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第45話  子供

 ルーエは宿の一室で湯をもらって、頭から泥を拭い身体を温めた。髪はなかなか乾かず、渇いた布で巻き上げている。騎士服を着替え、『銀翼』のマントを手にした。

 マントからカサリと包みが落ちた。さっき、ロドニーから渡されたものだ。

 拾い上げた包みをほどくと中から白地の細い平織の帯が出てきた。帯には黒糸で刺繍がされている。まあるい魚っぽい姿。

「これ、うちの看板?」

『クジラ亭』の看板のクジラの絵に似ていた。

(なんで、ガーネット様の奥方様が?)

 包みを振ってみたが、帯以外なにも出てこなかった。

「ルーエ、着替え、終わった?」

 部屋の外からメルダの声がした。

「あ、はい。」

 ルーエが戸を開けた。メルダが一人でいる。

「マイヤー卿が村の集会所に来てほしいって。」

 ルーエが頷いた。ルーエの格好を見てメルダが微笑う。

 あわてて、頭の布を取った。長い白髪が背中に垂れる。

「それ、どうしたの?」

 手にしている剣帯の飾りにメルダが目を向けている。

「え?」

「剣帯の飾りよね。」

「そうなんですか。」

「『近衛』や貴族様が革の剣帯につけるの。

 自分の剣を他のと区別するためだとか。

 奥方様や許婚のご令嬢が大事な方の無事を祈って、手作りして贈るってことも聞いたことがあるわ。

 ふーん、貴方にもそういう彼女が出来たの?」

「え、まさか。」

 ルーエが慌てて剣帯の飾りを上着の内側にねじ込んだ。

「お嬢は?」

「お嬢様も泥だらけでしたから、湯浴みしていただいて、今はお部屋に。」

「…全く、魔物、倒しに来るなんて思っていませんでしたよ。」

「それがお嬢様のお役目だそうですよ。

 無茶しないように見張っておきます。」

「頼みます。」

 ルーエは、メルダをおいて部屋を出た。


 ◇◇◇


 馬車の数が増えていた。

 篝火が立てられ、『近衛』だけでなく同じ制服を着た男たちが数人歩き回っている。領兵か。

「ロダン殿、」

 マイヤー護衛隊長がルーエに気付いて呼び止めた。

「マイヤー護衛隊長閣下、お呼びだとお聞きして。」

「すまない、さっき助けた子供らの事なんだが、」

 マイヤー護衛隊長が困った風に続ける。

「どう世話をすればいいものか、と。『近衛』はこういうのに慣れていないのでな。」

(…だろうな。)

「子供たちは?」

「村の集会所で保護している。

 行こうか。」

 二人が歩き出した。

「子供らに怪我や病気は?」

「わからない。

 その… 子供らと話ができないのだ。」

「?」

「我々の知らない言葉をしゃべっている。」

「?」

「幸いなことにこの先の村に、ご領主の関係の方と療治院の医官と看護師が巡回していて、ここの騒ぎを聞いて駆けつけてくれた。」

「…お医者様ですか、それは幸運でした。」

「今、子供たちのところに。」

 マイヤーが申し訳なさそうに続けた。

「子供らの身元調べや、魔物退治の報告書とか。

 我々が行ったことのないことばかりで、『王立』のロダン殿の力を借りたい。」

 ルーエが頷いた。

「そういうことでしたら。

 文官のカートライト卿も『王立』です。手伝って貰いましょう。」

 集会所の前に人々が集まっていた。

 背の高い騎士や見慣れない制服組の中で、背の低い小太りの身なりのいい中年男が一人いる。茶色い短髪で凡庸な容姿だ。

「マイヤー隊長、イゼーロの領兵団と医師様方が来てくださいました。」

 マイヤーの部下だろうか、若い騎士が二人に頭を下げた。

 小太りの中年男の方がマイヤー卿とルーエを見上げるような感じで穏やかな笑みを見せた。

「イゼーロ侯爵領、領兵団の代表を務めております、イゼーロ・マチュアと申します。」

 名乗った彼にマイヤー卿が大きく頭を下げた。

 マイヤーの振る舞いを見て、周りの『近衛』達も同じように頭を下げた。慌ててルーエも続く。

「ロダン殿、こちらのマチュア様は、イゼーロ侯爵、イゼーロ・アイン様のご夫君であられます。」

「そ、そんな、頭を上げてください。私は称号を持たない者ですよ。ただの領民ですから。」

 マイヤー卿が姿勢をもどすとマチュアが困った顔で笑っていた。

「先程の子供たちは中で医官や看護師の手当を受けています。

 湖が冷たかったのか、怪我より体温が低いのが問題だとかで。」

 マチュアが先に立って集会所に入った。マイヤー卿とルーエも続く。

 子供の小さな泣き声がしていた。

 子供らは一様に短い黒髪で彫りの浅い平たい顔をしている。

 何かを言っているようだが、マイヤー卿の言う通り、知らない言葉だ。なかには放心状態の子供もいる。部屋は暖められていたが、子供らは毛布にくるまっていても震えていた。

 その子らを若い看護師たちが抱っこしている。

「パーシバル医官、子供たちは?」

 マチュアが白の医師服に声をかけた。立ち上がった医官は、三十代半ばに見える女性だった。

 茶色の髪を三つ編みにして白衣の下に入れている。

「マチュア様、十一人、助け出されたのですが、ひとり亡くなりました。今、ここにいるのは十人です。」

「…。」

「亡くなったのは、最後に湖から引き揚げられた子供です。

 私たちが診たときには心臓が止まっていました。」

 ルーエが唇を噛んだ。

「貴殿のせいではない。」

 マイヤー卿がそっと耳元で言ってくれた。

「パーシバル医官、子供たちの身元を調べたいんだ。『近衛』の方に協力してくるかな。」

「承知いたしました、マチュア様。

 ですが、この子たち、言葉が通じないんです。我が国の言葉でもヴィーデルフェンの言葉でもありません。」

「フィアールントでは?」

「違う、私はフィアールントの言葉を学んだことがある。」

 背後からカートライトの声がした。

「身元調書を作れってお前が呼んだんだろう。」

 ルーエを前にカートライトがふてくされている。

「じゃぁ、どこの言葉なんだ?」ルーエが問う。

「…可能性があるとすれば、」カートライトが顎に手をやった。

 マチュアが顔を上げた。

「『流生人』ですね。」

 皆が固まった。


 ◇◇◇


 子供たちが泣いていた。

 いや、泣く力のない子もいる。濡れた身体を震わせて唇は紫色だ。

 着替えをさせようにも濡れた服を両手でつかんで脱がせまいとする。村の女たちの手も借りて顔を拭き、毛布で包んでいるが。

 小さな手が袖を掴んでいた。見上げる子供の黒い瞳には涙が溢れて、何かを訴えているのだろうが、言葉はわからない。医官はその子を抱きしめることしか出来なかった。

「先生、

 マチュア様が皆様を連れて来られました。」

 パーシバル医官が子供を抱きしめていた医官に声をかけた。

 医官が子供を抱き直して顔を上げた。

 数人の男たちがいた。

 その中に彼もいた。

 ルーエは子供を抱きしめている女医に言葉がなかった。

 ヘイゼルの瞳が大きく開かれ、彼を映していた。

 大人たちに囲まれてまた子供らが脅える。

「大丈夫、もう大丈夫。

 皆、あなたたちを助けに来てくれたのよ。」

 言葉は通じないと言っていたが、それでも女医は話しかける。

 子供の握る力が強くなった。エリー医師の腕に顔を埋めている。

 抱きしめるエリーにも力が入る。片手で子供の頭を撫でている。他の子供も彼らを見るとエリーに縋り付き始めた。あっという間にエリーの周りに子供が集まる。

「エリー先生、こちらの『王立』の騎士殿が子供たちの事情を聞いてくれるそうですよ。

 大丈夫そうな子から話ができないだろうか。」

 マチュアがエリーに話しかける。

「…言葉が通じませんが、どうしましょうか。」エリーが子供を抱き直しながら言った。

「脅えも酷くて。まだ、落ちつかないのです。」

 ルーエが前に出て、子供の目線と一緒になるまでしゃがみ込んだ。大きな手で子供の頬に触れる。子供が驚いて固まってしまった。ルーエは頬をそっと撫でる。安心させるように笑みを浮かべた。

 言葉も発せずに笑顔だけを見せている。子供の頬が緩んだ。緊張が少しとれたようだ。

 マチュアがルーエを不思議そうに眺めている。

「あいつの特技です。」

 よこでカートライトが言った。

「よし、」小さく気合を入れるとルーエは子供を膝の上に乗せた。その子がルーエの腕にしがみつく。別の子供もルーエに近づいてきた。手を伸ばし、その子も抱き寄せた。ルーエが子供の目を見て微笑う。少し可笑しげな表情を作ってみる。子供がその顔に少し笑いを返す。やがてルーエの腕にもたれかかってしがみついた。

「カート、まずは安心させないとな。」両腕に子供を抱えてルーエが微笑んだ。

「わかったよ。」

 カートライトも子供を毛布で包みなおしながら頭を撫でていた。泣き声が小さくなり、やがて寝息に変わった。

「話を聞くのは起きてからだな。今は寝かせてやろう。」

 寝入った子供を寝台に並べてルーエが言った。

「では、後は私たちが。」

 パーシバル医官が子供を抱きとった。

「申し訳ありません、マチュア様。子供たちの話をあとにしてしまって。」

 マチュアが頷いた。

「…不思議な方ですね。子供たちが落ち着きました。」

「自分ですか…。

 小さい弟や妹がいましてね、慣れているんですよ。」

 ルーエが頭を掻いた。

 そして、彼の目線がエリーに向けられた。

 エリーも抱いていた子供を寝台に寝かせていた。

 ルーエはエリーに話しかけようとしたが黙ってしまった。

 彼女を傷つけたままだ…。

「マチュア様、ひとり、亡くなってしまいました。」

 少しエリーの声が震えた。

「残念なことでした。

 ここに運ばれてきた時には心の臓が止まっていたというのですから。」

 マチュアが慰めるように言ってくれた。

「マチュア様、先程『流生人』とおっしゃいましたが?」

 ルーエが問いかける。

「ヴェーデルフェンでは、空が裂けて別の世界から人や物が流れ込んで来る事象を『流生』と呼んでいます。『流生人』というのは、流れ込んできた『人』を言うのです。

 彼らは、ヴィーデルフェンの人々とも会話が出来ないそうです。言葉が通じない、と。」

「『流生』なんて… この国では聞いたことがありませんが。」

「ええ、不思議なことにヴィーデルフェンでしか起こらないそうです。」

 皆、言葉がない。

「子供たちはどうなるんですか?」

「帰る場所や親があるなら、そこに帰してやるのが一番なのでしょうが。

 見つからなければイゼーロで保護しなければならないでしょう。」

「亡くなった子はどうするのですか。」

 エリーが小さな声で尋ねた。

「そのままにはしておけませんから、こちらの葬窯に入れることになります。」

 マチュアが答えた。

 ルーエも黙ってしまった。

 エリーが子供たちの元を離れ、ルーエ達のところに来た。

「亡くなった子はどちらに?」エリーが訊ねた。

「奥の部屋に。」パーシバル医官が答える。

「…検視は?」

「まだです。」

「では、私が。」

「エリー先生…」

「きちんと検視をしないと葬窯に入れることはできません。」

「そうですね。」マチュアが言った。

「よろしくお願いいたします。」

 エリーが頷いた。

「検視の記録紙と白布をお願いします。」

 用紙と筆記具、白布が用意された。エリーが手にしようとしたところをルーエに持っていかれた。

「お持ちします、センセイ。」

 エリーはそのまま何も言わず、先に歩いた。ルーエが後を追う。

 奥の部屋の扉を開けると燭台に灯りがともされ、それが四方に置かれて部屋を明るくしている。部屋の寝台に掛布で覆われた小さな人型があった。

 エリーがそばにより、そっと掛布をめくる。

 目を閉じた子供だった。さすがに顔はきれいにされていたが、着ているものは汚れたままだし、見たことのない仕立ての衣服だった。

「ひとりにしてしまってごめんなさい。

 怖かったね。」

 エリーが子供の頬にそっと触れた。

 そして、表情が厳しくなる。

「…記録をお願いします。」

 ルーエが検視の用紙とペンをとった。

 エリーが巻き尺で子供の背を測った。

「背丈は、113セチ、体重は…」

 エリーが困った顔をした。

「秤がありません。」

「秤にはのりませんよ。おおよそでいいですか。」

 ルーエが筆記具を置いて、子供を抱き上げた。

「麦の大袋ぐらいですね。ちょっと少なめで19キグぐらいでしょうか。」

 ルーエの代わりにエリーが書き取りをする。

 子供の遺体は冷たく、硬くなってきている。

 人は死ぬと硬くなる。「死後硬直」だとグラハム先生が言っていたっけ。

 セドリック様より少し小さい。

 この先、まだ長い長い生があっただろうに。

 子供をそっと下す。

「ルーエさん、」

「はい?」

「後ろを向いてください。」

「はい?」

「この子の服を脱がせて身体を見ます。」

「はい。」

「女の子ですよ、貴方に見られるわけにはいきません。」

「え? ええー!」

「書き取りは背中を向けて、できますよね。」

「…わかりました。」

 しぶしぶルーエが彼女らに背中を向けた。服を脱がせる音がする。

「ルーエさん、お願いします。」

「どうぞ。」

「名前はわかりませんが、性別は女児。

 年齢は、背丈と重さ、歯の大きさから七歳から九歳ぐらいと推定。乳歯が残っているので七歳ぐらいかもしれません。

 髪は黒、瞳も黒です。」

 エリーが黙った。ルーエは続きを待つ。

「胸部、腹部に水が溜まっている音がします。

 腹部を押すと口から泥水が滲みます。一気に泥水を飲み込むことになって、窒息したようです。

 死因は、窒息とします。」

 また、エリーが黙った。ルーエもまた待つ。

「…身体の表面に目立った外傷はありません。湖で出来た浅い擦り傷が額と左肩の上にありました。生活反応はありません。亡くなってからついたものです。」

 暫く沈黙が続き、エリーが子供の身体を診ている音だけがする。

「硬直が始まりそうです。死亡後、2刻ぐらい立ったのかもしれません。私たちが到着して2刻ぐらいになりますし。

 ・・・これ以上は、特筆することはありません。」

 ルーエが書き取りを終える。背中では、衣擦れの音がしていた。子供を包んでいるようだ。

 音が静かになるまで待っていた。

「センセイ?」ルーエが呼びかけた。

 エリーは無言だ。

「お手伝いしますか。」

「…大丈夫です。」

「もう、そちらを向いても?」

「…はい。」

 ルーエが振り向いた。

 エリーが白布に包んだ女の子を胸に抱いていた。

「…。」

 女の子の表情は、青白くなっていたが、安らかに見えた。

 唇にほんのりと朱いものがのせられている。

 今年の新色。

 エリーは手鏡でその姿を女の子に見せていた。

「…いいんですか。」

「…いいのです。」

 ふっとルーエが微笑った。が、表情が険しくなる。

「ル、」エリーが呼びかけようとしたのを人差し指を口に当てて止める。

 ルーエは音を立てずに扉の影に立った。

 僅かな時間、そうして身構えた。

 部屋の戸がそろりと少し開く。

 黒い靴のつま先が入ってきた。

 エリーが女の子を抱きしめて目を見張る。

 靴が部屋の中に入り、男服の膝が扉から見えた。

 肩が見えたところで、ルーエが腕を伸ばし、捕まえた。

 石火のごとく、服の背中を掴み、床にうつ伏せに押し倒した。

 ルーエに比べればずっと小柄な少年だった。短い黒髪、まだ薄い筋肉。

「どこの者だ。」

「うっ!」少年が呻いた。

「ルーエさん、押さえすぎです。声が出せません。」

「あ、」

 ルーエが押し付ける手を緩めた。

 少年が二、三度咳き込んだ。

「あゆみを、返せ!」

 少年はそう言ったが、ルーエ達には「返せ」しかわからなかった。


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