第四十九話 まだ寝てない
脱衣所は、六年二組の男子だけでいっぱいになった。
同じ形の籠が並び、どこに服を入れたのか分からなくなりそうになる。俺は端から二つ目を使った。寝間着と下着、タオルを籠に出してから、脱いだ服を空になった姉ちゃんの袋に押し込んだ。
「藤宮、それ何?」
隣の男子が、色のついた袋を見た。
「姉ちゃんに借りた」
「名前、女の名前じゃん」
「だから姉ちゃんだって」
名前が書かれた面を下にして籠に置いた。
浴室の戸を開けると、白い湯気が顔に当たった。
裸になった子が洗い場へ走りだし、すぐ先生に止められた。
「走るな。床が滑るぞ。先に身体を洗え」
空いている椅子に座り、桶で湯をかけた。一日歩いた足には、湯が少し熱かった。
隣では、泡をつけすぎた男子が頭を真っ白にしていた。
「目、開けられない」
「流せばいいだろ」
「桶どこ?」
悠斗が足元の桶を取って渡した。
別の場所では、シャワーの向きを変えたまま栓をひねった子が、後ろの二人に怒られている。声が天井に響き、誰が話しているのか分からないくらいになった。
「家より広いな」
悠斗が髪の泡を流しながら言った。
「みんなで入るところだから」
「泳げそう」
「泳ぐなよ」
そう言った直後、湯船の端で誰かが腕を伸ばした。
「泳がない!」
先生の声が飛んだ。
悠斗が少し笑った。
身体を洗って湯船へ入ると、何人も同時に動いた分だけ湯が揺れた。肩まで入ると熱くて、すぐに肩を湯から出した。
「何分入るの?」
「数えてない」
「百まで数える?」
「長いだろ」
近くにいた男子が二十から急に四十へ飛び、別の子に戻されていた。
俺も一緒に数えていたけれど、三十を過ぎたところで湯船から出た。
脱衣所へ戻ると、冷たい空気が気持ちよかった。
髪をタオルで拭き、寝間着を着る。濡れたタオルをどこに入れるか迷っていると、悠斗が自分の袋の口を開いた。
「しおりに、濡れた物の袋ってあった」
「これか」
荷造りの時、母さんが余分に入れていた透明な袋が出てきた。
着替えを入れてきた袋とは別に、濡れた物を入れる袋も必要だった。
鏡は湯気で白く曇っていた。手で一部だけ拭くと、濡れた髪が片側だけ立っている。
「藤宮、寝癖みたい」
「悠斗も後ろが立ってるよ」
悠斗は鏡の前で首をひねったけれど、自分では後ろまで見えない。近くの男子に髪の立っている場所を教えてもらい、水でもう一度ぬらしていた。
先生が脱衣所の出口で人数を数えた。
「一人足りないぞ」
みんなで浴室を見ると、奥からタオルを頭に載せた男子が走ってきた。
「走るなって、さっきから言ってるだろ」
その子は走るのをやめ、最後の三歩だけ妙にゆっくり歩いた。
* * *
部屋へ戻ると、布団が敷かれていた。
六人分の布団が二列に並び、昼間より部屋が狭い。俺と悠斗の場所は真ん中で、壁にも窓にも届かなかった。
「トランプやろう」
一人が鞄から箱を出した。
布団の間に座り、六人で輪になる。最初はばば抜きだったのに、一回終わると大富豪に変わった。
「八切りあり?」
「何それ」
「八を出したら、その場が流れる」
「うちではなし」
「じゃあ、ここではあり」
「何でお前が決めるんだよ」
始める前から決まらない。
結局、八切りだけありになった。俺は最初の二回で強い札を使いすぎて、そのあとしばらく一枚も出せなくなった。
「藤宮、弱いな」
「たまたまだって」
悠斗は手元の札をほとんど動かさなかった。
何を持っているのか分からないまま、最後に二枚を続けて出した。
「終わり」
「田辺、ずっとそれ持ってたの?」
「うん」
「何で先に出さなかったんだよ」
「出さなくても勝てそうだったから」
悠斗は自慢するでもなく、散らばった札を集め始めた。
「もう一回」
さっき負けた男子が言い、今度は神経衰弱になった。
畳の上に札を広げると、布団の端が邪魔をして何枚か傾いた。俺は一枚をめくり、同じ数字があったはずの場所へ手を伸ばした。けれど、そこにはもう札がなかった。
「そこ、さっき悠斗が取ったよ」
「いつ?」
「今」
言われて見ると、悠斗の前に、今めくった札と同じ数字がそろっていた。
消灯まであと少しになったところで、誰かが布団に倒れ込んだ。
倒れた拍子に枕が転がり、向かいの男子の背中に当たる。
「今投げただろ」
「投げてない。転がっただけ」
枕が投げ返された。
そこから枕が三つ続けて飛んだ。
俺のところへ来た枕を受け取り、最初に倒れた男子へ一度だけ返す。思ったよりまっすぐ飛び、その後ろにいた悠斗の顔に当たった。
「ごめん」
「藤宮、こっちじゃない」
悠斗が枕を持ち上げたところで、戸が開いた。
「何してる」
全員が止まった。
「布団に戻れ。次に音がしたら、トランプも預かるからな」
先生は誰が始めたか聞かなかった。
戸が閉まると、みんな、それぞれの枕を自分の場所に静かに戻した。
電気が消されても、部屋は真っ暗にはならなかった。
廊下の明かりが障子越しに入り、天井板の木目がぼんやり見える。
「まだ寝てない?」
隣から悠斗の声がした。
「寝てない」
「明日の滝、近くまで行くかな」
「しおりには展望台って書いてあった」
「水、飛んでくる?」
「そこまでは来ないと思う」
反対側の布団から、静かにしろ、と声がした。
少し黙ったあと、悠斗がまた小さく言う。
「遼太も、まだ起きてるかな」
「絶対起きてる」
「一組、先生怖いって言ってたけど」
「じゃあ、声だけ小さくしてる」
悠斗が布団の中で笑ったのが、息の音で分かった。
友達と同じ部屋で寝るのは、いつ以来か思い出せないくらい久しぶりだった。
一周目、大人になってからは、電気を消せば、冷蔵庫の音か、外を走る車の音しか聞こえなかった。布団のすぐ横から誰かの体温が伝わってきたり、寝返りで畳が鳴ったりすることもなかった。
今は、足元の布団から誰かの踵がはみ出し、俺の掛け布団に当たっている。
どけようと足を動かすと、向こうも一度だけ動いた。それでも、また同じところへ戻ってきた。
「藤宮」
悠斗がもう一度呼んだ。
「何?」
「いや、寝たかと思った」
「今返事しただろ」
「うん」
それきり悠斗の声はしなくなった。
廊下を先生のスリッパが通り過ぎた。誰かが鼻をすすり、少し離れた布団で寝返りの音がした。




