている間、その艦は他戦線で使われている。書類が回ってきた頃には、別の任務の途中だろう。

 通信士官の若い兵卒が、伝令で立ち寄った。

「《アルゲン》、整備完了です。出航準備、整いました」

「ご苦労」

 兵卒は敬礼して退出する間際、隣の士官に小さく耳打ちした。

「葬送艦隊、また出るんですか」

 声は小さかった。

 レオンの背中越し、ミリアの肩が一瞬止まる。士官は短く咎めた。兵卒は赤くなって出て行った。

 通信卓の前で、ミリアが何か言いかけて、やめた。

「中尉」

 レオンが言った。

「定着しつつあるようですね」

「……黙らせます」

「いいえ」

 レオンは編成表を畳んだ。

「黙らせると、別の名前で呼ばれます。今のうちに、間違っていない名前を覚えておく方が早いです」

「第七支援隊では駄目ですか」

「公称は第七支援隊です。通称は、彼らが決めます」

 ミリアは何か言いそうにして、結局口を閉じた。

 レオンが軍服の襟を直す動作の途中、内ポケットの紙の角に指が触れる。古い損耗予測表と、その隣に折り畳まれた一枚の手紙。表書きの子供の字を、レオンは指で確認しなかった。ただ、そこにあることだけを確かめて、襟を戻した。

 通信卓の表示が変わった。

 北方軍区中央通信局から、第七支援隊宛て。緊急度は中。差出人は、軍務省監察局付き、マティアス・グライフ大佐。

 ミリアが内容を音読する。

「《エルツバッハ》工業衛星より、引き上げ要請。技術者および家族の退避、希少設備の搬出を求む。同盟軍接近予測、九十六時間後。引き上げ作業所要、現地申告で百二十時間」

「不足は」

「二十四時間です」

 レオンは編成表をもう一度開いた。

 二十四時間。その数字が、これからの一作戦の制約として、頭の中で位置を取った。

「整えます」

 彼は言った。

「短縮ではありません。延長します」

     -

 《エルツバッハ》は、北方戦線後退の中で取り残されつつあった工業衛星だった。

 もとは古い小惑星をくり抜いた採掘・加工拠点で、後に軍需用の希少金属精錬と、特殊合金加工が加わった。北方戦線への戦時生産が始まってから、隣接する数基の作業ステーションと連結され、独自の規格を持つ工業集積に育っている。

 現在の人員は、技術者・熟練工が一万二千三百名、その家族が三千四百名。設備八十五基。

 ミリアは衛星から送られてきたリストを通信卓に並べていた。設備の半数以上は固定式である。解体には、規格ごとに異なる工程が必要で、書類上の所要時間は、現場の申告とほぼ一致していた。

「百二十時間は、削れません」

 ミリアが言った。

「敵接近の予測は」

「ヘリオス七方面の中立観測局を経由した数字です。同盟軍前衛、第二派の動きと整合します」

「九十六時間で動かない可能性は」

「低いです。本隊が動き出した形跡があります」

「指揮官は誰ですか」

「ヴェガではありません」

 ミリアは小さな間を置いて続けた。

「マルコ・セヴリーノ大佐。三十代半ば。ヴェガ提督直属。攻勢機動を得意とする若手、と中立観測局の評です」

「これまで前面に出ていなかった指揮官です」

「はい」

 レオンはうなずいた。

 敵の指揮官がヴェガではない、というのは、ヴェガが他方面に出ているか、あるいはセヴリーノに「見せている」かのどちらかだった。後者であれば、敵もこの一戦を分析の材料として扱っている。

 通信卓の脇のスピーカーが、外回線の受信を告げた。

 外務省戦時調停局からの短信。発信者はクラリッサ・フォン・ヴァイト参事官。

「中立通信路、《エルツバッハ》方面、使用可。中立観測局の更新は、軍用回線より一時間から二時間早く届きます。軍用回線、また遅れる予定」

「了解」

 ミリアは応答を返した。

 数行のあとで、クラリッサからの追記が一行だけ流れた。

 ── ご無事で。

 ミリアは少し驚いた顔をして、それを受信欄の下に移した。

 代わって、軍務省監察局からの内線。グライフ大佐だった。

「補助艦は三隻だけ手配できた。修理艦フォルク駆逐艦エルベン《ヴェルダ》。これ以上は無理だ。医療艦は、お前も知っての通り氷晶に取られたままだ」

「了解しました」

「《エルベ》は手元にあるな」

「あります」

「補給母艦を、護衛網の中に置いておけ。今回は燃料の話ではなさそうだ」

 グライフはそれだけ言って、通信を切る前にひと言だけ加えた。

「敵を沈める気か」

「攻める必要があれば」

「ない方を選べ」

「選びます」

 通信が切れた。

 レオンは編成表を再度確認した。

 コア五隻、補助三隻。通信巡洋艦アルゲン駆逐艦ヴァイス駆逐艦カラヴェル駆逐艦イーゼ補給母艦エルベ。これにグライフが回した修理艦フォルク駆逐艦エルベン駆逐艦ヴェルダを加えて、計八。申請中の二隻は、当てにしない。

 レオンは机の上で、観測網と地形の図面を広げた。

 《エルツバッハ》近傍宙域は、過去四か月の間に、第七支援隊がいくつか小規模な任務をこなした宙域に重なっている。残された配置物のいくつかは、ミリアの分散観測網にすでに座標が記録されていた。

     -

 《アルゲン》艦内、出撃二日目。

 通信巡洋艦アルゲンは、グリムワルト回廊で生還した艦である。当時三十七名の通信士が乗り組んでいた船は、いまも通信能力を軸に運用されている。旗艦化に伴い、上層甲板の一区画が指揮所として改装された。

 その指揮所の壁面で、北方宙域の星図がゆっくりと回っている。

 ミリアは、分散観測網の点を一つずつ確認していった。民間放送局の中継ブイ、雪線時に配置された残存気象センサー、廃止された鉱山ビーコン、観測ステーションのアステル系列センサーが残した粒子流監視。

 軍用観測網ではないため、精度は揃わない。しかし、目の数は多かった。

「同盟軍主力、《エルツバッハ》宙域に進入を開始。約二十八隻、機動序列は本隊と前衛二群に分かれています」

「規模は」

「中規模艦隊として標準。包囲を想定した編成です」

「予想通りですね」

 レオンは星図の前に立っていた。

 《エルツバッハ》の位置は、星図上では宙域の中央に近い。出口側、つまり帝国側の補給線へ抜ける航路は、星図でいえば下方にある。

 同盟軍はその出口を塞ぐ位置に展開しつつあった。包囲機動。左右に分割し、本隊で出口側へ抜ける道を挟む。引き上げ作業中の船団が動き出した瞬間に、両側から圧する形になる。

 セヴリーノが選んだ判断は、教科書通りだった。

「右翼の機動経路、来ます」

 ミリアが言った。

「経路は、予測通りです」

「左翼は」

「同じく予測内です。少し速いですが、機動の幅は標準」

 レオンはうなずいた。

「《ヴァイス》に、出口手前の薄展開を指示。応射のみ。距離は維持」

「了解」

 通信回線が開く。

 駆逐艦ヴァイスから、ハルトマン大尉の声が返ってきた。

「《ヴァイス》、配置維持。応射のみ、距離維持。了解しました」

 ハルトマンの声は、グリムワルトの時より少し低くなっていた。左腕の動きはほぼ戻っているが、夜には痺れるという話を、第七支援隊への合流時にぼそりと言っていた。

 レオンは、星図のもう一つの層に視線を移した。

 そこには、過去四か月の小規模任務で残された配置物の位置が、淡い色で記録されている。観測ブイの残骸。古い補給用ドローンの航路。低温粒子流の濃密帯。機雷散布の残骸。それぞれが、軍用記録にはなく、ミリアの分散観測網の中にだけ位置を保っていた。

 レオンは、星図の二つの層を重ねた。

 同盟軍右翼の機動経路は、観測ブイ残骸と機雷散布の残骸を横切る位置にあった。左翼の経路の先には、雪線時にミリアが観測した低温粒子流の濃密帯が残っている。

 彼は、それを確認しただけだった。配置を変えるよう指示は出さなかった。

 星図の片隅、《エルツバッハ》の表面に小さな航宙艇の印が点灯した。《エルツバッハ》主任技師、カール・ヘフナーの接舷艇である。

「お通しを」

 通信卓が応じた。

     -

 ヘフナーは、白髪混じりの中堅技師だった。

 厚手の作業服の上から防寒ジャケットを羽織り、襟元には鉱山連合の旧い徽章がついていた。痩せた手の指関節がいくつか変形している。長年、低温下で重い工具を握ってきた指だった。

 彼は指揮所に入ってきて、星図に一瞥をくれた。

「クラウゼン少佐ですな」

「ヘフナーさんですか」

「ええ」

 彼は星図の方を指した。

「あれは、いつ動きますか」

「あれ、というのは」

「敵」

「九十六時間後の予測です。現在は宙域進入中」

「九十二時間で来ます」

 ヘフナーは事もなげに言った。

「申告では九十六時間ですが、現場の感覚では、九十二時間。早ければ九十時間」

「根拠は」

「三十年です」

 彼はそれだけ答えた。

 レオンはミリアを見た。ミリアは小さくうなずいて、観測網の中継ぎの精度を上方修正した。

「設備の搬出について」

 レオンは話を戻した。

「百二十時間、削れないと聞いています」

「削れません」

「四基、ですか」

「ご明察」

 ヘフナーは内ポケットから紙のメモを出した。電子端末ではなく、糊で綴じた手書きの紙だった。

「八十五基のうち、四基は搬出中に温度を切らせるとデータが消えます。三十年分の鉱物解析と、現場で改良された加工パターンです。書類にはありません」

「規格は」

「民間規格です。軍規格の補給艦の温度管理区画は使えません」

「《エルベ》の第三区画の温度管理仕様は、ご存じですか」

「燃料用です」

「燃料用は、設定可動域が広いです」

 ヘフナーは少し沈黙した。それから、痩せた手で星図の脇の机を軽く叩いた。

「お分かりだ」

「《エルベ》の第三区画を空けます。再配置にかかる時間は」

「十二時間で」

「十五時間で見積もります」

「十二時間で」

 ヘフナーは譲らなかった。

「現場の感覚です」

「分かりました。十二時間で。許容誤差、上方三時間」

「結構」

 ヘフナーはメモを畳んで、立ち上がった。指揮所を出る前に、彼は星図を振り返って言った。

「古い機材ほど、書類より粘ります」

 それから、付け加えた。

「人もです」

 彼は退出した。

 ミリアは指で星図の縁を撫でながら、レオンに言った。

「《エルベ》第三区画転用は、書類が必要です」

「先に動かしてください。書類は後追いで」

「グライフ大佐に怒られます」

「想定の範囲です」


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