歌劇場が煙に包まれる夜(1)
失意の底に落とされたライナは、ひとまず日常生活に戻った。
アンダーソン家へ出勤すると、途端に現実に引き戻されたようながっかり感に襲われる。
「姫様が大事にしていたイヤリングが池の中に落ちてしまったの。今日はそれを探しておいてくださる?」
「承知致しました」
相変わらず辛い仕事ばかりがライナに押し付けられた。
丸一日ずぶ濡れになって探したイヤリングは見つからず、その日ライナは一晩馬小屋に閉じ込められる罰を受けた。
すっかり秋も深まり気温が下がった中で、濡れたままの身が夜風に凍みる。
地獄の一晩を耐え抜くと翌朝ティルダが馬小屋を開けに来て「寝室に落ちているのが見つかったからもう探さなくていいわ」と微笑むのだった。
それまで黙って仕打ちを受け入れていたライナが反抗し始めて以来、イジメは狡猾になっていた。
無理難題を押し付け、それに失敗したから仕方なく罰を与えている風を装うのである。
それまでイジメの主導は先輩侍女のエミーリエだったように思うが、ここ最近はティルダがライナへ罰を与えるようになっていた。
「わたくしは可愛いライナにこんな事したくないのだけれど、仕事に失敗した罰はみんなに受けて貰っていることだから…」
と綺麗な顔に涙を浮かべてライナを罰するので、屋敷の人間は皆ティルダの味方だった。
ライナはすっかり「仕事に失敗してばかりで、姫様の手を煩わせる無能な侍女」のレッテルを貼られてしまい、それはそれは肩身が狭かった。
それでも安息日には必ず休みを取った。
「仕事ができない癖に休みだけは一丁前に要求するのね」と嫌味を言われながらも、ライナはもう遠慮しない。
そして休みが取れれば実家へ帰る前に酒場の裏庭に顔を出すのが習慣になった。
パトリシウスにチーズを、トカイアスにワインを差し入れしお喋りを楽しむ。
トカイアスはワインを飲ませる度に紅葉していき、やがて立派に実が熟すと落葉した。
実のほうは気付けばなくなっていて、天使がワイン造りの為に持ち帰ったのだと聞いた。
今の所天界に繋がる道が全て途絶えているライナは、来年のワインが出来上がるのを楽しみにしていた。
フォルクハルトはどうやら忙しいようで、あれ以来聖堂に顔を出していなかった。
もちろん、王宮を抜け出してお忍びで元使用人の元に通うなどあってはならないことなので、良いことだ。
しかしブローチを早く返したいのと、お礼にと吟遊詩人の路地で買ってきた珈琲のことを思うと「あれだけ顔を出していた癖に」と思ってしまう自分もいる。
来たら来たでそんなことをしてはいけませんと叱るつもりなのだが、来ないとなると寂しいものだ。
そんな中、イーゼンハイムは冬を迎えた。
冬のイーゼンハイムは、地方の貴族たちが王都に集まる社交の季節だ。
王都は俄に活気付き、道には豪華な馬車が溢れ、中央広場にある歌劇場や舞踏会が行われる王宮内の薔薇の宮殿に火が灯る。
狩りに賭博、お茶会や舞踏会や晩餐会。
各貴族家庭では招待状を出し合ったり、今年はどこの家と社交をするか真剣に会議がされている。
アンダーソン家でも同様であった。
「みんな聞いて!」
ある日出勤すると、ティルダがはしゃいだように頬を上気させながら侍女達を集めた。
「フォルクハルト様がわたくしを歌劇に誘ってくださったのです…!」
「まぁあっ」
「姫様はもはや政略結婚ではなくて王子殿下に本当に愛されておいでですわねぇ!」
ティルダの発表に、侍女たちが沸く。
フォルクハルトとティルダの婚約は、王家と繋がりを持ちたいアンダーソン家と、絶大な財力を誇る隣の大国の商家と繋がりたい王家による完全な政略結婚である。
しかしティルダはそう何度も会った訳ではないフォルクハルトに本気で夢中のようだった。
あの偉そうで俺様な本性と塔に幽閉されていた事実を、ティルダは知らないのである。
フォルクハルトは人前では完全に猫をかぶっていて、優しそうに微笑む青の双眸にキュンとしない女子はいない。
現在の彼は手足が伸び筋肉が付き体は大人になりつつあるが、美しく整った顔はまだ少年ぽさを残していて、どこか危ういアンバランスな魅力があるのだった。
「早速新しいティアラを注文しなくては!わたくしの金髪が映えるように、ルビーをたくさん使ったプラチナのティアラがいいわ」
「えぇ、そうですわね姫様!」
「ドレスもよ。歌劇場にいるお客の中で一番綺麗なドレスにしなくては次期王妃としてみっともないわ。誰も見たことがないような新しいドレスを着ていくの。ナスタージャから一番売れている仕立て屋を呼んで頂戴。イヤリングやネックレスも大きな宝石を使った一番豪華な物をナスタージャから取り寄せて」
侍女達はうっとりと語るティルダの要望に応える為、慌ただしく動き始めた。
この半年間、ろくに侍女の仕事をさせて貰っていないライナはどうしていいのか分からず、立ち尽くす。
すると、ティルダと目が合った。
「お母さまがね、この国の女性は社交場には手作りの物を身に着けていく風習があると言うの」
「え、えぇそうですわね。婚約者様にご自身の裁縫の腕をお見せする為に…」
ライナは、ここ最近は罰する時以外はほとんど話しかけてこないティルダが何故自分に話しかけているのか分からず戸惑った。
ライナもこの国の貴族の一人である為、風習については知っている。
裁縫は高貴な女性の教養の一つで、できなければ貴族女性として失格とされている。
その為社交場に着ていくドレスやハンカチに自分で刺繍を入れたり、自分で編んだレースを使って髪飾りを作ったりして、男性に自分の教養の高さを見せつけるのだ。
「ですからあなたは社交が始まるまでにわたくしのストール全てに刺繍を入れて頂戴。端っこにほんの少しでは嫌よ。隙間もないくらい、とにかく豪華に、びっしりと金糸で入れるのよ。社交界で一番目立つようにね」
ライナの返答を待たずにティルダはドレスの採寸をしに部屋を出ていった。
その足取りは軽やかだ。
よっぽどフォルクハルトにデートに誘われたのが嬉しかったらしい。
ライナは溜息をついた。
貴族女性達は皆、冬の社交に向けて秋から何ヶ月もかけて刺繍やレース編みを行っている。
それをもうすぐにでも社交が始まろうという今から始めたのでは遅すぎる。
大学卒業後花嫁修業中で家にずっといたはずのティルダは秋の間何をしていたのだろうか。
そもそも、刺繍の替え玉など聞いたことがない。
刺繍の腕は嫁げばすぐにバレてしまうからだ。
各家庭で受け継がれるパターンや、基本を組み合わせて作るオリジナルのパターンなど、それぞれの個性が強く出るものなのだ。
しかし愚痴を言う暇はない。
最初の社交はもう数日後に迫っている。
ティルダは王妃主催のお茶会に出る予定なのだ。
間に合わなければまた罰せられるのはライナだ。
ライナは慌てて作業場へ向かった。




