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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第一部 消えなかった名前たち
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三つの赤い点

 三つの救難信号が、同じ朝に届いた。

 氷晶回廊。黒嶺補給基地。アステル観測ステーション。

 場所は離れている。状況も違う。

 だが、どれも同じ言葉で始まっていた。

『指示を求む』

 帝国軍務省監察局の主端末が、赤い警告を三つ並べて表示している。

 氷晶回廊では、避難民船団が機雷原の手前で足止めされている。黒嶺補給基地では、補給便の発進許可が帝都の書類手続きで止まっている。アステル観測ステーションでは、低温粒子流の観測網が同盟軍の妨害を受け、撤退航路の予測精度が急落している。

 三つとも、急を要した。三つとも、人がいた。三つとも、待てば悪くなる。

 レオン・クラウゼン少佐は、星図上に並んだ三つの赤い光点を見て、しばらく黙っていた。

 ミリア・エーレンベルク中尉は、その横顔を見た。

 いつものように、彼は数字を読み、優先順位を決めるのだと思った。どこを救うか。どこを捨てるか。どこに何を送るか。

 その判断が下るのを、彼女は待っていた。

 だが、レオンが言ったのは別の言葉だった。

「私は、一か所にしか行けません」

 ミリアは、一瞬だけ何を言われたのか分からなかった。分かっていることだった。当然のことだった。だが、それをレオン自身が口にしたのは初めてだった。

 部屋の奥で、グライフ大佐が冷めたコーヒーを机に置いた。

「ようやく気づいたか。人間の体は不便だな」

「以前から知っていました」

 レオンは淡々と答える。

「知っていることと、認めることは違う」

 グライフは星図を見た。

「氷晶回廊は民間人が多い。機雷原を抜けなければならん。これは少佐向きだ」

「はい」

「黒嶺補給基地は、帝都の承認が詰まっている。これは私が処理する」

 グライフは嫌そうに言った。

「書類が相手なら、まだ撃たれない」

「撃たれないだけですか」

 ミリアが聞くと、グライフは肩をすくめた。

「たまに刺される」

 レオンは、最後の赤い光点を見た。

「アステル観測ステーション」

 ミリアもそこを見た。

 人員百二十三名。低温粒子流観測装置、稼働率四九パーセント。同盟軍小部隊接近。通信不安定。撤退航路予測精度、六一パーセントまで低下。

 アステルは小さい。戦略地図の上では、点にしか見えない。だが、そこが落ちれば北方全域の粒子流予測が鈍る。撤退航路の計算がずれ、避難船団の進路が危険になる。

「中尉」

 レオンが言った。

「アステルへ」

 ミリアは息を止めた。

「私が、ですか」

「はい」

「私は敗戦処理官ではありません」

「通信参謀です」

「指揮権もありません」

「私も、たいていありません」

 レオンは、いつもの調子で言った。だが、それは冗談ではなかった。

「必要なのは、まず現地の通信です。状況を聞き、送れるものを送り、動かせるものを動かします」

 ミリアは星図を見た。

 アステルの赤い光点は、小さい。小さいのに、やけに重く見えた。

 カレリアで、彼女は通信網を作った。アルムで、消された名を拾った。雪線で、命令より先に船を動かした。だが、いつも近くにレオンがいた。判断の芯は、彼にあった。

 今回は違う。

「失敗したら」

 ミリアは思わず言った。

 レオンは答えた。

「記録してください」

「それだけですか」

「次に使います」

 突き放されたようで、奇妙に安心した。

 成功を約束しない。慰めもしない。ただ、失敗すら次の誰かの材料にする。それが、レオンらしかった。

 グライフ大佐が、三つの出張命令を端末に入力した。

「氷晶回廊、クラウゼン少佐。アステル、エーレンベルク中尉。黒嶺は私が帝都から殴る」

「大佐、殴るという表現は記録に残ります」

 ミリアが言うと、グライフは表情を変えずに言った。

「では、書類で殴る、と修正しておけ」

 レオンは出発準備に入った。ミリアも端末を抱え直す。

 その時、三つの赤い光点の横に、新しい推定表示が出た。

 同盟軍作戦指揮官。アレクサンドル・ヴェガ。

 ミリアは小さく息を呑んだ。レオンは画面を見て、静かに言った。

「こちらを分けに来ましたね」

 グライフが鼻を鳴らした。

「なら、分かれたまま仕事をしてやれ」

     -

 氷晶回廊は、美しい場所だった。

 そう言う者は、たいてい遠くからしか見ていない。

 星間航路の両側に、氷晶化した粒子雲が薄く広がり、光を受けて青白くきらめいている。星図上では、銀の糸のように見える細い航路。

 だが、その内側を進む船にとっては違う。

 粒子は装甲を削る。通信は乱れる。推進器は熱を奪われる。航路は狭く、曲がりくねり、さらに同盟軍の機雷が撒かれていた。

 レオンが到着した時、避難民船団は機雷原の手前で止まっていた。船団はおよそ六十隻。軍用ではない。貨物船、移民船、旅客船、修理船、古い鉱山船。

 その中に、見覚えのある船影があった。

 民間船リベルテ。雪線宙域で凍りかけ、曳航された船だ。

 通信を開くと、ノア・カザンの声がすぐに返ってきた。

『また会ったな、少佐』

「凍っていませんね」

『おかげさまでな。今度は爆ぜそうだが』

 レオンは星図を見た。

 氷晶回廊の中央に、同盟軍の機雷群。全てを除去するには時間が足りない。機雷除去隊は、完全安全航路の確保に十二時間を見込んでいた。船団の燃料と粒子嵐の進行を考えれば、そんな時間はない。

 現地の護衛隊長が言った。

「除去完了まで待つべきです。民間船を機雷原へ入れるわけにはいきません」

「十二時間後に船団はどうなりますか」

「それは……粒子嵐の影響を受けます」

「何隻残れますか」

 護衛隊長は答えなかった。

 レオンは機雷分布を拡大した。機雷は密だが、均一ではない。完全に安全な航路は作れない。だが、船幅だけなら。

「全部は開けません」

 レオンは言った。

「船団の最大船幅に、誤差二割。そこだけ通します」

 護衛隊長が顔を変えた。

「危険です」

「はい」

「民間船ですよ」

「はい」

「一隻でも操舵を誤れば」

「爆発します」

 静かな声だった。だからこそ、誰も反論できなかった。

 レオンは船団の速度一覧を出した。

「遅い船は」

 ノアが通信で答えた。

『こっちに回せ。古い鉱山船と修理船は《リベルテ》が曳く』

「あなたの船も、古いですね」

『古い船は、古い船の扱いを知っている』

 レオンは少しだけ目を伏せた。

「燃料は足りますか」

『足りない』

「補給します」

『軍が民間船に?』

「避難船団の最低速度を上げるためです」

 ノアは短く笑った。

『借りは返さないと言ったが、別の船に押しつけるとは言っていない』

 回廊では、機雷除去艇が動き始めた。完全な道ではない。細い道。狭い道。通れば助かるかもしれない道。

 レオンは船団へ通信した。

「これから航路を開きます。安全ではありません。ですが、十二時間待つよりは生存率が高い」

 しばらく沈黙があった。

 それから、民間船の船長たちが一人ずつ応答した。

移民船オルカ、了解』

貨物船ライラック、了解』

『鉱山船《ドワーフ七号》、曳航を頼む』

『《リベルテ》、こっちへ来い。遅いやつから押してやる』

 レオンは星図を見た。機雷原の中に、細い白線が引かれていく。

     -

 黒嶺補給基地の問題は、砲弾より面倒だった。

 砲弾は飛んでくる。避けるか、防ぐか、当たるか。だが書類は、どこから飛んできたのか分かりにくい。

 帝都の監察局で、グライフ大佐は六つの端末を同時に開いていた。

 黒嶺補給基地への第二補給便。出発準備は整っている。燃料もある。船もある。護衛も、ぎりぎりある。

 ないのは、承認だった。

 軍務委員会の再確認。貴族院予算部会の臨時照会。北方開発評議会の物資所有権確認。軍需商会連合の契約保留通知。

 すべて、もっともらしい。そして、すべて遅い。

「大佐」

 若い監察官が青い顔で言った。

「貴族院から、黒嶺向け熱交換器の所有権確認が未了のため、発送を一時停止せよと」

「いつの書式だ」

「最新の第三二号式です」

「却下だ」

「理由は」

「古すぎる」

「最新なのに?」

 グライフは机の下から、埃をかぶった分厚い規則集を引っ張り出した。

「戦時補給特例規則、旧第七条。敵前線接近時、軍務省監察局は所有権確認を補給後に延期できる」

「それ、生きているんですか」

「廃止記録がない」

「誰も使っていないのでは」

「だから使える」

 グライフは古い条文を添付し、発送承認を押した。

 すぐに抗議が来た。エーベルハルト伯爵家の事務官からだった。

『当該規則は現行運用上、適用が疑わしい』

 グライフは返信した。

『疑義受領。補給後に協議』

 監察官が不安そうに言った。

「怒られますよ」

「もう怒っている相手を怖がるな。新しく怒らせる時だけ注意しろ」

 別の通信が入る。黒嶺補給基地側からだった。

『第二補給便、出発許可待ち。敵小艦隊接近。基地司令部、指示を求む』

 グライフは画面を見た。基地に残る燃料。発進待ちの輸送船。搬出予定の医療物資。そして、帝都から積み上がる保留通知。

「指示を求む、か」

 彼は低く呟いた。現場は、いつもそう書く。自分たちで決められることまで、そう書く。決めた後で、帝都が責任を取らないことを知っているからだ。

「黒嶺へ送れ」

 グライフは言った。

『第二補給便、監察局権限により発進承認。

 所有権照合は補給後。

 反対者は、発進済みの船を追って議論されたし』

 若い監察官が目を丸くした。

「最後の一文、必要ですか」

「必要ない」

「消しますか」

「残せ」

 グライフは冷めたコーヒーを一口飲んだ。

「たまには現場にも、帝都が馬鹿をやっていると分かる方がいい」

     -

 アステル観測ステーションは、小さかった。

 艦ではない。要塞でもない。低温粒子流を観測するために、古い小惑星の上に建てられた細長い施設だった。

 白い観測塔が三本。通信アンテナが八基。外壁は粒子で削られ、補修跡が縞のように走っている。

 人員は百二十三名。ほとんどが観測技師と通信要員だった。

 ミリアが到着すると、ステーション所長のサイラス・ユーン博士が出迎えた。

 軍人ではない。白髪混じりの髪を無造作に結び、厚い眼鏡をかけた痩せた男だった。白衣の上に旧式の防寒服を羽織っている。

「帝国軍務省?」

 ユーン所長は不満そうに言った。

「やっと来たのが、軍人ですか。観測データを取り戻せる人ではなく?」

「通信参謀です」

 ミリアは敬礼した。

「エーレンベルク中尉。現地状況確認と通信復旧のため来ました」

「通信なら壊れています」

「壊れているものを見ます」

「観測装置はもっと壊れています」

「そちらも見ます」

 ユーン所長は、彼女を数秒見つめた。

「あなた、クラウゼン少佐の部下ですか」

「はい」

「なら、嫌なほど冷静でしょうね」

「努力します」

 ステーション内部は、騒然としていた。観測員たちがデータ保存を急ぎ、通信兵が途切れた回線をつなぎ直そうとしている。外では同盟軍の小型偵察艇が接近しているとの報告があった。

 ミリアは観測室へ入った。壁一面に、北方宙域の粒子流予測が表示されている。そのうち半分近くが赤く欠けていた。

「観測精度六一パーセント?」

「今は五四です」

 ユーン所長が言った。

「主観測塔二本が妨害を受けています。第三塔もあと三時間で限界でしょう」

「退避計画は」

「ありません」

「なぜ」

「我々が逃げれば、北方の船が迷う」

 所長は画面を指した。

「氷晶回廊も、黒嶺航路も、雪線の残存船団も、アステルの予測を使っている。ここを捨てれば、もっと多くの船が危険になる」

 ミリアは、画面を見た。

 確かにそうだった。アステルは小さい。だが、北方の撤退航路の目だった。

「人員は全員退避可能ですか」

「船はあります」

「では、退避を」

「聞いていなかったのですか」

 ユーンの声が少し荒くなった。

「我々が逃げれば、観測が止まる」

 ミリアは深く息を吸った。

 ここにレオンはいない。彼なら、最初に何を見るだろう。人数。時間。機能。代替手段。失ってよいもの。失ってはいけないもの。

 ミリアは観測塔の配置を開いた。

 正規観測装置。補助観測器。民間船団の航行センサー。旧式低温ビーコン。雪線要塞に残された気象センサー。ノルトハーフェンから来た補給艇の外部計測器。

 ばらばらの小さな目。精度は低い。だが、数はある。

「一つの目を守れないなら」

 ミリアは言った。

「目を増やします」

 ユーン所長は眉をひそめた。

「何を言っているのです」

「観測機能を分散します。ステーション本体のデータは暗号化して送信。主観測塔は自動稼働に切り替え。民間船団と補給艇のセンサーを臨時観測点として使います」

「精度は落ちる」

「はい」

「六割も残らないかもしれない」

「今ここで全員死ねば、ゼロです」

 所長は黙った。

 ミリアは続けた。

「観測を止めないために人を残すのではなく、人が離れても観測が残るようにします」

 自分の言葉が、少しだけ震えていた。だが、逃げなかった。

 ユーン所長は、しばらく画面を見ていた。

「必要なものは」

「通信権限、観測データの複製、民間船団へのセンサー接続許可、退避船の発進準備」

「時間は」

「二時間」

「無理です」

「では、一時間半で始めます」

 ユーンは、初めて小さく笑った。

「嫌なほど冷静だ」

「努力しています」


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