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歌劇場が煙に包まれる夜(3)

妄想だの幻覚だのと、口では散々ライナのことを馬鹿にするフォルクハルトだが、なんだかんだと協力してくれる不意打ちの優しさはずるい。


「王子、以前お借りしたブローチが聖堂に置きっぱなしなのですが、もういらっしゃらないのですか」

「安心しろ、もう少し身辺が落ち着いたら顔を出してやる」

「…いえ、王宮を抜け出すことは悪い事ですのでお勧めしている訳ではないのですが、その、急にいらっしゃらなくなったので単純に疑問で…」

「何が言いたいのかさっぱりだが、今手元にある魔力制御に関する文献が解読できたら時間は空く。それまで大人しく待ってろ」


歌劇場の周りには、窓から外を眺めても楽しめるようにたくさんの花や樹が植えられている。

ライナとフォルクハルトは月桂樹が立ち並びヴィオラが咲き乱れるその外周を、縫うようにして歩き正面へ戻った。


フォルクハルトの姿を見て、ドアマン達が驚いて慌てて扉を開ける。

侵入口をウロウロと探し続けていたライナは、あっさりと正面から入場できることに拍子抜けする。

さすが王子だ。


ティルダからは外で待てと言われているが、歌劇が終わるまでに外に戻れば問題ないだろう。

ライナはフォルクハルトの女中であるふりをして堂々と歌劇場へ足を踏み入れた。


「ありがとう存じます。もう中に入れたので王子はどうぞお戻りください。ティルダ様がお待ちのはずですよ」


外から見ても荘厳だった歌劇場は、中へ入ると更に豪華絢爛だった。

大理石がふんだんに使われた真っ白な柱が等間隔に並び、足元には真っ赤なベルベットの絨毯、頭上には様々な歌劇のストーリーを描いた天井画。

金銀で出来た燭台がズラリと並び柔らかな火が灯され、アーチ状の窓の縁には複雑なステンドグラスが取り付けられている。


人気のない通路まで足を進め、ライナはフォルクハルトに頭を下げた。

ティルダがライナに何らかの悪意を持っていると分かった以上、フォルクハルトと行動を共にするのは彼女を刺激する事であり危険過ぎる。

あれだけ気合いの入ったお洒落をして臨んだデートで、相手が途中退席し使用人と会っていた、だなんて万が一バレたらと考えただけで背中の鞭の傷が痛む。

しかしフォルクハルトは怪訝そうに首を傾げた。


「ティルダ嬢なら私を待っているということはないだろう?あの令嬢はただ王妃になりたいだけで私個人に何か感情があるわけではない。VIPボックス席で歌劇鑑賞なんて王族っぽい事が堪能できて今頃十分楽しんでいるはずだ」

「え?そうでしょうか?王子に歌劇に誘って貰えたと大喜びしておりましたが?」

「第一王子の婚約者であることを周りに誇示できるのが嬉しかったのではないか?今夜も周りの客に自分が一番豪華なドレスであると見せつけるのに夢中だったからな」

「…王子はティルダ様との結婚がお嫌なのでしょうか」


急に冷めた目つきでホールの方を見遣ったフォルクハルトに不安を感じて、ライナは尋ねた。

いくらライナがフォルクハルトの妻の侍女という立場を手に入れた所で、フォルクハルトが幸せでないなら意味がない。


「いやそんなことはない。美人で穏やかで気立てが良いし、王妃となるのに十分な気品とプライドがある。これほど王妃の素質があるのはティルダ嬢くらいなものだろう。私は王子として結婚できるなら彼女で構わん」

「それなら良いのですが…」

「そんなことはどうでもいいが、歌劇なんぞよりおとぎ話の謎解きのほうが面白そうではないか。お前、歌劇場の謎については何か考えがあるのか?」


フォルクハルトはすぐにいつも通りの好奇心に満ちた目で笑った。

見たことのない冷たい表情が消え、ライナはホッとする。

フォルクハルトにホールへ戻るつもりがないのなら、人目に付く場所からはさっさと退くのが得策だ。


「よく存じませんが、歌劇場には人を楽しませる為の占い師が常駐していると聞きました。占いに使用する煙草の煙は何か関係ないでしょうか?」

「……占い師だなんてどこから聞いた話だ?」

「スヴェンですが」

「あの男そんな趣味があるのか…」


ライナは最初、何故フォルクハルトが嫌そうな顔をしたのか理解ができなかった。

しかし、すぐに思い知らされることとなる。


「それならこっちだ」とフォルクハルトに先導されて着いたのは、ホールの奥にあるいくつかの部屋のうちの一つだった。

歌劇場には劇を観る為のホールだけではなく遠方から来た客の為の宿泊ルームやお茶を楽しむ為の喫茶サロン、レストランなどが併設されている。

その一角だった。


派手な装飾のされた扉を開けると、そこは地下へ続く階段と暖炉がポツンと設置されているだけの部屋だった。

フォルクハルトは躊躇なくその階段を降りていく。

その先には簡素な木の扉があった。

お前が開けろと目で促されて、ライナが扉を開ける。

その先の様子に、ライナは後ずさりした。


「な、えっ、こ、ここは一体?」

「やはり知らなかったのか。ここは社交シーズンだけ営業している政府公認の高級娼館だ」


イランイランだろうか甘い香りと煙草の苦い匂いが充満するそこは薄暗く、狭い通路の両側に色とりどりの目隠し布が張り巡らされた空間だった。

そこに十何人もの女性が派手なメイクと扇情的な服装で立っている。

中には両腕で胸元を寄せて指で服を下ろしたり、スカートを捲り上げて腰を振る者もいる。


そこにはフォルクハルト以外に数人の身なりの良い男性がいて、目当ての女性の肩を抱くと目隠し布の奥へ消えていった。

あちらこちらから聞こえてくる男女の吐息で、ライナにも何が行われている場所なのかすぐに分かった。


ライナは慌ててフォルクハルトの目を手で覆った。


「い、いけません子供がこんな場所…っ」

「……お前まだ私を子供扱いしているのか?ここには陛下に連れられて以前視察に来たことがある。今更だ」


フォルクハルトはライナの手を呆れ顔で叩き落とした。

その言葉に、ライナは愕然とした。

思わず距離を取る。


「なんだその不潔な物を見る目は?あっお前まさか!言っておくが私は利用してないぞ、国政に関わる者として知っておかねばならぬ場所だったから来ただけだ!」

「あ、そ、そうなのですね…。いえ別に王子が何をしていようがわたくしには関係ございませんが、その、驚いてしまっただけで…」

「利用しているのはお前の騎士だろう。清潔そうな顔をして意外な趣味だ。まぁ独身なんだから好きにすればいいが」

「わたくしのスヴェンを貶めないでくださいませ。スヴェンは生真面目なのです。神に誓った相手としかそういうことは致しません」


ライナにとってスヴェンは父親同然だ。

神に背く行為を行うなど、信じられなかった。

フォルクハルトは溜息をつく。


「お前は随分娼館という場所に偏見があるようだな」

「わたくしは幼い頃から体を触れ合う行為は神の許しを得た男女が行う神聖な儀式だと聞かされて育ちました。お金で神聖な行為を買い、夫婦でもない女性の体に触れるなど、到底許されることとは思えません」


さすがに大きな声では言えず、ライナはヒソヒソとフォルクハルトに詰め寄った。

女神を信仰するこの国で、公然と売春行為が認められていることに納得がいかない。

フォルクハルトは後ろ手で扉を閉めるとライナの手を引っ張り奥へと進み出した。


「お前の言い分は正しいが、貧しさを知らん貴族のものだ」

「え?」

「この国の多くの民にとって、信仰よりもその日のパン、女神よりも己の夢のほうが大事な物だということだ」


ハッと息を飲んだライナは黙り込んだ。


「ここで働く女性のうち多くは上の歌劇場の舞台に立つ事を夢見た役者見習いだ。それから仕事がなくて困った末に辿り着いた者もいる。ここで男性に体を売り金持ちに気に入られれば、オーナーに口添えして貰ったり舞台に上がる為のドレスを貰ったりと本業の役者のほうでパトロンになって貰える可能性がある」

「……考えもしませんでした」

「ここの女性達は己を恥ずかしい存在だとは思っていない。皆誇りを持って夢や生きる為に必死で出来ることをしているだけだ」


珍しく真面目なフォルクハルトの言葉に、ライナは雷で貫かれたような衝撃を受けた。

先程までの自分の発言が唐突に恥ずかしくなり、足をとめた。

ただひたすら豪華で華やかな歌劇場の下で、歯を食いしばって生きる平民達がいることを初めて知った。


突然腕を引かれてフォルクハルトが振り返る。

そして泣きそうな表情で俯くライナを見てぎょっとした。


「お、おい。私は叱った訳ではないぞ。そういう世界もあるんだと言ってるだけだ」

「分かっております。ですがわたくしは自分が恥ずかしい…。今の今まで体を売る女性なんて穢らわしいと心のどこかで蔑んでいたのだと思います。体を売らなくても思う通りに生きていける恵まれた境遇であるからそんな考え方ができたんだわ。わたくしが運が悪いだなんて、今までどの口が言っていたのかしら…」

「いやお前は十分運が悪いから安心しろ。…くそ、だからお前を連れて来るのは嫌だったんだ。泣くな」


フォルクハルトはタキシードの内ポケットから絹のハンカチを取り出してライナに押し付けた。

懐かしいフォルクハルトの部屋の匂いがした。

それから所在無さ気に頭をガリガリと搔く。


「私だってこんな事が公然と許されていいとは思っていない。女性達が身を削らねば思うように生きていけないなど、あって良い訳がないからな。歌劇場だけの問題ではないのだ。その日食べる物に困り放浪する孤児もいれば、強盗をしなければ生きていけない男もいる。この国は平和なんかではない」

「そうなのですわね。初めて知りました…」

「いずれなんとかするにしてもまずは私がこの国を知り、魔力を制御できるようになり、国王になるしかない。いずれ必ずそうするからお前は泣かなくていい」


幼い頃カエルをけしかけてライナを泣かせ喜んでいた少年と同一人物とは思えず、ライナは鼻をすすった。

急にフォルクハルトが頼もしく見えて困る。


「…先程はおこちゃまめと心の中で馬鹿にして申し訳ございませんでした」

「あ!?どういうことだそれはっ」

「あんた達、客?それとも娼婦を売りに来たの?こんな所でイチャついてないでくんない?」


不意に目の前の布がバサリと開けられ、煙草と酒で焼けた低い声がして、ライナは飛び上がった。

見れば、とんでもなくスタイルの良い褐色肌の女性が咥え煙草でシナを作り柱に寄りかかっていた。

化粧はけばけばしいが、若い頃は美人だったであろう中年の女性だ。

太ももの上までスリットの入った大胆なドレスははちきれんばかりの豊かな胸がほとんど丸見えで、ライナは見てはいけないものを見ている気がしてぴゃっと視線を外す。


「やだぁ、王子様じゃないの。火遊びでもしに来たの?良い娘いるわよぉ」

「違う。そなたの占いを買いに来ただけだ。中へ入れてくれないか」


フォルクハルトは対外用の笑顔を貼り付け女性のほうを向いた。

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