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吟遊詩人の路地にて(3)

開けてくれたドアをくぐると、そこはどこか室内の廊下のようで真っ暗だった。

吟遊詩人は笑顔で手を振って扉を閉める。

仕事中だからであろう、一緒には来ないようだ。


スヴェンが魔法で非常用の蝋燭に火を灯し、それを持って真っ暗な廊下を進む。

ライナは小声でパトリシウスに尋ねた。


「パトリシウス、あなたあの酒場でノラってお名前なの?」

「なんだよライナだって本名知る前は野良猫ちゃんって呼んでたじゃないか」

「色んな名前があるのね」

「おう、他にも茶色ちゃんとかおちびちゃんとかミーちゃんとかな」


男らしい声でミーちゃんなどと名乗るものだからライナは噴き出した。

そうこうしているうちに、廊下の先に木の扉が見えた。

扉の周りから外の明かりが漏れ出して、まるで暗闇に扉が浮かんでいるようだ。


ノブに手をかけようとするライナを制してスヴェンが扉を開いた。


「わぁ…!」


扉の先は見たことのない異国の風景だった。

道路も建物も街灯でさえ石でできた商店街のような場所。

先程までの大雨はどこへやら、快晴である。


フォルクハルトは世界中の吟遊詩人が集まる場所と言っていた。

酒場と天気が違うということはやはり国内ではないどこかに魔法で飛んだのだろう。

酒場で扉をくぐった時点なのか、真っ暗な廊下を歩いている最中か、最後の扉を開けた時か。

いずれにしても途轍もなく大きな魔力が働いていることが分かる。


細い道の両端には短い間隔で木の扉と看板が不揃いにかかっている。

看板には文字ではなく絵柄が描かれていた。

それぞれが何かの店のようで、ひしめき合うように路地に並んでいることが分かった。

ライナ達が出てきたのも店の一つだったようだ。

見上げるとスヴェンが開けているドアの上にある看板には獅子の顔と噴水が描かれている。


路地には様々な人種の人間が行き来していた。

中には見たこともない獣人のような姿の者もいる。

鳥のような翼で空中を行き交う者までいた。


「スヴェン見て、吟遊詩人の路地は実在したのよ!」


ライナが振り返るとスヴェンは後ろで扉を開けた形のまま目を点にして固まっていた。


「ほ、本当にこんな場所が…」

「ほらね、わたくしの言った通りでしょう?このパトリシウスが教えてくれたのです。わたくしのお話は本当ですのよ」


ライナは得意げにそう言うと、不要になった雨除けの外套を脱ぎスヴェンに渡す。

スヴェンはぎこちない動きでそれを受け取り、吟遊詩人の路地を見渡した。


「大人になると駄目ですね、自分の想像の及ばない世界があることを露ほども信じていなかった」

「やっぱり信じていなかったのではないですか。ふふ、パトリシウス行きましょう。ニクシーというお店はどこにあるの?」


九歳も年上のスヴェンにライナは普段やり込められてばかりなのだが、久々に優位に立ててとても気分が良い。

未だ戸惑っているスヴェンをよそに腕の中のパトリシウスに話しかける。

パトリシウスは身を捩って腕の中から抜け出すと道路に飛び降りた。


もう酒場ではないので抱っこの必要がなくなったようだ。


「こっちだ。吟遊詩人が言ってたけどおれから離れるなよ?下手に扉を開けると知らない国に飛ばされちゃうからな」

「気を付けますわ。…この路地にはイーゼンハイムの旗がかかっているのですね?」


そのままテチテチと人混みをすり抜けて歩いていくパトリシウスを慌てて追う。

歩いていると、街灯にはそれぞれイーゼンハイムの紋章の描かれた垂れ幕が下がっているのに気付く。


「ここはイーゼンハイムの物語を保管してるイーゼンハイムの路地だからな。一本向こうの通りに出れば別の国の路地になるんだ。吟遊詩人の路地は、そうやっていろんな国の路地が集まって出来ているんだ」

「面白いわね、何日でもいて探索したいくらい」


やがて一つの店の前でパトリシウスは止まった。

髪の長い女性が描かれた金属の看板が揺れている。


「ここがニクシー。物語屋だよ。イーゼンハイムの物語だけを売ってる店なんだ」

「パトリシウス本当にありがとう。早速入ってみましょうか」


ライナは久しく感じたことがない程に胸がときめいていた。

まるで大好きな冒険物語の中に紛れ込んだみたいだ。

知らなかった世界をこの手で切り開き、この目で見ることに心が踊る。

魔力も運もなくただ労働者として地味な人生を全うするはずだった自分が、こんな僥倖を味わえるなんて想像もしていなかった。

人生どう転ぶか分からないとはこのことだ。


ライナは止めようとするスヴェンを押し切り、心臓が高鳴るのを抑えて自分の手でニクシーの扉を開けた。


「…いらっしゃい」


店の中は古本屋のような埃っぽい匂いが満ちていた。

狭いスペースには一対の丸テーブルと椅子があるだけ。

その向こう側にカウンターがあり、無愛想な小柄の初老男が座って新聞を読んでいた。

その奥は何やら天井まである棚が、先が見えない程ズラリと並んでいる。

所々に梯子がかかっているのが見えた。

奥に長細い構造になっているようだ。


ライナの足元に体をこすりつけるようにしてパトリシウスが先に店の中へ入っていった。

中に入っていいものか尻込みするライナをよそに身軽にカウンターへ飛び乗る。


「おや、ノラじゃないか。…嬢ちゃんノラが連れてきた客かい?寒いから入るなら入って扉を閉めて貰えないかね」

「も、申し訳ございません」


慌ててスヴェンと共に店の中へ入り分厚い扉を閉めると、路地の喧騒が締め出され、突然音声がミュートされたように静けさがライナを包み込んだ。

どうやら天井が一部ガラス張りになっているようで、店内はとても明るい。


パトリシウスは店の主人に喉を差し出し撫でて貰いながらゴロゴロと気持ちよさそうな声を出している。

ライナは恐る恐るカウンターへ歩み出た。


「は、はじめまして。わたくしバルヒェット家の長女ライナと申します」

「ふっ、嬢ちゃんお育ちがいいんだねぇ。こういう所ではね、名乗ったりしなくていいもんさ」

「そうなのですね、わたくし何も知らなくて…」

「今日はどうしたんだい?吟遊詩人には見えないが、王族でもなさそうだねぇ」


店主に笑われて、ライナは思い出した。

フォルクハルトが、路地に入れるのは吟遊詩人か王族だけだと言っていた。

名乗ってしまったらそのどちらでもないことがバレバレである。

ライナはサッと青ざめたが、店主は何やらとても香ばしい香りのする黒い飲み物をカップに淹れてライナに出してくれた。


店主は険しい表情で不機嫌そうに見えるがどうもライナを歓迎しているらしい。

顔中に刻まれたシワでそう見えるだけで不機嫌な訳ではないようだ。


少し安心して出された飲み物に口をつける。

そしてあまりの苦さにピッと飛び上がった。


「おや飲んだことがなかったかい?これは隣国のナスタージャで最近男たちの間で流行ってる珈琲という飲み物さ」

「ふむ、これは美味だ。苦味の中に酸味もあって…昔どこかで飲んだ蒸留酒のような複雑な味だが、こんな味のものは初めて口にした…!」


どうやらスヴェンは気に入ったらしい。

戸惑ってばかりだったスヴェンがやっと楽しんでくれたことに笑みがこぼれた。

珈琲が苦くて飲めなかったライナは、口の中の液体をなんとか嚥下し本題を切り出す。


「ここは物語屋さんなのですか?店名のニクシーというのはあの妖精のニクシーのことですの?」

「どうやらなんにも知らないで来たようだね」

「申し訳ございません…」

「構わんさ。こっちへ来てご覧なさい」


店主はカウンターのテーブルを一部上げて、ライナを中へ招き入れた。

奥の棚のほうへ向かっていく店主の後をパトリシウスがついていき、ライナもそれを追う。


カウンターからは分からなかったが、棚には全て同じ形の小さな薬瓶が並んでいた。

中には何やら水薬のようなものが入っている。

それが店の奥までビッシリと並べられているのである。

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