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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第一部 消えなかった名前たち
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白航路

 敵が示した航路は、白く表示されていた。

 帝国軍務省監察局の星図上で、その線だけが異様に静かだった。

 氷晶回廊の赤い警告。黒嶺補給基地の黄色い遅延表示。アステル観測網の欠けた青。

 それらの中に、自由星系同盟軍が提示した民間避難航路だけが、細い白線として浮かんでいる。

 通行期限、四十八時間。対象、民間船。条件、軍艦随伴なし。保証、同盟軍は同航路上の民間船を攻撃しない。

 通告者、アレクサンドル・ヴェガ。

 ミリア・エーレンベルク中尉は、その白線を見つめていた。

 罠に見えた。罠でないはずがなかった。だが、罠の形が分からない。

「民間船団の数は」

 レオン・クラウゼン少佐が聞いた。

 ミリアは端末を操作した。

「対象宙域に残る民間船は、確認できるだけで二百十八隻。避難民は推定で三万四千から三万八千。船籍はばらばらです。帝国民間船、徴用解除待ちの輸送船、独立商船、医療船も含まれています」

「軍艦は」

「随伴中の護衛艦が十六隻。ただし同盟側条件では、白航路へ入れません」

 グライフ大佐が腕を組んだ。

「護衛を外せと言っているわけだ」

「はい」

「撃たないと言って、守れない場所へ誘導する」

 ミリアは星図を拡大した。

 白航路は、たしかに危険宙域を避けている。低温粒子流の荒れも少ない。同盟軍の砲撃圏にも、ぎりぎり入っていない。

 だが、その航路を使えば、民間船団は帝国の補給基地を迂回することになる。民間船団が抜ければ、その周辺の補給基地は支援対象を失う。軍事拠点としては孤立する。

 つまり、同盟軍は民間人を撃たずに、帝国の拠点を空洞化できる。

「ひどいですね」

 ミリアが言った。

「撃たないだけ、ましとも言える」

 グライフが答えた。

「大佐は、あの航路を使うべきだと?」

「私は監察局だ。使うべきかどうかではなく、使った後に誰が責任を押しつけてくるかを考える」

「それは答えですか」

「答えの一部だ」

 レオンは黙っていた。

 白航路。通行期限、四十八時間。民間船だけ。

 ヴェガは民間人を撃たない。少なくとも、これまでの戦場ではそうだった。グリムワルトでも、カレリアでも、雪線でも。

 だが、それは善意ではない。彼に撃たない理由があっただけだ。

「少佐」

 ミリアが言った。

「信じるのですか」

「信じません」

 レオンは白線を見たまま答えた。

「撃たない理由が、向こうにもあると見ます」

「理由が変われば」

「撃つでしょう」

 その時、外務省戦時調停局から通信が入った。クラリッサ・フォン・ヴァイト参事官の名前が表示される。

『クラウゼン少佐、軍務委員会が臨時会議を開きました。敵の提示した航路を使用することに、強い反対が出ています』

 グライフが鼻を鳴らした。

「強い反対。便利な言葉だな。どのくらい強い」

『エーベルハルト伯爵が、敵の慈悲に民間船を委ねるのは帝国の尊厳に関わる、と』

 レオンは短く言った。

「尊厳で船は飛びません」

 通信の向こうで、クラリッサがわずかに笑った気配がした。

『そのまま議事録に残しますか』

「残さない方がよいでしょう」

『珍しく賢明ですね』

 クラリッサは続けた。

『現時点で正式許可は出ません。ただし、民間船団側が自主的に航路を選択することを、軍は直ちに阻止しない、という曖昧な整理になりつつあります』

「責任を船団に渡すのですね」

『帝都の得意技です』

「民間船団の代表は」

『ノア・カザン船長が、複数船団の調整役として名乗り出ています』

 ミリアは思わず画面を見た。ノア。雪線で凍りかけた《リベルテ》の船長。氷晶回廊で他船を曳いた男。

『彼はあなた方に直接話したいそうです』

 レオンは頷いた。

「つないでください」

     -

 ノア・カザンの顔は、通信画面越しでも疲れていた。

 《リベルテ》は氷晶回廊で中破している。応急修理は終わったらしいが、彼の背後ではまだ修理音が響いていた。

『白い道を使う』

 ノアは前置きなしに言った。

 ミリアが尋ねる。

「船団の総意ですか」

『総意なんてものは、沈む直前の船には存在しない。使いたい船、怖い船、軍の指示を待ちたい船、それぞれだ』

「では、なぜ」

『待てない船がある』

 ノアは画面の外へ視線を向けた。

医療船サフラン、生命維持患者二百。貨物船ミンストレル、暖房系統が半分死んでいる。移民船オルカは氷晶回廊で外殻をやられた。次の低温粒子嵐に入れば、船体がもたない』

「白航路が安全とは限りません」

『分かっている』

「護衛艦は入れません」

『分かっている』

「同盟軍が条件を変えれば」

『撃たれる』

 ノアは短く言った。

『それでも、ここで待てば凍る。撃たれるかもしれない道と、凍る道なら、俺たちは前者を選ぶ』

 ミリアは何も言えなかった。それは勇敢な言葉ではない。切羽詰まった船乗りの言葉だった。

 レオンが聞いた。

「船団をまとめられますか」

『全船は無理だ。白航路を使う船は百四十前後。残りは軍の護衛を待つと言っている』

「分裂しますね」

『最初から一つではない』

「白航路の先は」

『中立宙域の手前まで抜ける。そこから帝国側の別航路へ戻るには、燃料が足りない船がある』

「補給点が必要です」

『だから連絡した』

 ノアは少しだけ嫌そうな顔をした。

『同盟が撃たなくても、燃料切れで漂流したら終わりだ。少佐、帝国側で白航路の出口に補給船を置けるか』

 グライフが横から言った。

「軍艦は入れない条件だ。補給船は?」

 ミリアは通告文を確認した。

「条件には軍艦随伴なし、とあります。民間補給船については明記なし」

「抜け穴だな」

「同盟側が認めるかは不明です」

 レオンは言った。

「民間補給船を出します」

 グライフが顔をしかめた。

「出せる船はあるが、誰の名義で?」

「ローエン商会系列の接収中輸送船」

「またあの船か」

「燃料を積めます」

「書類上は、まだ軍直轄ではなく一時管理だ」

「だから民間船です」

 グライフは数秒黙った。それから、嫌そうに笑った。

「少佐、お前もだいぶ帝都の書類に汚れてきたな」

「清潔な書類では、船が飛びません」

『その船は信じていいのか』

 ノアが聞いた。

 レオンは答えた。

「船は信じなくて構いません。燃料を確認してください」

 ノアは初めて笑った。

『分かった。船長たちにはそう伝える』

     -

 貴族院軍務委員会の会議室では、白航路の是非をめぐって議論が続いていた。

 ルドルフ・フォン・エーベルハルト伯爵は、卓上の星図を見ながら静かに言った。

「敵が提示した航路を通る。これは敗北以上に危険な前例です」

 クラリッサ・フォン・ヴァイトは、礼儀正しく答えた。

「民間船団の生存可能性は上がります」

「短期的には」

「長期的に死ぬよりはよいかと」

 伯爵の眉がわずかに動いた。

「参事官、皮肉は不要です」

「では事実だけを。対象民間船のうち、四十八時間以内に移動しなければ航行不能となる船が少なくとも五十隻。生命維持患者を乗せた医療船も含まれます」

「帝国軍が護衛すべきです」

「護衛航路は低温粒子嵐の影響を受けています」

「ならば嵐が過ぎるまで待つ」

「待てる船と、待てない船があります」

 伯爵は静かに息を吐いた。

「ヴェガ提督は慈善家ではありません。民間船を逃がすことで、周辺補給基地を孤立させるつもりです」

「承知しています」

「ならば、なぜ」

「撃たないと言っているからです」

「敵の言葉を信じるのですか」

「信じるとは申し上げていません。利用できる可能性がある、と申し上げています」

 伯爵はクラリッサを見た。

「あなたも、クラウゼン少佐に似てきましたな」

「それは不名誉ですか」

「危険です」

「似た危険なら、すでに帝国中にあります」

 伯爵の視線が細くなる。クラリッサは淡々と資料を出した。

「現地船団代表から、白航路使用希望が出ています。軍が明確に禁止すれば、民間船団を戦場に留めた責任を問われます」

「民間人は戦況を知らない」

「凍る船の中にいる人間は、少なくとも船の温度を知っています」

 会議室が静まり返った。

 伯爵は資料を閉じた。

「軍艦の随伴は禁止されている。民間船だけを敵の提示航路へ出す。そこで何か起これば、誰が責任を取るのですか」

「民間船団は自主判断。軍は航路情報を提供するのみ」

 クラリッサは言った。

「委員会は、そう整理したいのでは?」

 伯爵は微笑んだ。

「あなたは本当に、外務官僚にしては性格が悪い」

「よく言われます」

「主に味方から?」

「はい」

 それは、どこかで聞いたやり取りだった。

     -

 同盟軍旗艦オルトリーヴでは、白航路へ向かう帝国民間船団の動きが確認されていた。

 副官が報告する。

「帝国民間船、百三十九隻が白航路へ進入準備。軍艦は外縁に留まっています」

「補給船は?」

「民間登録の補給船が三隻、出口側へ向かっています。船籍はローエン商会系列ですが、現在は帝国軍管理下にある可能性があります」

 ヴェガは小さく笑った。

「条件の隙間を使ったか」

「攻撃しますか」

「しない」

「補給船も?」

「軍艦ではない。撃てばこちらが条件を破る」

 副官は不満げだった。

「こちらは民間船を逃がす代わりに、周辺補給基地を孤立させる。それが目的です。補給船を許せば、彼らの損害が減ります」

「損害を減らすための航路だ」

「提督」

「忘れるな。我々は道を示した。道を示した者が、その出口で船を沈めれば、次から誰も道を信じない」

 ヴェガは星図を見た。白航路へ向かう帝国民間船団。外縁に留まる帝国護衛艦。出口側へ回り込む民間補給船。

 クラウゼンの影が見える。彼は敵を信じていない。だが、撃たない理由を読んだ。

「提督」

 副官が別の表示を出す。

「白航路周辺の帝国補給基地、二か所が民間船支援機能を喪失します。特にサリカ補給基地は、民間船団の整備機能に依存していました。四十八時間以内に孤立します」

「なら、予定通りだ」

「基地を攻めますか」

「攻めない」

「では?」

「降伏勧告を出す」

 副官は驚いた。

「軍事基地に?」

「民間支援を失い、補給が切れ、周辺航路は我々が押さえる。撃つ必要があるか?」

「帝国軍は拒否するでしょう」

「中央はな」

 ヴェガは、サリカ補給基地の表示を見た。

「現地はどうかな」


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