第十九話 電話線の向こう
夕飯のあと、父さんの部屋から、ピー、ガー、という音がした。
ドアの前で止まると、また細い音が鳴る。
「何してるの」
姉ちゃんが後ろから言った。
「別に。ちょっと聞きたいことあるだけ」
「またゲーム?」
「違う。まあ、少しは関係あるけど」
父さんが中から言う。
「入るなら入れ。そこに立たれると邪魔だ」
ドアを開けると、父さんはパソコンの前に座っていた。
画面の端に、小さい窓が出ている。
まだ何も表示されていない。
「つながってるの?」
「今つないでる」
音がもう一度鳴った。
電話みたいで、電話じゃない。
俺が立ったまま見ていると、父さんが椅子を横にずらした。
「何を調べるんだ」
「通信ケーブル」
「見るだけだぞ」
「うん」
父さんはマウスを動かして、検索のページを開いた。
文字を打つのも、今の感覚だと遅い。
でも、画面が変わるまでの方がもっと遅かった。
「まだ?」
「待て」
「押せてないんじゃないの」
「押せてる」
姉ちゃんが部屋の入口からのぞく。
「今、電話使えないの?」
「今は使えない」
「えー」
「すぐ終わる」
父さんが言うと、姉ちゃんはあきらめたような顔をした。
「どうせすぐ終わらないんでしょ」
そのまま廊下へ戻っていく。
画面に、ようやく父さんが打った文字が出てきた。
検索欄には、ゲームボーイカラー 通信ケーブル、と入っている。
父さんは検索結果を見ながら、眉を寄せた。
「いくつか出てるな」
「売ってる?」
「売ってはいる」
「本屋にはないよな」
「普通はないだろうな」
父さんはページを一つ開いた。
画像が上から順に出てくる。
最初に文字だけが出て、それから線みたいな絵がゆっくり増えた。
「遅」
「これでも便利なんだぞ」
「便利だけど遅い」
「そういうものだ」
俺は画面を見た。
通信ケーブルの写真が出ている。
攻略本で見た絵より、安っぽく見えた。
「これ?」
「たぶんそれだな」
「いくら?」
父さんが値段のところを指で追う。
「千円ちょっとか」
「じゃあ、買えそう」
「すぐ買おうとするな」
「まだ買うって言ってない」
「本体を買ったばかりだから、すぐには買わないぞ」
それを言われると、返しにくかった。
千円ちょっと。
四億円から見れば、何でもない。
「じゃあ、いつならいい?」
「父さんが休みの日に、店で見てからだ」
父さんは画面を閉じずに、後ろへもたれた。
「欲しいものが増えるのは分かる」
「うん。でも、あったら二人でできるし」
「ただ、一個買ったら、次のもすぐ欲しくなるだろ」
「それは昨日も考えた」
「なら、少しは我慢しろ」
だめ、と言われたわけじゃない。
でも、すぐには無理だった。
「遼太に調べといてって言われた」
「買うとは言ってないんだな」
「言ってない。調べるだけって言った」
「そうか」
父さんはそれで終わりにするみたいに、通信ケーブルのページを閉じた。
まだ画面を見ていたかったので、残念だった。
でも、父さんはパソコンを切らなかった。
机の横に置いてあった封筒を取る。
銀行でもらった書類が、何枚か入っていた。
「ついでに、こっちも見るか」
「何を見るの」
「お前の金の管理の仕方」
通信ケーブルの話から急に離れて、背中が固くなった。
「今?」
「今、パソコンをつないでるからな」
「それ関係ある?」
「少しはある」
父さんは銀行のページを開こうとして、途中でやめた。
「いや、これはあとでいいな」
「いいの?」
「紙の方を見る」
父さんはその中から一枚出した。
「受け取ったら、銀行に入れるんだよな」
「当分はそのつもりだ」
「全部?」
「最初はな」
父さんは紙を指で押さえた。
「使う分。残す分。将来のために貯金する分。そのへんを分ける」
「将来のために貯金する分って、普通の貯金?」
「貯金もそうだ」
貯金も。
その言い方が引っかかった。
「株?」
父さんの指が止まった。
「覚えてたのか」
「前に聞いたから。父さんのパソコン見た時」
「小四で株の話も変だけどな」
「変じゃない」
父さんは笑わなかったけど、怒りもしなかった。
「株って、普通の人でも買えるんだよな」
「買えるものはある」
「俺の名前でも?」
「そこは父さんたちが確認する」
父さんは考える。
「ただ、お前が一人で買うものじゃない」
「俺だけでできるとは思ってない」
「本当に分かってるか?」
「通信ケーブルも一人で買えないし」
父さんが笑った。
「新聞に載ってるやつ?」
「株価欄か」
「うん」
「あれは細かいぞ」
「見ても分からない?」
「お前にはまだ、ほとんど分からないと思うぞ」
「父さんは分かる?」
「全部は分からん」
父さんはそう言って、紙の端を指でそろえた。
「調べるの?」
「調べる」
「俺も見る?」
「宿題が終わってからだ」
父さんは封筒を閉じた。
「これはお前の金だ。でも、お前一人で好きに使える金じゃない」
声は低かったけど、叱っている感じではなかった。
「うん」
「欲しいものを全部我慢しろとは言わない」
「通信ケーブルは?」
「すぐには買わない」
「いつかは買ってくれる?」
「いつかはな」
笑いそうになった。
父さんも目を細めた。
廊下から姉ちゃんの声がした。
「電話、まだー?」
父さんは時計を見た。
「そろそろ切る」
画面の右下を操作すると、接続が切れた。
急に部屋が静かになる。
さっきまでの変な音がなくなると、パソコンのファンの音だけが残った。
「次は、新聞を見ながら話すか」
父さんはそう言って、封筒を引き出しにしまった。




