吟遊詩人の路地にて(了)
ライナの胸ほどまでの身長の店主は脇にあった梯子を器用に抱え、「どれにしようかね」と唸りながら棚の奥へと進む。
やがて梯子を使って高い所から一本の薬瓶を取り出した。
「これはニクシーの水というものだ。うちの店はこれを売っているからニクシーという名前なんだ」
そしてそれをライナに握らせる。
多くても三十ミリリットルしか入っていなさそうな、水色に輝くクリスタルのような細工の瓶だ。
ライナはそれを天井から差し込む日の光にかざしてみた。
「蓋を開けてみな」
言われるがまま、瓶の口の直径に合わせて削られたガラスの蓋を外す。
「そうそう。そうしたら目を閉じて。中の香りを吸ってごらん」
視界を遮断したライナの鼻孔に、ハーブのような香りが届いた。
良い香りだと思った瞬間、遠くの方から浮かび上がってくるように、瞼の裏に物語が流れ始めた。
小さな女の子が、木でできた騎士の人形と踊っている。
ハープの切なげな音楽をバックにゆったりと時が流れていく。
女の子はだんだんと成長し、騎士の人形は黒ずんで汚くなる。
次第に人形は女の子から忘れられ、家の隅で埃をかぶるように。
一筋の涙を流した瞬間、すっかり大人になった女の子が人形を抱き上げ、埃を取り払うと泣きながら彼を抱き締める。
女の子は結婚し家を出ていくのだ。
最後に女の子と踊りを踊った騎士の人形は心が満たされ、女の子の幸せを願う。
そこに女神が現れ……
「ナゥッ!」
「きゃあっ」
突如パトリシウスの声が響いてライナはハッとした。
思わず目を開けると、流れていた物語の情景と音楽が霧散していく。
頭に流れていたのは、小さな頃に母親が聴かせてくれた寝物語の一つだった。
「なんですの、今のは…」
「これがニクシーの水さ。ここにある瓶には全て物語が一つずつ記録されていて、香りを吸うことでそれを見ることができるのさ。香りが逃げるから、蓋をしっかり閉めとくれ」
ライナは瓶の蓋を閉めて店主に返却しながら、これは合法なのだろうか、と心配になった。
何か、幻覚作用的なものがあるヤバい薬なのでは。
ライナが引いている事に気付いたのか、店主が笑う。
「吟遊詩人の路地にはいろんな国の人間が集うだろう?言語はバラバラだし、読み書きのできない平民出身の者もいる。だからこうして魔法を使って物語を売っているのさ。買取もやってるよ」
ライナが納得しているとパトリシウスが付け加える。
「このオッサンが水に物語を込める魔法が得意だから、イーゼンハイムではこの方法ってだけだ。他の国は他の国でいろんな方法で物語を売ってるぜ。今度そっちも見に行くといいよ。マッチに火を灯すと空中に物語が浮かび上がったりな」
それも一見ヤバい薬っぽいけれど面白そうね、と声に出しそうになってライナは口を押さえた。
人前でパトリシウスの言葉に反応してはいけないのだ。
「今回は立ち読みってことでお代はいらないよ。どうやらこの路地は初めてのようだからねぇ」
「ありがとう存じます」
「それで、何をしにこの路地へ来たんだい?吟遊詩人になりたいって訳じゃないんだろう?吟遊詩人の徒弟は皆師匠に連れられてここへ来るもんだ。猫に連れられて来たヤツなんか見たことがない」
店主は再度梯子をよじ登り、薬瓶を元あった場所に戻しながら問いかけた。
ライナはポケットから祭壇画の紙を取り出した。
「わたくしは王都の聖堂にあったこの祭壇画の謎を追って、ここに辿り着いたのです」
「ふむ?」
梯子を片付けた店主に紙を渡す。
ライナは祭壇画の説明をした。
天界の扉絵と対になる絵が島であったこと、宴中の人間達の絵の中にニクシーと思しき女性が紛れ込んでいたこと。
そして、吟遊詩人の路地が島でありそこにニクシーという店があると知って、ここへ来たこと。
店主はしわだらけの顔を更にしわくちゃにして紙を睨みつけた。
「何か、お分かりになりますか?」
「…可能性の話だが。この絵が地図だとして、宴会のテーブルが一区画で、席についている人間を棚と仮定する。するとこの配置はこの店の最奥にある歴史書の倉庫とぴったり一致する」
店主の意見に、ライナはパッと顔を輝かせた。
「では、歴史書の倉庫の中で、絵のニクシーがいる場所の棚を探れば、何かあるかもしれないということですわね?」
「可能性はあるだろうなぁ。だが…」
店主はライナとは対照的に顔を曇らせる。
そして申し訳無さそうに告げた。
「あすこは国防の為に関係者でないと入れない決まりだ。他国に流れると困る資料を保管してあるからな」
「そんな…」
「うなぁー」
「ノラがこれだけ懐いてるってこたぁイーゼンハイムの人間なんだろうけど、万が一他国のスパイってことがあっちゃあ儂のクビが飛ぶもんでね」
しょんぼりと落ち込むライナの隣で、パトリシウスが店主に訴えかけるように鳴きながらライナの足元に頭を擦り寄せる。
しかし店主はすまないなとライナの肩を叩き(かなり背伸びをして)、カウンターへと戻っていく。
フォルクハルトが国防の為に路地には限られた人間しか入れないと言っていたにも関わらず、酒場で吟遊詩人があっさり路地への扉を開いたのはおかしいと思ったのだ。
国家機密を扱っているにしては検問がザル過ぎた。
本当に大事な文献のある部屋は、かなり厳しく人の入りを制限してあるようだ。
しかし、ライナもここで諦める訳には行かない。
この祭壇画のヒントが頓挫してしまうと、女神召喚への道が途絶えてしまう。
そして思い出した。
「そうだわ、王子からブローチをお預かりしていたのでした」
「王子だって!?」
独り言のように呟くと、店主はギョロリとした眼を見開いて振り返った。
悪い人でないことは十分理解したが、いかんせん顔が怖すぎる。
ライナはヒッと短く悲鳴を上げて一歩下がった。
「王子って、イーゼンハイムの第一王子のフォルクハルト・シュトラウス様のことか?」
「えぇ、あの…何かあったら見せるようにって…」
「それを早く言いなさい!見せてごらん、あぁ本物だね。なんだい、嬢ちゃんあの方のおつかいで祭壇画の謎を解いているのかい?」
店主は胸元から虫眼鏡を取り出してライナの差し出したブローチを隅々まで確認し始めた。
心の底から、このブローチを預かっておいて良かったとフォルクハルトに感謝する。
今度何かお礼をしなくてはならない。
店主はアッサリと奥の歴史倉庫へライナを案内した。
「ここが歴史書の倉庫だよ」
何重にも鍵がかけられた場所だった。
ライナの手のひらよりも大きな鍵を使って、店主が一つ一つ錠前を開ける。
錆び付いた扉をスヴェンと店主の二人がかりで開いた。
そこはそれまでのフロアとは異なり、真っ暗な空間だった。
天井のガラスが破られて賊に侵入されないよう、四方八方を壁で囲んであるようだ。
「これを持ってお行き」
店主は壁にかけられていた松明を外し、魔法で火をつけるとスヴェンに持たせる。
ライナはスヴェンとパトリシウスを連れて、そろりそろりと倉庫の中へ入っていった。
後ろから店主も付いてくる。
埃っぽくカビ臭い匂いが鼻を付く。
かなり古くから存在している場所であるらしい。
「確か、右側から二番目のテーブルの、奥から三番目でしたわね」
ずっと同じ瓶が並んでいるのを見ていると、目がおかしくなりそうだった。
ライナは時たま祭壇画の紙に目を落としながら、絵の指し示す場所へ向かった。
密閉された空間に、ハイヒールが石畳を叩く音が不気味に響き渡る。
辿り着いた棚には、二十本程の瓶が並べられていた。
どれも埃をかぶった古い物であることが分かる。
「多いですね…この中のどれがライナ嬢のお目当ての物なのでしょう?」
「う…実際に見てみれば何か分かると思ったのですが…。他の棚となんの違いもない、普通の保管棚ですわね…」
「どうしますか?」
「スヴェン、わたくしのお小遣いはいくら残っています?」
松明をかざして棚を隅から隅まで調べるスヴェンに、ライナは眉を八の字にして向かい合った。
スヴェンが胸元からお金を入れた麻袋を取り出す。
ライナはまだ徒弟期間で、賃金を得ていないので母親からお小遣いを貰っている。
しかし、ライナがそれを持っているとすられたり、開くはずのない穴が開いて中身がなくなったりするので、ライナは少額のみ持ち歩き、その他をスヴェンが管理しているのだ。
「あなたはここ最近家に帰って来ないので使っていないでしょう。かなりあると思いますよ」
「良かった。ご主人、この棚のニクシーの水を全て購入させてくださいませ」
「全て!?嬢ちゃん、銀貨十枚分にはなるぞ!?」
「構いませんわ。わたくしこの謎を解くのに人生賭けているのです。お願いいたします」
そしてライナは二十本の物語を購入した。
ニクシーの水は持ち帰ることができない。
購入して得られるのは中の香りを吸う権利だけだからだ。
ニクシーの水は原則的に一つの物語に一本だけで、半永久的に香りを吸うことができる為、たくさんの人で使い回すのである。
ライナは手分けして二十本の歴史書を読み…いや吸い始めた。
最初はライナとスヴェンで。
しかし見かねた店主がそのうち手伝ってくれて、三人で通路に座り込んで棚中のニクシーの水を制覇する。
パトリシウスは全く興味がなく(あった所で猫なので手伝うことはできないのだが)、暇そうにあくびをし、歴史倉庫の中をお散歩し、戻ってきたと思ったらライナの背中に背中をくっつけて眠ってしまった。
やがて、どのくらいの時間が経っただろうか。
パトリシウスが目を覚ます頃、三人はようやく全てのニクシーの水の中身をチェックし終えた。
「どうかしら…おとぎ話の謎に繋がるようなお話はありまして?」
「いや、こっちは全て過去の税金の徴収に関する資料だった。退屈過ぎて眠ってしまうかと思いましたよ」
「儂の方も駄目だな。六本確認したがどれも麦が不作の年に起きた虫の災害に関する記録書だったよ」
「わたくしも同じですわ。運河の整備や飢饉に関する記録書ばかりでした」
がっくりと肩を落とす。
三人は短時間のうちに大量の情報を頭に詰め込まれ、背中からねっとりと覆い被さるような疲労感に襲われていた。
ライナは最後の力を振り絞って尋ねてみる。
「途中、明らかに最近まで瓶が置いてあったであろう埃の痕がありましたけれど、もしかしてもう一本あるのではないですか?」
瓶は全て均等な間隔で置かれていたにも関わらず、そこだけ抜け落ちたように間隔が開いていて、不思議に思ったのだ。
すると、店主はあぁ!と大きな声を出した。
倉庫中に反響する。
パトリシウスがライナの後ろで毛を逆立てたのが分かった。
「ここはついこの間売れてしまったんだ」
「売れてしまった?一本しかないのに、売ってしまうことがあるのですか?」
「いや、普通は瓶ごと売るなんてしないんだがな。先日はちょっと特別で…」
倉庫に沈黙が降りる。
全員、恐らくその一本が何かのヒントだったのだと頭の中で確信していた。
スヴェンと店主の憐れんだ視線がライナに突き刺さる。
見えないが恐らく背後でパトリシウスも同じ目でこっちを見ているだろう。
ライナは溜息をついた。
「不運だったな、嬢ちゃん」
ライナは心の中で知っています、と答えた。




