第46話 少年
「…なんて言った?」ルーエが訊いた。
「あゆみを返せ!」
少年がまた叫んだ。
「…アーユ、って聞こえます。」
エリーが子供を抱えて言った。
「アーユ?」
「あゆみ、だっ!
あゆみ、起きろ! キクオが迎えに来た!
あゆみ!」
少年がもがいたが、ルーエに押さえつけられて顔を上げるのが精いっぱいだった。それでも彼は叫ぶ。
「あゆみ!」
エリーの腕の女の子は目覚めなかった。
「…もう、この子は目を覚まさないの。心臓が止まって、ずいぶんと経つの。」
エリーがゆっくりと少年に言った。
「死んでいるんだ。」
ルーエが小声で言った。
「…死んだ?」
少年がルーエを振り払おうとまたもがいた。
「舟に乗るまでは何ともなかった! あの化け物に!」
「ルーエ、何の騒ぎだ!」
カートライトがマイヤー卿やマチュアとともに顔を出した。
「そいつは?」
「亡くなった子供を知っているらしい。」
ルーエが押さえつけていた手を離した。少年が身体をおこした。這うようにしてエリーたちに近づく。少年の動いた後に赤い跡が伸びる。片足から血が出ていた。
「お前、怪我…」
エリーが女の子を抱えて少年のそばに寄った。
少年が女の子に触った。
「冷たい…。
あゆみ… 」
声が消えそうになって、少年が崩れ落ちた。
「おい!」ルーエが身体をゆすったが少年は気を失っていた。
「ルーエ、」カートライトもそばに来た。
ルーエが首筋に手をあて、脈を探す。
「大丈夫、ふれてる。」
「ルーエさん、彼を別の部屋に。パーシバル先生に処置を。」
「はい、センセイ。」
ルーエが少年を抱え上げて部屋を出た。
「貴女も行ってください。」
「マチュア様、」
「私がそばにいますよ。この子、一人にしておけないのでしょう。」
マチュアがエリーの子供を受け取った。
「お願いいたします。」
エリーもルーエたちの後を追った。
隣の部屋で、少年は泥だらけの服を脱がされ、きれいに身体を拭かれていた。まだ意識はない。パーシバル医官が彼の脚の傷を見ている。
「パーシバル先生、」
「裂傷です。縫った方がいいかもしれません。」
エリーも傷口を見る。
「清潔な水と化膿止めの薬はありますか。」
「はい。」
「縫合用の『みかわ糸』は?」
「この傷ぐらいの分はあります。高価ですが、使うのですか?」
「もちろんです。
パーシバル先生、先生が縫合してください。」
「え?」
「先生、外科も担当されていましたね。お願いします。
私は消毒用のお湯をいただいてきます。」
パーシバルが目を丸くしたが、すぐに真顔になる。
「わかりました。」
パーシバルは荷物の中から必要な医療器具を集め、エリーも熱湯の鍋を運んできた。
エリーは、パーシバルの縫合針を熱湯消毒し、清潔な白布の上に並べた。その間にパーシバルは少年の口に白布をかませ、傷口をヨウド水で洗った。
「パーシバル先生、準備ができました。」エリーが言う。
手を綺麗に洗ったパーシバルが針に『みかわ糸』の糸を通し、少年の傷口を三針縫った。少年が少し呻いたが、目を覚ますまでにはならなかった。パーシバルの後、エリーが傷の周りに化膿止めの膏薬を塗り、硬く包帯をした。
「パーシバル先生、ありがとうございました。」
「…嫌味ですか。貴女のほうがお上手でしょ。」
エリーが一瞬、黙ったがそれに微笑んでこたえる。
「私のは、患者さんが痛みを訴えることがあるのです。でも、パーシバル先生の処置で痛みを訴えた方は一人もいらっしゃいませんでした。
パーシバル先生の方が患者さんには良いお医者様です。」
パーシバルがエリーに背中を向けた。
「誰か、この人に付いていてあげてください。」
パーシバルが部屋を見回すと入り口のところで目を止めた。心配そうに見ていたルーエの隣、治療をした少年とそう年齢も変わらない『近衛』の見習いが立っていた。
「君、ついてて下さい。」
「え、私ですか! 私は役目があって…」
「歳も近そうだし、お願いしますね。」
エリーの微笑にロドニーはルーエを見上げた。
「…頼む。」ルーエのひとことにロドニーが頷くと少年の側に椅子をおいて座った。
「目を覚ましたら、隣の部屋に知らせてね。」
「はい。」
エリーとパーシバルが部屋を出た。
「我々は、次は何をすればよいですか、教官。」
(教官?)後ろについていたルーエが小首をかしげた。
(しかし…
センセイ、なぜここにいるんだ?)
◇◇◇
「こんな格好でいるとまた叱られるわね。」
ラナはそう呟くと小さく波が寄せる湖のふちに立っていた。裸足を湖水がなでる。
『どろミミズのせいでよごれてしまったわ!』
『ラナがきたからきれいになった!』
『ラナ、おかえり!』
打ち寄せる小波からたくさんの娘の喜ぶ声がした。ラーナ湖に住まうダーナ・アビスの娘たち。湖水に溶け込んで、このイゼーロを守ってくれている。もとは小さな湖沼群だったが、ラナの両手両足を水脈の根にしてから、大きな一つの湖になった。『ラーナ湖』と名付けたのは領主イゼーロ・アインだ。
「あれは何の魔獣?」
『まじゅうじゃないわ。もっと、きたないものよ』
「汚い?」
『つちは、どろは、わたしたちをきたなくするからきらい!』
「どこから来たの?」
『どろミミズはずっととおくのほうからきたの』
『とおくのほうのオストロフのみずたまりからきたのよ』
「オストロフの水たまり?」
『もっと、もりのおくに、「ゆうしゃ」がまものをとじこめた、ちかどうくつがあるの』
『オストロフはそのばんにんなの』
「『勇者』って、ずっと昔の話でしょ。今の王様は末裔よ。誰も『勇者』を知らないわ。」
『あら、ひゃくねんまえぐらいに「ゆうしゃ」が「ひりゅう」をたいじにきたのよ』
「『火竜』…」
『ひをたいじするのにみずりゅうにちからをかりたのに』
『「ゆうしゃ」はみずりゅうにうそをついたのよ』
「嘘…?」
『みずりゅうをむかえにくるっていったのに、こなかったの』
『みずりゅうはかなしくてあめをいっぱいふらせたのよ』
『「ゆうしゃ」のかわりにオストロフがみずりゅうをなぐさめたのだけど』
『オストロフはみずりゅうをちかにとじこめた』
『「ゆうしゃ」がめいれいしたんだって!』
『だからオストロフはきらい!「ゆうしゃ」もきらい!』
「ねぇ、その『勇者』様のことを教えて?」
『しっているのはなまえだけ』
『みずりゅうがよんでたから』
「名前… 教えて。」
『「ギルバート」!』
「!」
ラナが立ち止まった。
(公爵様が水竜を閉じ込めた!?)
『それからね、』
『どろミミズがきてから、おうたがきこえないのよ。』
「え?」
『ちいさなおとこのこがよくうたをうたってくれるの。』
『とてもじょうず。』
「…。」
『あのこはね、アインのこどもなの!』
(アイン様の子供って、ハル様のことじゃ!?)
「お嬢様!」
水辺にいたラナにメルダが駆け寄った。
「こんなところに!
お部屋にいらっしゃらないので探しましたよ!」
メルダが少し息を切らしている。随分と探させたようだ。
「『王立』のカートライト卿が明日の準備の話をしたいそうです。」
「はい。」
「魔物が出ましたから、警備も考え直さないと。」
「アイン様のところには寄れるのでしょうか?」
「ご領主さまですか。行程が遅れましたから、それも含めてカートライト卿と、」
「お嬢!」
彼女たちの姿を見つけてルーエが駆けよってきた。
「護衛騎士、何やってたの!」
メルダがきつい口調で言う。
「マイヤー卿のところですよ。メルダ殿にいわれていってたんですよ。
溺れた子供らの面倒を見てました!」
ラナが少し笑う。
「ルーエは子供の面倒見がいいから。」
「おっさんなのにね!」メルダも笑っていう。
「メルダ殿、それは余計です。」
「子供たちは…?」
「亡くなった子供が一人。あとは軽傷で保護されています。
しかし…」
ルーエが言葉を濁す。
「どうしたの?」
「『流生人』ってご存じですか?」
ラナが首を横に振り、メルダが少し考え込んで口を開いた。
「…ヴィーデルフェンで起こる『流生』のことよね。違うところから流れ込んできた人をそういうのでしょう?」
「子供らは、『流生人』でした。言葉が通じなくて詳しいことはわからないんですが。」
「…。」
「ヴィーデルフェンからこちらへ連れてこられたようです。」
「なんのために? 働かせるには小さいのでしょ。」
メルダが腕を組んだ。
「店に出すには歳が足りないわ。」
「メルダ殿、」
ルーエの声があきれている。
「あの子たちは、オストロフに捕まっていたようです。
たぶん、魔獣に食べさせるつもりで。」
ルーエの声が小さくなる。
「!」
「もっと酷いじゃない。」
「…コルトレイのときと同じ。」ラナが呟く。
「子供を食べさせるってどういうこと!」メルダが怒っている。
「それで、魔獣を操る…」ラナが呟く。
「はい?」
「前に… コルトレイで魔獣に人を食べさせて操っていたことがあるの。」
ラナの言葉に二人が顔を見合わせる。
「その魔獣が、王様を襲ったのよ。」
「!?」
「王城が壊れた… 王城の庭園が何者かに破壊されたって話か。」
ルーエが呟くようにいう。それにラナが頷く。
「でも、その魔獣は『公爵』様が退治されたのだけど。」
(それで、私はあの方と知り合った…)
「同じことがされているのかもしれない。」
「まさか、イゼーロが!」
「アイン様はそんなことしない。」
「でも、前科があるのですよ。」メルダが言った。
「前科?」
「イゼーロの前のご領主が王家に謀反をおこした、
という嫌疑です。」
(俺にはわからん話だな。)ルーエが目を落とす。
「でも、疑いがはれて『侯爵』に戻られたのよ。」
ラナはそういうと湖に目をやった。
湖面がざわついている。
「私、アイン様にお会いしなくちゃ。」
「お嬢?」
「ハルさまが、ご子息様がご無事か確かめないといけないの!」
「『侯爵』様のお屋敷は、この湖の向こう側ですよ。往復に半日以上は費やすことになりますが、そのお時間があるかどうか。」
メルダが顎に手をやる。
「この湖を船で行けば間に合うかしら。」
二人を見比べてルーエが困惑する。
「えっと、お嬢…。
あの、ご領主さまの旦那様という方がこちらにいらっしゃってます。
まずは、その方にお話を、」
「マチュア様がいらっしゃっているの!
すぐに会います!」
ラナがスカートをたくし上げると裸足のまま湖のふちを駆け上がった。
◇◇◇
眠っている顔が少し動いた。
眉間に皺が寄り、生え際に汗がにじんだ。
ロドニーが少し顔を近づける。
(苦しそうだ。)
自分より少し年下なんだろう。『流生人』といっていた。自分たちと違う言葉をしゃべっている。でも、なんとなく意味は分かる気がした。
そばにあった白布で少年の汗をそっとぬぐった。長い前髪が目元を隠していたが、顔は赤く、熱が出ているらしい。
(お医者様を呼んできた方がいいのかな。)
ふいに白布を握った手首を掴まれた。強い力。
「つぅ!」
眠っていたはずの少年がロドニーの腕を支えに起き上がった。
「おい、」
「声を出すな。腕が折れるぞ。」
なんと言われたかわからないが、強い力がロドニーの手首を捩じ上げる。
「け、けが人だろ。そっちこそ!」かろうじて言葉で抵抗してみるが、役に立たない。
「子供がいるだろう?」
「え?」
「こ・ど・も!」
「…。」
「そこへ連れていけ。」
少年は寝台を下りると、ロドニーと足を引きずりながら戸口へ向かった。




