吟遊詩人の路地にて(1)
「デウトロノミオンが存在するとなれば、女神が実在するって言うお前の妄想にも現実性が出てきたな。…その猫と樹自体がお前の幻覚でなければ、だが」
「というか王子、何故またここにいるんです?」
蜂蜜酒とオピーマが手に入らなかったことでしこたま叱られ結局鞭を打たれた復帰初日、深夜に聖堂へ戻ると既にフォルクハルトが寛いでいた。
ご丁寧にいつもの騎士にお茶まで淹れさせ、礼拝用のベンチで深夜のお茶会を楽しんでいる。
「ほっとくとお前が食事しそびれてまた痩せてくからだろうが!」
「わたくしのことよりご自分の心配なさってください。そのうちバレますよ夜遊び。それから騎士を女中のようにこき使うのはおやめくださいませ」
「いいから座れ、そして食べろ」
ベンチには元々はなかった長方形の小さなテーブルがあり、そこに温かいミルクティーとパイが用意されていた。
フォルクハルトは夜の紅茶にミルクを入れない。
ライナの為に用意されたものだと分かり、思わず頬に朱が差す。
ライナはおずおずとフォルクハルトの反対側のベンチに座った。
どこからテーブルを持ってきたのだろうと、マホガニーでできた深い赤褐色のそれを撫でる。
そして気付いた。
これは告解室のテーブルだ。
きっちり閉まっているはずの告解室のドアが、背後で悲しげに揺れていた。
どうやら無理やり取り外してきたらしい。
バチが当たらないかと青ざめる。
「あの…いただきます王子。騎士様、ご用意させてしまい申し訳ございません」
「それでいい」
「私のことはお気になさらず」
フォルクハルトは鼻を鳴らしてそっぽを向き、騎士は苦笑する。
おつかいをこなせなかった罰として食事を与えられなかったライナは、素直にパイに手を伸ばした。
鹿肉を赤ワインや玉ねぎのソースで煮付けたフィリングがたっぷり入っていて、パイ生地にふんだんに使われたバターとマッチして非常に美味しい。
イーゼンハイム王国は秋を迎えて貴族達の狩猟が解禁された所だ。
獲れたての鹿肉は新鮮で柔らかく臭みも全くなかった。
恐らく魔法で運んだのだろう、まるで出来たてかのようにパイはサクサクで湯気が立つ程温かく、少し肌寒くなってきたこの季節には有り難い。
これは王宮の食事だ。
下働きの使用人や貧乏下級貴族が食べられるようなものではない。
「王子、ありがとう存じます。とっても美味しいです」
「そうだろうな。もっと食べろ」
王宮の者に見つかったら絶対にまずいフォルクハルトのお忍びを止められるのはライナしかいない。
騎士は王子に絶対服従を誓っているからだ。
パイを味わっている場合ではなくフォルクハルトを追い返さねばならないのだが、ライナはパイの余りの美味しさに不本意ながら礼を告げた。
フォルクハルトは嬉しそうに口角を上げたあと、それを隠さんとミルクの入っていない紅茶を煽る。
「それで、その猫はなんと?」
「えぇと、特別なワインを手に入れて猫の集会に参加すればデウトロノミオン様を召喚できるそうです」
「なるほどな。しかしそこに至るまでが謎だらけだぞ。まずは妖精の楽園アルベリッヒラントへ行き、ダイヤモンドのドラゴンを作らねばならないのだろう?」
フォルクハルトが照れ隠しに、今日の報告の続きをせがむ。
ライナはパイを食べながらそれに応じた。
お行儀が悪いが仕方ない。
少しでも早くフォルクハルトを王宮へ帰すためだ。
おとぎ話の、デウトロノミオンと乾杯をするくだりの前の文はこうだ。
”妖精たちは金色の美しい髪を揺らして妖精の楽園アルベリッヒラントへ騎士を招待しました。
歌劇場が煙に包まれる夜、気付けばそこはまるで妖精飛び交う宝石の花畑。
騎士はダイヤモンドを摘んでドラゴンを作り女神へ贈ることにしました。”
「そうなのですよ。でもまずは吟遊詩人の路地にあるニクシーから探っていきます。ニクシーは妖精ですもの。もしかしたらアルベリッヒラントのヒントが得られるかもしれません」
「吟遊詩人の路地か…。島であるなど初耳だが、もし本当なら祭壇画が指し示すのはそこで間違いないだろうな」
パイを一切れ完食し、紅茶を飲んでいたライナは驚いてソーサーにカップを戻した。
「吟遊詩人の路地が実在することをご存知だったのですか?」
「うん?あぁ、あそこには各国の歴史をまとめた文献や、この国の機密、神話、法律などありとあらゆる話が保管されているんだ。帝王学の一環で何度か行ったことがある」
「わたくし、吟遊詩人の路地なんておとぎ話だと思っておりました」
「おとぎ話を実行しようとしている女の言葉とは思えんな。最近は吟遊詩人と言えば酒場やパーティで恋物語や戦物語を歌うだけの存在になりがちだが、元々あの者達の仕事は歴史を語り伝え記録することだ。吟遊詩人の路地には膨大な量の国家機密が記録されていて、防衛の為に存在が隠されているんだ」
珍しくフォルクハルトが王子らしく王子の知識を語る姿にライナは驚いていた。
普段は偉そうなだけの俺様少年だが、ちゃんと王になる為の勉強はこなしているのだ。
フォルクハルトは、ライナが失礼なことを考えているのが分かったのか嫌そうな顔をして、ライナの皿にスコーンを放り投げた。
深夜であるし、パイを食べたのでライナは割とお腹いっぱいだが、食べなければフォルクハルトが心配するだろうと半分だけ手をつける。
フォルクハルトは続けて何かブローチのような物を皿に投げ込んだ。
ライナが拾い上げるとそこには王家の紋章であるドラゴンと獅子が対面する絵が彫られている。
「なんですの?これは」
「持っていっておけ。あの路地の通行証のような物だ。あそこに入れるのは本来、吟遊詩人かそれを目指す者か王家の人間だけだ。猫がどうやってお前を入れるつもりか知らんが、何かあった時に役立つだろう」
「これ…!王族のブローチですわよね?持っていけません!」
ライナは慌ててバターの油が残る皿からブローチを救出する。
そして両手に乗せてフォルクハルトへ突き返した。
「そんな大げさな物じゃない。私が吟遊詩人の路地に入る為に必要だと言われて路地で作った安物だ」
「そんな問題では…」
「暫くはあそこへ行く予定はないから構わん。また私がここへ来た時にでも返せば良い」
フォルクハルトは受け取ろうとしない。
しかし、本当にそんな問題ではないのだ。
「王子はわたくしがどれだけ不運かご存知でしょう?わたくしにこんな物を持たせたらどうなるとお思いです?」
「…どうなるって言うんだ」
「突然雷がこのブローチめがけて降ってきて粉々に砕け散るかもしれません。或いは猿か何かに気に入られて奪われるかも…」
「そんな訳ないだろとハッキリ言えないな、お前の場合」
「ですから…」
「しつこい。持っていけと言ったら素直に持っていけ。安物だと言っただろう、なくそうが壊そうが構わん」
フォルクハルトが割と本気で苛立っている事に気付いてライナは黙った。
いつものことながら強引だが、ありがたくお借りすることにした。
「そんな事より、いつ行くんだ?」
「次の安息日にします。酒場なら安息日でも開いておりますでしょう?」
「そうか。次の安息日なら恐らく天気は大雨だ」
フォルクハルトが予言した通り、安息日は大雨だった。




