静かな刃
白航路に入る前、民間船団は沈黙していた。
百三十九隻。それぞれの船体には傷があり、応急修理の白い継ぎ目が走っている。古い旅客船、鉱山船、貨物船、医療船、移民船。
護衛艦は外縁で止まっていた。軍艦は入れない。その条件は、想像以上に重かった。
ミリアは監察局の通信室で、船団全体の回線を束ねていた。レオンは白航路出口側の補給配置を調整している。グライフ大佐は、民間補給船を動かすための書類を乱暴に処理していた。
「ローエン商会管理船《ヴァルト二号》、燃料積載完了」
通信兵が報告する。
「《ヴァルト三号》、医療物資積載完了」
「《ヴァルト五号》、酸素ユニット積載完了。ただし船長が契約条件の確認を求めています」
グライフが言った。
「船長へ返信。契約条件は生還後に確認。今確認したいなら、酸素ユニットを自分で担いで行け」
「そのまま送りますか」
「少し丁寧にしろ」
ミリアは船団回線へ声を送った。
「こちら帝国軍務省監察局。白航路進入前の最終確認を行います。各船は民間識別信号を最大出力で維持。軍用暗号波は使用しないでください。予定航路から外れた場合、同盟軍の保証対象外となる可能性があります」
ノアの声が入る。
『つまり、線の上を行けということだな』
「はい」
『線が罠だったら?』
ミリアは一瞬だけ詰まった。
レオンが横から言う。
「罠ごと通ります」
ノアは笑った。
『分かった。船団へ伝える。罠ごと通るそうだ』
「そのまま伝えないでください」
ミリアが言ったが、いくつかの船から小さな笑い声が返ってきた。緊張が少しだけ緩んだ。
白航路への進入が始まる。
一隻目。医療船。
二隻目。移民船。
三隻目。《リベルテ》。
民間船団は、軍艦を伴わず、敵が示した白い道へ入っていった。
ミリアは、すべての識別信号を追った。
同盟軍の艦影は、遠くにある。砲撃圏外。しかし見える距離。見られているというだけで、船団の速度が不安定になる。
「《ミンストレル》、速度低下」
通信兵が言った。
「理由は」
「機関温度低下。白航路から外れかけています」
ミリアはすぐに通信を入れた。
「《ミンストレル》、進路を右舷二度修正。速度を落としすぎないでください」
『無理だ、機関がもたない!』
「《リベルテ》」
ミリアが呼ぶ前に、ノアが答えた。
『見えている。後ろから押す』
「曳航ではなく?」
『押す。曳いたらこっちも線を外れる』
《リベルテ》が進路を微調整し、速度の落ちた《ミンストレル》の後方へ入る。船体を直接接触させるわけではない。推進噴流を使い、相手の進路を押す。
荒っぽい。危険。だが、船乗りの技だった。
《ミンストレル》が白線へ戻る。
ミリアは息を吐いた。同盟軍は撃たない。まだ撃たない。
-
サリカ補給基地に、同盟軍から降伏勧告が届いたのは、白航路進入開始から六時間後だった。
サリカ補給基地は、軍用基地というより、民間支援を併設した補給中継点だった。民間船団がいれば、整備施設は動く。民間技師がいれば、補給船も修理できる。
だが、民間船団が白航路を抜けた今、基地には軍人と少数の技術者しか残っていない。同盟軍は、その空白を見た。
『サリカ補給基地司令部へ。
貴基地は補給機能を喪失しつつある。
民間人の退避は確認した。
これ以上の抵抗は、軍人のみの損耗を増やす。
十二時間以内に武装解除すれば、捕虜として取り扱う』
基地司令官は、帝都へ指示を求めた。帝都の返答は遅い。貴族院軍務委員会は、降伏を認めるはずがない。
だが、現地は持たない。
レオンは、サリカの状況を見ていた。
「少佐」
ミリアが言った。
「サリカから、こちらにも照会が来ています」
「監察局に?」
「はい。『民間人退避完了後の基地維持に関する補給評価を求む』と」
グライフ大佐が低く笑った。
「うまい言い方だな。降伏していいかとは聞いていない」
「答えますか」
ミリアが聞く。
レオンはサリカの物資残量を見た。
燃料、二日。医療物資、五日。砲台稼働率、三割。退避可能艦、四隻。同盟軍包囲完了予測、十四時間。帝都からの指示到着予測、十八時間以上。
数字は、すでに答えていた。
「補給評価を返します」
レオンは短い文面を作った。
『サリカ補給基地は、現有物資および戦力では長期維持不能。
民間人退避後の基地機能は限定的。
人員保全を優先する場合、武装解除または後退を含む現地判断が必要』
ミリアは文面を読んだ。
「降伏しろ、とは書いていませんね」
「補給評価です」
「でも、意味は」
「現地が読むでしょう」
グライフが言った。
「帝都が読んだら怒るぞ」
「怒るでしょうね」
「では送れ。怒られる価値はある」
ミリアは送信した。
-
白航路を抜けた船団は、出口側で民間補給船と合流した。
燃料不足の船から順に補給を受ける。
医療船には、酸素ユニットと凝固剤が渡された。古い移民船には、外壁補修材。《リベルテ》には、船体冷却系の部品。
ノアは通信越しに言った。
『本当に補給船を置いたな』
「必要でしたので」
レオンが答える。
『帝国軍にしては、珍しく手が早い』
「監察局です」
『なるほど。軍より怖いわけだ』
ミリアは船団の通過数を確認した。
白航路進入、百三十九隻。通過、百三十六隻。航路内故障、一隻。乗員救助済み。途中離脱、二隻。現在確認中。攻撃、なし。
同盟軍は撃たなかった。約束は守られた。少なくとも、この一回は。
だが、星図上ではサリカ補給基地が赤く点滅している。民間船団の離脱によって、基地は孤立した。
誰も撃たれなかった。それでも、帝国の地図はまた少し小さくなりそうだった。
ミリアは、画面を見て言った。
「これは、助かったと言えるのでしょうか」
レオンは答えた。
「誰についてですか」
ミリアはすぐには答えられなかった。
民間船団は助かった。サリカ基地は追い詰められた。帝国は拠点を失うかもしれない。ヴェガは撃たずに勝った。
どれも事実だった。
「分かりません」
ミリアは言った。
「なら、分けて記録します」
「分けて?」
「民間船団。サリカ基地。補給線。人的損耗。戦略損失」
レオンは淡々と言った。
「一つの言葉にまとめると、何かが消えます」
ミリアは頷いた。それから、記録を分けた。
-
サリカ補給基地は、武装解除を選んだ。帝都から正式な命令が届く前だった。
基地司令官は、最後に短い報告を送った。
『民間人退避完了。基地機能維持不能。人員損耗回避のため、現地判断により武装解除。捕虜名簿を作成し、同盟軍へ提出。帝国側へも同一写しを送付する』
ミリアは、その文面を読んで胸が詰まった。
捕虜名簿。アルムの時とは違う。今回は、最初から名簿が作られている。
帰る保証はない。捕虜になれば、つらい扱いもあるだろう。だが、少なくとも、なし、ではない。
グライフ大佐が言った。
「帝都は怒るな」
「降伏ですから」
「いや、名簿を先に作ったからだ」
ミリアはグライフを見た。彼は真顔だった。
「名簿があると、消せん」
レオンはサリカ基地の報告を保存した。
「基地司令官の名前は」
「エルンスト・ハイデン中佐です」
ミリアが答える。
「記録してください」
「はい」
「処分される可能性があります」
「分かっています」
ミリアはハイデン中佐の報告書を複製し、監察局、外務省、そして中立ステーションの捕虜関連記録へ紐づけた。
同盟軍が捕虜として扱うなら、その名は両側に残る。また一つ、空欄になる前に置かれた。
続きが気になると思っていただけたら、☆☆☆☆☆で評価いただけますと幸いです。
ブックマークや感想などもいただけると励みになります。




