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歌劇場が煙に包まれる夜(2)

満月だった月が消え入りそうな程その身を細く変えた頃、ティルダが歌劇へ行く夜がやってきた。


ライナはあれ以来寝る間を惜しんで刺繍に明け暮れていた。

なにせ、通常の雑用業務を減らしては貰えない。

朝から晩まで冷たい井戸で使用人の服を洗濯し続けたあと、聖堂へ戻ってあかぎれだらけの指で朝まで刺繍をする、というような日が何日も続いた。

安息日には実家に持ち帰り、母親や実家の女中に協力して貰ってひたすら刺繍に励んだ。

刺繍糸がゲシュタルト崩壊し見ただけで吐き気さえ催すようになった今日、なんとかティルダの持つ山のような量のストール全てに刺繍を終えることができたのだった。


「侍女は全員付いてきて頂戴ね。あなた達にもフォルクハルト様が歌劇を見せてくださるのですって」


身支度中にティルダは弾んだ声で告げた。

侍女達の中に歓声が上げる。

お供をすればティルダの後ろで歌劇を一緒に見られる為、前日まで使用人ホールでは誰がティルダのお供をするのか揉めていたのだ。


「さぁ出来ましたわ、いかがです姫様!」

「そうねぇ…」


今夜のティルダの装いはこれまでになく気合いが入っていた。

まるでウェディングドレスのような、たっぷりインド刺繍が入った真っ白なプリンセスラインのドレス。

綺麗に編み上げられた金の髪には、王妃でもここまでの物はしないのでは?という程豪華なティアラが乗っている。

ティルダが注文した通り、大きくて真っ赤なルビーがいくつもあしらわれ、その周りを小さなダイヤモンドがびっしり囲っているものだ。

ティアラに合わせて、イヤリングやネックレスも大きなルビーで出来ている。

そこに金のストール。

ライナが、言いつけ通りギッシリミッチリ端から端まで金糸で刺繍をしたストールである。


「…ストールの刺繍のデザインが古すぎるわ」


ティルダは今にも泣き出しそうな顔で、悲しげな声をあげた。

ライナはギクリと身をこわばらせる。


豪華な刺繍をするにはとにかく時間がなかったのだ。

ライナは得意なパターンの中から簡単なものをいくつか選び、それを組み合わせてなんとか豪華に見えるように刺繍を施していた。

この金のストールに選んだのは、オリーブの枝葉とリコリスの花。

オリーブの枝葉が蔦のように絡み合う図案をベースに大ぶりのリコリスを散らしてある。


「もっと、薔薇とかアザミとか、わたくしにふさわしい豪華で緻密なデザインにして頂きたかったわ」

「申し訳ございません。ですが、姫様はお美しいですから刺繍に華がなくてもとても豪華に見えますわ」


必死でフォローしたライナだったが、結局鞭打ち三回の罰を食らってしまった。



中央広場の歌劇場前には、たくさんの馬車が停まっていた。

昼間は商売をする平民達でごった返している広場だが既にその姿はなく、広場はその様相を昼間とは全く変えていた。

真っ暗な中に魔法で灯された街灯が揺らめき、広場の噴水を煌めかせる様子は幻想的だ。


豪華な彫刻で覆われた歌劇場は、イーゼンハイムの垂れ幕が掲げられあちこちに灯された蝋燭で暗闇に浮かび上がっていた。

馬車から色とりどりのドレスを来た貴婦人と正装の紳士が次々におりて巨大なシャンデリアが出迎える歌劇場へ入っていく。


ティルダとは別の馬車で歌劇場へ着いたライナ達侍女は、急いでティルダのいる馬車へ駆け付けてその扉を開けた。

ティルダは王家の馬車から、フォルクハルトにエスコートされながら優雅に降りてくる。


「なんて素敵なのかしら…。わたくしはフォルクハルト様の婚約者で幸せですわ」

「光栄ですティルダ嬢」


ティルダは闇夜に浮かぶ豪華な歌劇場を見上げて感嘆の息を漏らした。

フォルクハルトは公用の眩しい笑みでティルダに応えている。

彼が差し出した腕にティルダが手を絡め、二人は歩き出した。


ライナ達侍女は扉の前で頭を下げて二人が歩き出すのを待ち、その後ろについて歩き出す。

するとティルダが「少しお待ちになって」とフォルクハルトの腕から手を離し、早足で一番後ろにいたライナの元へやってきた。


「ごめんなさいね、ライナ。フォルクハルト様が、わたくしと愛を深め合うひとときに昔の使用人がいると恥ずかしいのですって。申し訳ないのだけれど、あなたはここで待っていてくださる?」


声を潜めてライナの耳元でティルダは囁いた。

ライナが男であったとしたら一発で恋に落ちるだろう、とろけるような甘い声だった。

ライナは目を見開く。


「ここで、でしょうか…」

「えぇ帰りは一緒に帰りましょうね。せっかくここまで来たのに一人で帰すのは可哀想だもの」

「承知致しました、行ってらっしゃいませ。楽しいひとときになりますようお祈りいたしますわ」

「ありがとう、大好きよライナ。楽しんでくるわ」


冬のイーゼンハイムはとても寒い。

そしてアンダーソン家の使用人として見栄えが悪いと、侍女達は皆外套を着ることを許されていない。

薄いお仕着せ一枚で広場で数時間待たねばならないのは中々に酷だ。

可哀想だと思うのならとんぼ返りでいいから先に帰らせてほしいと、普段であればそう思っただろう。


しかしライナはすぐに快く承諾した。

恐らくそんなことだろうと予想していた、ということもある。

しかし最大の理由は別にあった。


”歌劇場が煙に包まれる夜気づけばそこはまるで妖精飛び交う宝石の花畑”


これは例のおとぎ話の一文だ。

歌劇場がおとぎ話の謎に一枚噛んでいることは元々分かっていた。

ライナは歌劇場の謎を探るチャンスを伺っていたのだ。

これはむしろ好機だ。

ティルダがオペラを観ている間に存分に歌劇場を探索できる。


やがて時間が来て、歌劇場の巨大で重たい扉が数人の係員の手によって閉められた。

頭を下げたまま皆を見送ったライナはようやく顔を上げる。


「(上演中に抜け出して探索するつもりだったけれど、まぁいいわ。外から忍び込めばいいだけですもの)」


ライナは馬車の行者にその辺を散策してくると伝え、歌劇場の裏へ回った。

どこか中へ侵入できるような所はないか暫くうろついていると、窓越しにオーケストラの音が漏れてくる。

どうやらオペラが始まったらしい。


裏へまわってみたけれど、寒い外気が入らないよう窓は全て閉められていた。

係員が出入りする裏口なら、と思ったがそこも鍵がかかっている。


「…おい、そこの不審者」

「ひゃあっ」


途方に暮れていると後ろから肩を叩かれる。

振り返ればそこにはタキシードに身を包んだいつもより大人っぽい装いのフォルクハルトが眉を顰めて立っていた。


「もうっどうして王子はいつも後ろから急に声をかけるんですのっ」

「お前が私に気付かないのが悪いだろ!」


久々の再会ではあるが、いつもの通り二人は口喧嘩を始める。

と、すぐにライナがハッとした。


「お待ちください、どうしてこんなところに?姫…ティルダ様はどうなさったんです?」

「ティルダ嬢なら歌劇に夢中だから問題ない。歌劇を観に行けるのがよほど嬉しい様子だったからな。それよりお前だ、何故素直に他の奴らと一緒に来ないんだ?」

「…問題点しかないと思いますが」


ライナは侍女達と共にVIPボックスに取り残されたティルダを思いゾッとした。

彼女はフォルクハルトと愛を深め合うと言ったのだ。

きっと上演中に微笑み合ったり体を寄せ合ったりしたいのであって、ただ歌劇が観れれば満足というわけではないはずだ。

女心のわからないおこちゃまめ、と心の中で舌打ちした。


「わたくしはその、用事があって」

「ティルダ嬢からお前には断られたと聞いたぞ。歌劇に興味がないと」

「……えぇ、まぁ、そうですわね」


歌劇場前でのやり取りを思い出し、どうやらティルダが嘘をついたらしいことが確定してライナは遠い目をした。

しかし馬鹿正直にフォルクハルトにそれを伝えて無駄にティルダへの不信感を煽るのは得策ではない。

ライナはフォルクハルトの話を適当に合わせて流した。


「全く私がなんのためにティルダ嬢を歌劇に誘ったと思ってる」

「あら、親交を深める為にデートにお誘いになったのではなくて?王子も粋なことができるようになったと感心しておりましたが」

「ふん、そうだろう。私だってもう子供ではないのだから婚約者を喜ばせることなど容易だ」


ドヤ顔している所申し訳ないが、デート中に婚約者を残して席を立っているのでは、成長したとは言えない。

するとフォルクハルトはボソリと小声で付け足した。


「…近侍にティルダ嬢をデートに誘うよう言われたのは確かだが、歌劇場にしたのはお前がおとぎ話の謎を解きたがっていたからに決まってるだろうが。侍女なんだから当然一緒に来るかと思えば断ったと聞いて目眩がしたぞ。馬鹿なのかお前は」


ライナは外が暗闇で良かったと心から思った。

恐らく赤くなっているであろう頬を隠そうとフォルクハルトに背を向ける。


「わ、わたくし侍女とは言っても徒弟ですから…」

「まぁ良い。行くぞ」


フォルクハルトはさっさと踵を返し、歌劇場の正面へ歩き出した。

ライナは慌ててそのあとを追った。

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