表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第一部 消えなかった名前たち
21/53

名簿は読める

 《オルトリーヴ》で、ヴェガはサリカ補給基地の武装解除報告を受けた。

「予想より早い」

 副官が言った。

「現地司令官が判断したようです」

「帝都の命令は?」

「まだ届いていません」

「そうか」

 ヴェガは、サリカ基地の降伏手順を確認した。

 捕虜名簿。負傷者リスト。民間人退避完了証明。帝国側への同時送付。

 丁寧だった。丁寧すぎるほどに。

「クラウゼンが噛んでいるな」

「降伏にも?」

「少なくとも、名簿の作り方には」

 ヴェガは少しだけ目を伏せた。

 白航路は成功した。民間船団は逃げた。帝国の補給基地は一つ落ちた。同盟軍はほとんど撃っていない。戦術としては、よく切れた。

 だが、ヴェガは満足していなかった。

 彼は民間人を逃がすことで、帝国の拠点を剥がした。それに対し、クラウゼンたちは、民間人を逃がし、補給船を用意し、サリカの捕虜名簿まで残した。

 刃は入った。だが、傷口は塞がれつつある。

「提督」

 副官が言った。

「次も同じ手を?」

「同じ手は鈍る」

「では」

 ヴェガは星図を見た。

 帝国の前線は縮んでいる。だが、その縮み方が変わってきている。ただの崩壊ではない。誰かが、崩れ方を整え始めている。

「帝国中央は、この状況を好まない」

 ヴェガは言った。

「なぜです。人的損害は減っています」

「その代わり、現地判断が増えている」

「それが問題ですか」

「中央にとっては」

 ヴェガは帝都の方向を見た。

「次は、こちらが押す前に、帝都が彼を押すだろう」

     -

 帝都では、エーベルハルト伯爵が待っていた。

 貴族院軍務委員会の会議室。白い大理石。静かな空調。窓の外の整えられた庭園。

 戦場の気配はない。だが、空気は重かった。

「クラウゼン少佐」

 伯爵は言った。

「また、帝国の補給基地が一つ失われました」

「はい」

「今度は敵の提示した航路を利用した結果です」

「民間船団は通過しました」

「サリカ補給基地は武装解除した」

「民間人退避後、基地機能維持不能となりました」

「あなたはそれを促した」

「補給評価を送りました」

「言葉遊びです」

「評価です」

 伯爵の目が細くなった。

「敵が提示した航路を通り、敵の条件を受け入れ、敵の前で基地を明け渡す。あなたは、帝国軍人としての誇りをどこに置いてきたのですか」

 レオンは少し考えた。

「白航路の出口に」

 ミリアは思わず顔を上げた。伯爵の表情が消える。

 レオンは続けた。

「医療船が通りました。移民船も通りました。低温劣化で航行不能になるはずだった船も、燃料を受け取りました。そこに置いてきたと思います」

「あなたは詭弁がうまくなった」

「報告書が増えたので」

 会議室の空気がさらに硬くなる。

 伯爵は静かに資料を開いた。

「サリカ補給基地の件については、正式な査問が必要です。軍務委員会では、あなたの一連の行動が帝国の防衛線後退を助長しているとの意見が出ています」

「防衛線は後退しています」

「認めるのですね」

「地図上は」

「地図以外に何がある」

「名簿です」

 短い沈黙。

「民間船団三万六千余。サリカ基地人員一千二百。捕虜名簿作成済み。死者は現時点で確認中ですが、予測より少ない」

 レオンは伯爵を見た。

「地図は小さくなりました。名簿は、まだ読めます」

 伯爵は何も言わなかった。それは納得ではない。ただ、言葉を選んでいる沈黙だった。

 やがて彼は言った。

「クラウゼン少佐。あなたは危険です」

「よく言われます」

「主に味方から?」

「最近は、そうです」

 伯爵は資料を閉じた。

「次の査問では、それを証明することになるでしょう」

     -

 監察局に戻ると、グライフ大佐がすでに査問通知を読んでいた。

「来たぞ」

「早いですね」

 ミリアが言うと、グライフは鼻で笑った。

「帝都は、人を助ける命令は遅いが、人を呼びつける命令は速い」

 通知には、こう書かれていた。

『クラウゼン少佐の一連の撤退判断、補給評価、民間船団誘導、敵提示航路使用への関与について、貴族院軍務委員会において包括査問を実施する』

 包括査問。つまり、これまでの全てをまとめて裁くつもりだ。

 グリムワルト。カレリア。アルム。消えた補給線。雪線。氷晶回廊。サリカ。

 ミリアは通知を見て、指先が冷えるのを感じた。

「少佐」

「何ですか」

「これは、かなりまずいのでは」

「はい」

「処分される可能性が」

「あります」

 レオンは落ち着いていた。落ち着きすぎていた。

 ミリアは少し苛立った。

「少佐は、少しは焦ってください」

「焦ると記録が乱れます」

「記録ではなく、少佐の処分の話です」

「私が処分されても、記録は残ります」

「そういう話ではありません」

 思ったより強い声が出た。部屋が静かになる。

 グライフ大佐が、黙ってコーヒーをすすった。

 ミリアは自分の声に少し驚いたが、引かなかった。

「少佐がいなければ、次に誰が行くんですか」

 レオンは答えなかった。その沈黙が、ミリアをさらに不安にさせた。

 彼は、自分がいなくなる可能性をもう計算している。そう思った。

 グライフがようやく口を開いた。

「中尉、怒るなら手を動かせ」

「大佐」

「査問は記録で殴る場所だ。泣いても怒っても、議事録の余白にはならん」

 彼は棚から分厚い箱を取り出した。

「グリムワルトの生還艦長証言。カレリア撤収者名簿。アルム捕虜交換記録。ローエン商会補給不正。雪線のベルン報告。氷晶回廊の民間船団通信。サリカ捕虜名簿」

 箱が机に積まれる。

「これまで積み上げたものを、全部出す」

 ミリアは息を整えた。

「証人は」

「呼べるだけ呼ぶ。来られない者は記録通信。来ない者の分も名簿を出す」

 レオンが言った。

「そこまで必要ですか」

 グライフは彼を睨んだ。

「お前が自分を弁護しないからだ」

「私は」

「知っている。死者数と救助数で足りると思っている顔だ」

 グライフは指で机を叩いた。

「足りん。帝都では、人は数字を見ない。誰がその数字を持ってきたかを見る」

 ミリアは、端末を開いた。

「証言依頼を送ります」

「送信先は」

 グライフが聞く。

 ミリアは一つずつ挙げた。

「ハルトマン大尉。ゼッケンドルフ大将。ベルン少将。エリナ・ファルク医師。ハンナ・リート技師。ノア・カザン船長。ユーン所長。サリカのハイデン中佐は捕虜なので、中立回線経由で名簿確認だけでも」

 レオンが彼女を見た。

「多いですね」

「少佐が増やしました」

「私が?」

「はい」

 ミリアは、少しだけ笑った。

「行く先々で、記録が増えるので」

 グライフが満足そうに頷いた。

「よし。中尉、ついでに貴族院が嫌がる順番で並べろ」

「どの順番ですか」

「生きている人間からだ」

     -

 その夜、帝都の空は晴れていた。

 監察局の窓からは、貴族院の塔が遠く見える。白い照明に照らされ、まるで戦争の外にある建物のようだった。

 ミリアは、証言依頼を送り続けた。

 返信は、少しずつ届いた。

 ハルトマン大尉。

『証言する。あの退避勧告がなければ、我が艦は沈んでいた』

 エリナ・ファルク。

『医療搬送記録を送る。子どもたちの名簿も必要なら出す』

 ノア・カザン。

『面倒だが出る。修理代の話もする』

 ユーン所長。

『アステルの観測網分散について、技術報告を提出する。なお精度は不満である』

 ベルン少将。

『雪線撤収は現地司令官たる私の判断である。必要なら議場で同じことを言う』

 ゼッケンドルフ大将からは、短い返事だった。

『老兵の恥を役立てる時が来たなら、呼べ』

 ミリアは、その文面を読んでしばらく黙った。

 人は残っている。土地は失われた。要塞は落ちた。基地も失われた。

 だが、人は残っている。声も、まだ届く。

 レオンは向かいの机で、行方不明者欄を更新していた。サリカ基地の捕虜名簿。白航路通過船団。氷晶回廊の死亡確認。

 その手はいつも通りだった。

 ミリアは、ふと聞いた。

「少佐」

「何ですか」

「もし処分されたら、どうしますか」

「処分内容によります」

「前線に行けなくなったら」

「行ける人を探します」

「監察局から外されたら」

「記録を渡します」

「軍服を脱がされたら」

 レオンの手が止まった。ほんの一瞬だった。

「軍服がなくても、数えることはできます」

 ミリアは、怒りそうになった。だが、今度は少し違った。

 彼は諦めているのではない。自分がいなくなる可能性まで、もう撤退路に入れているだけだ。

 その冷静さが腹立たしく、同時に少しだけ分かった。

「では」

 ミリアは言った。

「その前に、できるだけ残します」

「何を」

「少佐がいなくても、誰かが数えられるように」

 レオンは彼女を見た。何か言いかけたようだったが、結局、頷いただけだった。

 それで十分だった。

     -

 同じ頃、貴族院の奥では、エーベルハルト伯爵が一通の報告を読んでいた。

 報告者は、名前のない事務官。内容は、監察局が証言者を集め始めたというものだった。

 伯爵は、読み終えると静かに紙を置いた。窓の外には、帝都の夜景が広がっている。美しい街。秩序ある街。地図の中心。

 彼はその光景を長く見ていた。

「クラウゼン少佐」

 伯爵は小さく呟いた。

「あなたは、負け方を整えすぎる」

 扉の向こうで、控えていた秘書官が尋ねた。

「いかがいたしますか」

「査問を予定通り進めます」

「証言者が多くなるようですが」

「多い証言は、整理すればよい」

「整理、ですか」

 伯爵は微笑んだ。

「ええ。帝国は、昔から整理が得意です」

 秘書官は頭を下げた。

 伯爵は机上の星図を見た。帝国の地図は、少しずつ小さくなっている。

 だが彼にとって、それ以上に不快なのは、後退した場所から人が戻ってくることだった。戻ってきた者は語る。語れば、誰かが責任を問われる。責任は、上へ伸びてくる。

 それは、好ましくなかった。

     -

 査問は三日後に決まった。

 その通知が正式に届いた時、監察局にはすでに二十七件の証言記録と、十二件の医療報告、八件の船団通信ログ、四件の捕虜名簿が集まっていた。

 ミリアはそれらを分類しながら、星図の白航路をもう一度見た。

 ヴェガの差し出した道。それは罠だった。だが、通った船は生きている。

 サリカは失われた。だが、名簿は残った。

 勝ったのか、負けたのか。まだ、うまく言えない。

 だから、分けて記録する。レオンが言った通りに。

 民間船団。補給基地。捕虜。地図。名簿。それぞれに、違う結果を書く。

 ミリアは最後のファイル名を入力した。

『白航路関連記録 一式』

 そして、その下に査問用の新しいフォルダを作った。

 名前は、少し迷った。貴族院包括査問。それが公式名だ。

 しかし、彼女は別名欄に短く入力した。

『戻った者たち』

 レオンが画面を覗き込んだ。

「正式名称ではありませんね」

「内部整理用です」

「伯爵が嫌がりそうです」

「では、残します」

 グライフ大佐が部屋の奥で笑った。

「中尉、性格が悪くなったな」

「環境のせいです」

「よし、監察局向きだ」

 監察局の外では、帝都の朝が近づいていた。白い塔の向こうに、まだ見えない議場がある。

 次の戦場は、砲火のない場所だった。だが、そこにはこれまでより多くの名前が集まろうとしていた。


続きが気になると思っていただけたら、☆☆☆☆☆で評価いただけますと幸いです。

ブックマークや感想などもいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ