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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第一部 消えなかった名前たち
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同時多発撤退戦

 氷晶回廊の機雷原は、予定より早く動いた。

 同盟軍の機雷の一部が、自律移動型だったのだ。除去艇が開いた細い航路へ、機雷がゆっくりと寄ってくる。

 護衛隊長が叫んだ。

「航路維持不能! 再計算が必要です!」

「時間は」

「二十分」

「船団は」

「第一群、航路進入済み。第二群、待機中。第三群、まだ後方です」

 レオンは星図を見た。

 第一群を戻せば、後続と衝突する。第二群を止めれば、粒子嵐に捕まる。第三群を置けば、遅い船ばかりが残る。

 ノアから通信が入った。

『少佐、後方の遅い船をこっちに寄せろ。《リベルテ》で押す』

「機雷が動いています」

『見えている』

「危険です」

『危険でない場所を案内してくれ』

 レオンは機雷の移動速度を見た。除去艇の残弾。曳航可能距離。《リベルテ》の船体強度。

「航路を二本に分けます」

 護衛隊長が声を上げた。

「無理です! 一本でも維持できていない!」

「一本目は民間船団。二本目は機雷を流すための偽航路です」

「偽航路?」

「除去艇で空白を作り、無人標識艇を流します。機雷をそちらへ寄せます」

「標識艇が足りません」

「避難船団の空コンテナを使います」

 ノアが通信で笑った。

『コンテナに灯りをつけて流せばいい。機雷に餌をやるわけだ』

「はい」

『船長たちには俺から言う。荷物を捨てろとな』

「荷物ではなく、空コンテナです」

『船乗りにとっては、空でも財産だ』

「記録します」

『補償してくれるのか』

「努力します」

『なら、期待しないでおく』

 船団の貨物ハッチが開き、空コンテナが放出される。それらに簡易熱源と識別信号をつけ、機雷原の外側へ流す。

 機雷がゆっくりとそちらへ寄っていく。完全ではない。何基かは本航路へ残る。それを除去艇が命がけで処理した。

 船団が動く。一隻ずつ。細い航路を、白い霧の中へ。

 レオンは船名を数え続けた。

 通過。通過。軽微損傷。通過。推進不良、曳航。通過。

     -

 黒嶺補給基地では、第二補給便が出発した。

 だが、その直後に貴族院から正式抗議が届いた。

『監察局による越権行為の疑いあり。補給便は目的地到着後、積荷を凍結し、配分には軍務委員会の再承認を要する』

 若い監察官は青くなった。

「到着しても配れません」

「配る」

 グライフは即答した。

「でも、再承認が」

「黒嶺基地に送れ」

『積荷到着後、凍結措置を実施せよ』

 監察官が目を丸くする。

「大佐?」

「続けて送れ」

『ただし、医療物資、燃料、酸素ユニット、熱交換器、通信部品については凍結対象外とする』

「全部じゃないですか」

「嗜好品と式典用旗は凍結される」

「送っていたんですか、式典用旗」

「帝国はそういう国だ」

 グライフは次の書類を開いた。

「さらに、貴族院へ返信」

『ご指示通り凍結措置を実施。生命維持関連物資は戦時例外規定により即時配分。詳細は後日報告』

 監察官は呆れた顔をした。

「それ、怒られます」

「だから後日だ」

「後日ならいいんですか」

「前線では、後日まで生きていれば勝ちだ」

 グライフは、ふと表情を変えた。

 黒嶺基地から追加通信。

『補給便到着見込み。敵偵察部隊、外縁航路に接近。基地司令部、補給船の受け入れを優先するか、退避準備を優先するか指示を求む』

 グライフは画面を見た。補給を受け入れれば基地に物資が入る。退避準備を優先すれば船は残せる。両方は難しい。

「まったく」

 彼は低く言った。

「どいつもこいつも、指示を求めすぎだ」

 少し考え、返信する。

『補給船は基地へ接岸させるな。外縁で積荷を小分けし、各艦へ直接配分。基地倉庫に入れるな。基地が落ちれば物資ごと失う』

 監察官が言った。

「基地司令部が反発します。基地を信用していないと」

「信用していない」

「大佐」

「基地ではなく、状況をだ」

 グライフは、コーヒーを飲もうとして、空になっていることに気づいた。

「誰かコーヒーを」

「今ですか」

「今だ。補給の話をしている」

     -

 アステルの退避は、静かに始まった。

 ミリアはまず、観測データを三つに分けた。過去データ。現在観測値。予測モデル。

 過去データは暗号化し、中立ステーションの記録庫へ送信。現在観測値は、北方各船団へ分散送信。予測モデルは、アステルの主装置から切り離し、民間船の航行計算機でも読める形式に変換した。

 ユーン所長は、その作業を見て不満そうに言った。

「精度が落ちる」

「はい」

「美しくない」

「はい」

「観測とは、もっと厳密なものです」

「退避も、できれば厳密にしたいです」

 ミリアは端末から顔を上げなかった。

「ですが、時間がありません」

 所長はしばらく黙った。それから、観測員へ指示を出した。

「第三塔の補助センサーを切り離せ。民間規格へ変換する。美しくはないが、死ぬよりましだ」

 観測員たちが動き始める。

 同盟軍の小型艇は、すでに外縁まで接近していた。攻撃はまだない。だが、通信妨害は強くなっている。

 ミリアは要員退避の進捗を確認した。

 第一便、発進。第二便、搭乗中。第三便、機関暖機中。残り、三十四名。

 そこに、通信兵が叫んだ。

「中尉! 主観測塔から自動送信が止まりました!」

「原因は」

「妨害ではありません。内部制御系の凍結です」

 ユーン所長の顔色が変わった。

「主塔が止まれば、予測精度は三割を切る」

「復旧には」

「手動再起動が必要だ。塔の基部へ行く」

 所長は防寒服を手に取った。

 ミリアは彼の前に立った。

「退避準備を」

「聞こえなかったのですか。主塔が止まる」

「聞こえました」

「私は所長だ」

「はい」

「なら、行く」

 ミリアは、一瞬だけ目を閉じた。

 レオンなら、何を問うだろう。必要か。代替はあるか。生還率は。失敗した時、何が残るか。

「所長」

「何です」

「手動再起動に必要な操作は、あなたでなければできませんか」

「訓練された者ならできる」

「何人いますか」

「……六人」

「そのうち、退避船に乗っていない人は」

「二人」

「生還率は」

 所長は答えなかった。

 ミリアが代わりに計算した。塔基部までの移動。低温粒子被曝。同盟軍接近。帰還時間。

「三九パーセント」

 所長は言った。

「なら、行く価値はある」

「帰れなかった場合、操作結果は維持されますか」

「数時間は」

「その後は」

「また落ちる」

 ミリアは端末を操作した。

「主塔は捨てます」

「何だと」

「補助センサーを優先。民間船団の航行センサーを追加。雪線要塞の残存気象装置を引き込みます。主塔復旧より精度は落ちますが、退避は続けられます」

「君は、アステルを何だと思っている」

 所長の声が震えた。

「三十年、ここで観測してきた。北方航路は、この塔で読んできた。この塔を捨てるということが、君に分かるのか」

「分かりません」

 ミリアは答えた。

 所長が息を呑む。

「私は、ここで三十年働いていません」

 ミリアは続けた。

「だから、所長ほど失うものを分かっていません。ですが、退避船に乗る人の数は分かります」

 彼女は画面を見せた。残り三十四名。その中に、所長の名前もある。

「所長がいなければ、散らした観測網を誰も調整できません。塔より、あなたの方が持ち出せるものが多い」

 ユーン所長は、長い間、何も言わなかった。やがて、手にしていた防寒服を机に置いた。

「美しくない」

「はい」

「だが、観測者は生きていればまた観測できる」

「はい」

「その言葉は、君の少佐の受け売りか」

 ミリアは少しだけ考えた。

「たぶん、少し違います」

 所長は、疲れたように笑った。

「なら、君の言葉だ」

     -

 氷晶回廊の避難船団は、八割が機雷原を抜けた。

 だが、全てではない。最後尾の五隻が遅れた。粒子嵐が近づき、機雷の偽航路も崩れ始めている。

 ノアの《リベルテ》は、すでに二隻を曳いていた。

『少佐、もう一隻ならいける』

「船体負荷が限界です」

『船体に聞いたのか』

「数値に出ています」

『船は数値より少しだけ無理がきく』

「壊れたら」

『叱ってくれ』

 レオンは星図を見た。

 残る船は五隻。うち三隻は自力で低速航行可能。一隻は曳航が必要。最後の一隻、貨物船ミルカは推進器損傷。乗員と避難民、百九十名。

 救助艇を送れば、他船団の通過が遅れる。見捨てれば、百九十名。

 護衛隊長が言った。

「救助艇を出しますか」

 レオンは数値を見た。

 救助成功率、四二パーセント。救助に伴う船団全体の遅延、二十三分。その二十三分で、機雷群がどれだけ移動するか。粒子嵐がどれだけ近づくか。

「救助艇を出します」

 レオンは言った。

 護衛隊長が驚いた。

「船団全体が危険に」

「《ミルカ》の乗員を救助した後、船体を偽航路へ流します」

「船体を?」

「熱源として使えます」

 ノアが通信越しに低く言った。

『嫌な使い方だ』

「はい」

『だが、船なら最後に航路を開けるのも仕事だ』

 《ミルカ》から救助艇が人を拾った。全員ではない。百九十名のうち、百七十二名。十八名は、爆発で確認不能となった。

 空になった貨物船は、遠隔操作で機雷群の外縁へ流された。古い船体が、最後の熱を放つ。機雷が寄る。爆発が起きる。

 氷晶の霧の中に、青白い火球が広がった。その間に、最後尾の船団が航路を抜けた。

 レオンは記録した。

 船団通過、五十二隻。大破放棄、三隻。行方不明、二十二名。死亡確認、十八名。避難民搬出、九千六百。

 成功ではない。失敗でもない。

 いつものように、名前を書く余地が残った。


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