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小学四年生に戻った俺の、あの頃からのやり直し  作者: HATENA 
第二章 四億円の使い道

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閑話 学校へ行っている間【別視点・藤宮恒一郎】

 その日の朝、玄関の戸が閉まる音がしても、俺は新聞を開かなかった。


 恒一が出て、その少しあとに真鈴も出た。二人分の足音がなくなると、食卓には味噌汁の椀と、畳んだままの新聞だけが残った。


 妻が真鈴の茶碗を重ねる。


「会社に電話しなくていいの?」

「今からする」


 返事をしてからも、すぐには立てなかった。


 上着の内ポケットを、服の上から押さえる。


 薄い封筒の角が、指に当たった。


「そこだと曲がらない?」

「かばんに入れるよりはいい」

「落とさないでよ」

「分かってる」


 昨日から、何度同じことを言ったか分からない。


 居間の電話から会社へかけた。


「藤宮です。すみません、家の用事で午前中、休ませてください」


 上司の返答に、少し間があった。


『昼からは来られるのか』

「そのつもりです」

『分かった。急ぎの書類だけ、机の右に出してあるからな』

「はい。すみません」


 電話を切ると、妻が流しから振り返った。


「用事って、それだけでよかったの?」

「ほかに言いようがないだろ」

「そうだけど」


 妻は水を止め、ふきんで手を拭いた。


「本当に四億だったら、どうするの」

「本当かどうかを、これから聞きに行く」

「聞いたあと」


 答えずに、車の鍵を取った。


 四億円という言葉は、昨日の夜から何度も頭に浮かんだ。


 そのたびに、電話の向こうで言われた金額を聞き間違えたのではないか、券の番号をどこか見間違えたのではないかと思った。本当に四億円だったらどうするかは、まだ考えられなかった。


「行ってくる」

「気をつけてね」


 玄関で靴を履き、もう一度、胸の封筒を押さえた。


 車に乗ると、シートベルトが上着の上から当たった。


 封筒をつぶしている気がして、信号待ちで少し位置をずらす。次の信号では、今度は内ポケットの口が開いていないか気になった。


 宝くじ売り場は、恒一と券を買った時と同じ場所にあった。


 窓口の横には、次の回の数字を書く紙が置かれている。前に来た時と何も変わっていない。


 俺は後ろに誰もいないのを見てから、封筒を出した。


「昨日の当せん番号なんですが。電話では聞いたんですが、間違えていないか見てほしくて」


 窓口の女性は券と当せん番号を見比べ、途中で奥にいる人を呼んだ。二人で確かめたあと、銀行の場所を書いた紙を差し出した。


「一等で、間違いないと思います」

「思います?」

「こちらではお支払いできない金額ですので、銀行で正式に確認していただくことになります」


 返された券を封筒に戻し、口を指で挟んだ。


 銀行に着くと、いつもより駐車場が混んでいた。


 封筒を上着の内ポケットに戻し、入口の前でもう一度押さえる。


 番号札を取り、呼ばれるまで待った。


 座る気になれず、壁際で立っていた。電光板の数字が一つずつ変わるたび、手の中の札を見た。


 自分の番号が出て、窓口で封筒を渡した。


「宝くじの当せん確認をお願いしたいんですが」


 声を低くしたつもりだった。


「少々お待ちいただけますか」

「券は」

「こちらでお預かりします。すぐお戻ししますので」


 職員は封筒ごと持って、奥へ行った。


 券が奥へ運ばれてから、戻ってくるまでが思ったより長く感じた。


 窓口の前に置かれた椅子に座る。膝の上で手を組もうとしたが、指がうまく組めなかった。


 隣の窓口では、年配の女性が通帳の数字について聞いていた。


「ここから、これが引かれてるんですか」

「はい、こちらが今月分です」


 聞こえてくるのは、何千円か、何万円かの話だった。


 しばらくして、さっきの職員が別の職員と戻ってきた。封筒は最初に預けた人が持っている。


「お待たせしました」


 二人とも、さっきより声が静かだった。


「確認しました。こちら、一等の当せん券で間違いありません。金額は四億円です」


 背中が椅子から少し離れた。電話で聞いた時よりも、逃げ道のない言葉に聞こえた。


 職員は、当せん券の扱いと次の手続きについて説明を始めた。


 今日この場で全部が終わるわけではないこと。書類が必要なこと。口座についても改めて話すこと。途中で一度聞き返し、渡された紙を折らないようにかばんに入れた。


 銀行を出る前に、公衆電話から会社へかけた。


「藤宮です。午前だけの予定でしたが、すみません。今日は一日休ませてください」

『何かあったのか』

「家のことで、もう少しかかります」


 受話器を持つ手に、汗がついていた。


『明日は来られるんだな』

「はい。明日は行きます」

『分かった。今日はこっちでやっておく』

「すみません」


 電話を切り、ハンカチで手を拭いた。


 駐車場へ戻っても、すぐにはエンジンをかけなかった。


 かばんから銀行の紙を出し、最初の行から読み直す。


 何に使うか。


 どう保管するか。


 仕事はどうするか。


 いくつか浮かんだが、どれも自分だけで決める話ではなかった。


 券を買った窓口で、恒一はポケットから百円玉を二枚出した。


 ほんとに自分で出すのかと聞いたら、あいつは、自分で買いたいからと言っていた。


 紙をかばんに戻し、ようやくエンジンをかけた。


 家へ戻ると、玄関に恒一の靴はまだなかった。


 妻が台所から出てくる。


「どうだった?」


 上着を脱ぐ前に、銀行の紙を食卓に置いた。


「本当だった」

「四億?」

「四億」


 妻は立ったまま紙を見た。


 手を伸ばして、銀行の名前が入ったところを押さえる。


「これから、どうするの」

「まず、受け取りの手続きだ。口座のことも聞かないといけない」

「こういちの?」

「あいつの金だからな」

「あの子、本当に適当に選んだのかな」

「分からない」


 妻は紙から手を離した。


「でも、昨日ほとんど寝てないみたいだった」

「今日も授業になってないだろうな」

「ちゃんと学校に行っただけでもいいでしょ」


 それには返事をしなかった。


 俺も会社を一日休んだ。


「真鈴には、どうする?」

「今は言わない」

「ずっと?」

「ずっととは言ってない。まず、恒一と話してからだ」


 妻は少しだけ廊下の方を見た。


「帰ってきたら、すぐ話す?」

「そうだな。帰ってきたら話すか」


 妻が小さく笑い、食器棚を開けた。


 湯のみを二つ出してから、もう一つに手を伸ばす。


「まだ帰ってこないか」

「まだ早いよ」


 三つ目の湯のみだけ、食器棚の前に置かれた。

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