逃走劇
その場に置いてある水入りコップをそのままにして、興味深そうに見ている少女を背に走り出す。
一瞬呆けていた少女だが、遊んで貰えると勘違いしたのか笑顔で佐伯のことを追いかけてくる。
「な、なんで追いかけてくるんだよ……」
事案にならないために必死に逃げる佐伯だが、これはこれで問題があるのではと考えてしまう。
なにせどう見ても少女と鬼ごっこをしているようにしか見えない。
「待て待て~♪」
少女が嬉しそうに笑顔を見せながら追いかけてくる。
――い、意外と足が速いんだな……。
さすがに魔法は使っていないものの佐伯は勇者だった。
それなりに身体能力は高いはずが、それでも少女はしっかり後ろを付いてきている。
よく見ると足辺りに魔力が集まっているのが見えるので、本能的に強化魔法を使っているのかもしれない。
まだまだ無駄が多い成長途中の魔法であるのはよくわかる。そもそも当人が使っている意識を持っていないのだろうから。
いずれ名を知られるようになるかもしれない。
冷静に分析しているが、現在逃走途中である。
息を殺し、気配を消すとようやく少女は立ち止まり、周りを見渡していた。
「あれっ? おじさんは?」
どうやらまだ完全に気配を消した佐伯は見つけられないようだった。
――今度から危険な気配を感じたらこうしよう。
佐伯はそのまま様子を窺っていると、少女は近くを探し始めていた。
「おじさん、帰っちゃったのかな?」
少女の無邪気な笑顔を見ていると心が痛む。
しかし、少女が懐より扇子を取り出し、顔を隠した瞬間に雰囲気が変わる。
「まさかわしのことに気付いたのか?」
その言葉に無邪気さはまるでなく、威圧すら感じられる。
この感じはエルフの女王とかと話したときに似ている。
――見た目通りの年齢じゃないのか?
異世界だと納得できることだが、現代だと違和感しか覚えない。
それでも目の前にそういった人物がいるのだからあながち間違いでもないだろう。
「この辺りを支配するあやかしの王が討たれたから周囲を探っていたが、まさかあんな怪しい商売人に分した奴がいるとはな。お主、どう思った?」
後ろに控えている黒服の男に向けて扇子を向ける。
「はっ、あやかし同士の争いが起こったのではないでしょうか?」
「それも可能性としてはある。しかし、わしの結界にかからぬ奴だぞ? あやかしだとありえぬな」
――何の話をしているんだ? あやかしって言うと妖怪みたいなものか?
佐伯は有名どころの河童や一つ目小僧なんかを想像する。
まさか自分が倒しているとは思わずに。
「では、一体誰が――」
「おそらくあの者がなにか知っていたのだろうな。あれを見てみろ」
少女の扇子が今度は佐伯の売っていたコップへと向く。
「一体どれほどの気を込めたらあんな道具が作れるのか……。普通じゃありえん」
そっと持ち抱えるとじっくりとコップの装飾を眺める。
中の水が零れるのも気にせずに。
――あぁぁ……、売り物の水が……。
今更取りにいくわけにもいかず、佐伯は固く唇を噛みしめていた。
「絶対に探し出すぞ。あやかしなら倒せ! 人ならば捕らえろ! 九鬼家当主、九鬼茜が許可をする!」
少女がニヤリと微笑むと音を鳴らして扇子を閉じていた。
――と、当主!? ってあの子が家長ってことだよな? どうみてもまともな家じゃないよな。それこそ筋ものの……。
現代にも裏家業を行うものたちがいる。
犯罪組織なんかはずっと問題になっていたが、特に極道とかは一般人だった佐伯にもその名前はよく耳にしていた。
おそらくあの少女もそういった場所の子。
しかも家を引き継いでいて、そこのトップともなると下手な事をすると一瞬で首が飛ぶ。
いや、指を落とされる? それともコンクリートに埋められて海に沈められる?
どちらにしてもまともに生きていられなくなってしまう。
――良い場所だったんだけど、この公園にもいられないな。
せっかく作り出した水はもったいないが、命の方が大事だった。
それに魔力さえあればいくらでも作れる物なのだから。
佐伯は気配を消したままその場から離れるのだった――。
◇ ◇ ◇
バイトもダメ。魔法を見せるのもダメ。水を売るのもダメ。
すでに人生詰んでしまっている佐伯は行く当てなくトボトボと歩いていた。
現代社会でこれほど魔法が使い物にならないとは思っていなかった。
そもそも生活に関することは家電で何とかなるし、移動も車や電車がある。
怪我や病気には病院があるのだから、わざわざ魔法を使う必要もないのだ。
いくら圧倒的魔法を使うことができると言っても、使い道がなければただの宝の持ち腐れ。
魔法が評価に入らないとなると、佐伯はただのアラサー。
しかも住所不定で職歴も怪しい人間になってしまうのだ。
こんな人間が生きていくのは難しいよな……。
乾いた笑みを浮かべていたその時、警察署で出会った二宮の名刺が出てくる。
学生で名刺を持っていて警察署を闊歩する怪しい人間ではあるが、そういった人物だからこそ佐伯に仕事を与えられるのかもしれない。
名刺を取り出して連絡先を見る。
電話番号とメールアドレスが書かれている名刺。
――あれっ、住所は?
当然ながら佐伯は電話を持っていない。
お金もないのだから電話すら掛けられない。
だからこそ直接行こうと思っていたのだが、残念ながら場所がわからない。
運が良ければあの警察署に行けばもう一度会えるだろうが。
ガックリと肩を落とす。
すると、そんな佐伯に声を掛けてくる人物がいた。
「あの、大丈夫ですか?」
思わず背筋が凍り、肩がビクッと震える。
しかし、その声は先ほどの少女のものではなかった。
もっと上の妙齢の女性の声だったのだ。
「えっ、あっ、はい。大丈夫で……す……」
どこかで見覚えのある顔。
しかし、それがどこだったか全く思い出せなかった。
「えっと、どこかでお会いしたことってありますか?」
「ふふっ、こんなおばちゃんを口説くのかしら?」
「そ、そうではなくて……」
優しげな微笑み。
それは、記憶の奥底のまだ異世界へ行く前のときのものだった。
いつも学校で向けられていたその表情。
顔は朧気にしか覚えていない。
十五年の月日が流れ、当時は二十代だった彼女も既に四十近いはず。
それなのにはっきりとした面影を感じ、あの人だと理解できた。
学生だったときの最後の担任の先生だと言うことに。
「柏木……先生?」
「あらっ、私の事を知っているのかしら。キミは……どちら様かしら?」
さすがに先生をしている彼女からしたら受け持った生徒は数知れず。
時が経ちすぎているためにすぐに名前が出てこない様子だった。
しかし、じっと佐伯のことを眺めて、目を大きく見開いていた。
「えっと、ま、まさか……」
驚きのあまりグッと顔を近づけてくる。
信じられないようなものを見る目で佐伯のことを見てくる。
「ま、まさか佐伯浩二くん? で、でも、彼は交通事故で……」
どうやら本当に死んだことになっているようだった。
警察のデータ上では見たものの知り合いに言われると胸が痛む。
「その佐伯浩二です。えっと、帰ってきました……」
その瞬間に先生の目から涙が流れ、そのまま優しく抱きしめてくれる。
「よく……。よく帰ってきてくれました……」
そこでようやく佐伯は元の世界に帰ってきたんだと実感することができた。
しばらく泣いていた先生だが、涙を拭うとなんとか笑みを浮かべようとしてくれる。
「積もる話もありますし、どこか落ち着ける場所に行きませんか?」
「……そうですね」
往来のど真ん中で女性を泣かしているのもどうかと思った佐伯は、素直に頷いていた。
そして、先生の案内で近くの喫茶店へと移動するのだった――。




