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吟遊詩人の路地にて(2)

「あの、スヴェン?」

「なんでしょう」

「あなたは来なくていいのですよ、安息日なのですから」

「騎士に安息日などありませんし、あなたを放ったらかしにしたらその路地とやらから帰って来ないかもしれないでしょう」


ライナはスヴェンに傘を差して貰いながら大雨で足元が悪い中を歩いていた。

そんなことないと否定したいが前科があるためライナは黙って目を逸らす。


アンダーソン家からは、再度王子やスヴェンをだしに使って強引に休みをもぎ取った。


汚い手だが、最早ライナは良い子でいるのは辞めたのだ。

フォルクハルトには他人をもっと頼れと言われたので存分にネームバリューを使わせてもらうことにする。

そもそも安息日には徒弟は休みという規則があるのにそれを遵守しようとしないアンダーソン家が悪いとライナは思う。


「さぁ着きましたよ。その喋る猫というのはどちらに?」

「うぅ…スヴェンはわたくしのお話全然信じてくださっていないでしょう…」


酒場の裏へ着くとスヴェンがニヤリと笑った。

子供をあやすように言われ、ライナはむくれる。

あの酒場へのおつかいのあと、ライナはスヴェンに一部始終を話していた。


酒場が閉まっていたせいで猫と樹が喧嘩していたこと、猫が自分のことを好きだと言ってくれたこと、樹は呑兵衛でエールを欲しがったこと、そして吟遊詩人の路地のこと。

「あの奇行の説明をしなさい」と笑顔で詰め寄られ、洗いざらい白状したというのに、スヴェンには生温かい目で見られてしまった。


トカイアスが幹を折り曲げてお辞儀したり、エールをかけるよう根元を枝で指し示したりしたのは、スヴェンには何も見えていなかったらしい。

スヴェンから見たライナは、ただ風に揺れる樹と懐いてくる猫に向かって一生懸命話し、挙げ句の果てに樹に酒をぶっかけた不審人物だったという。

とても不気味だったとスヴェンは語った。


「むくれないでくださいよ、ちょっとからかっただけでしょう」


俯いたライナの頭をスヴェンが苦笑して撫でた。

父親が子供にするような手付きは気に食わないが、父親を早くに亡くしているライナはスヴェンに頭を撫でられるのが嫌いではない。


「わたくしのお話は本当ですのよ。ねぇ、貴婦人のトカイアス」

「オホホ、普通の人間にあたくし達のことを説明しても無駄だわよ」


この日も酒場の裏庭で貴婦人のトカイアスは元気だった。

大雨と風で葉や実がバッサバッサと揺れているが、あまり気にしていないらしい。


「この間は安いエールでごめんなさい。今日は家のワインセラーからちゃんとした物をお持ちしましたわ。…でも、この大雨じゃ根元に注いでも薄くなっちゃうかしら?」

「あら気が利くじゃないの!構わないから注いで頂戴」


ライナは家から持ってきたワインをこの間と同じようにトカイアスの根元に注いだ。

事前に説明しておいたので今回はスヴェンも止めない。

ジワリと地面が赤く染まったが一瞬で消えた。

トカイアスを見ると、この間よりも更に紅葉したのが分かった。


「うーん、これも美味しいわ!この間の安酒も美味しかったけれど。また持ってきてくださる?あーたの持ってくる酒はどれも美味しくて気に入ったわ」

「お気に召して頂けて幸いです。また持ってきますわね。パトリシウスはどちらに?」


葉が揺れているが、この間のようにご機嫌で揺れているのか強風に揉まれているのかよく分からない。

ライナが尋ねるとトカイアスは酒場の勝手口を指し示した。


「パトリシウスなら雨に濡れたくないからって酒場の中に入っていったわよ。あーたのこと待ってたわ」

「ありがとう存じます。また参りますわ」



ライナは表へまわり、酒場のドアを開けた。

生憎の空模様だと言うのに、安息日の酒場は盛況だった。


奥の調理場兼暖炉から乾いた熱気が押し寄せる。

暖炉では何かシチューのような物を煮込んでいるようで、アルコール臭や男達の汗の匂いに混じってライナの元まで香りが届く。


吟遊詩人が縦笛で陽気な音楽を奏でる中、屈強そうな男達が粗末なテーブルを囲んでカードをしたり、飲み比べをしたり、武器を磨いていたりする。

皆大声で笑い合い、楽しそうだ。


貴族の家と違い酒場にはシャンデリアもなく、昼間だと言うのに薄暗い。

その中で暖炉や松明の火だけが煌々と男達の赤らんだ横顔を照らしていた。


おつかい以外で酒場に来るのは初めてだ。

足元には鶏が自由に歩き回っていたり、空いた酒瓶が転がっていたりと、貴族のライナには見慣れない景色だった。

ライナは胸の前で手を握り、そっとスヴェンにくっついた。

まだ男達の笑い声が怖いのだった。


怪しげな老人が声をかけてくるのをスヴェンが断ってくれる。

どうやら酒場に常駐している靴磨き職人が営業をかけて来たらしい。


不安になりながらそう広くない店内を見回すと、パトリシウスはカウンターで寝そべっていた。

酩酊している男達の間を縫って、パトリシウスの元へ辿り着く。


「やっと来た!待ちくたびれるとこだったよ」

「ごめんなさい、雨が酷くて」


パトリシウスはライナを見つけるとカウンターで背中を反らせて伸びをして、ライナの胸によじ登ってきた。

この間は抱っこされるのを嫌がっていたのにどうしたのかと驚く。

理由はすぐに分かった。


「ようノラ、今日は美人な姉ちゃん同伴か?」

「やるじゃねぇかノラ!」


カウンターにいた男や店主に、ライナが自分の連れだと分からせる為だったらしい。

パトリシウスはライナの腕の中に収まり、息をつくと前足でちょいちょいと方向を指し示した。


「そこで笛吹いてる吟遊詩人のトコ行きな」

「わ、わかりました」

「おれの言葉に返事すると頭おかしいと思われるぜ?」

「う…」


ライナが言われた通り吟遊詩人に近付くと、パトリシウスは大きな声で鳴き始めた。

じっと吟遊詩人を見つめ、ナーウゥと繰り返す。

すぐに吟遊詩人は演奏をやめてこちらを振り返った。


「なんだいノラ、また路地に行きたいのかい?」

「んなぅー!」


苦笑してライナの腕の中のパトリシウスを撫でる。

細身でニコニコと優しそうな男だった。

男の様子から、どうやらパトリシウスはしょっちゅうこうやって吟遊詩人にねだっているらしいことが分かる。

それから吟遊詩人はライナの顔を見た。


「随分身なりのいいお姉さんだなぁ。ノラが大人しく抱かれてるなんて珍しい。ノラ、この人も一緒に行くということかい?」

「あ、あの、わたくしが共に伺って宜しいのですか?」

「うーん、まぁ、ノラが一緒に行くと言ったら聞かないからねぇ。それに、お姉さんみたいなお貴族丸出しの人はあんまりこういう所に長居しちゃいけないよ。こっちにおいで」


吟遊詩人はライナが名乗っていないにも関わらずライナの素性を当てた。

今日のライナは普段着ているドレスやお仕着せではなく、簡易的な動きやすいドレスだ。

雨避けの黒い外套も着ている。

しかし、平民から見れば分かりやすく貴族の格好であったらしい。


そして吟遊詩人はそれ以上ライナについて尋ねようとしなかった。

こういう場所の作法なのかもしれない。


ライナはパトリシウスを抱いたまま吟遊詩人の後についてカウンターの裏へまわった。

そこには丸いすりガラスの小窓のついた木のドアがある。

一見すると従業員が出入りするドアに見えるが、吟遊詩人はそのドアを開けた。


「いってらっしゃい、お姉さん。ノラとはぐれちゃ駄目だよ」

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