第30話 「契約の終わり」
翌朝。
王城西棟の応接室は、異様なほど整っていた。
机の上には何もない。
窓は開かれ、風が白いカーテンを揺らしている。
まるで、最初から何もなかったかのように。
リゼリアは立ったまま、扉の音を待った。
規則正しい足音。
止まる。
ノックはない。
そのまま扉が開く。
「呼んだな」
カイルはいつものように落ち着いている。
だがその目は、昨夜よりも僅かに硬い。
「ええ」
短く答える。
「座らないのか」
「必要ありません」
その一言で、空気が決まる。
カイルは数秒だけ彼女を見つめ、それからゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「結論は出たか」
「ええ」
迷いはない。
「あなたとの契約を、解除します」
静寂。
風の音だけが聞こえる。
「……理由は」
「信頼が対等ではない」
即答。
「あなたは私を守るために盤面を動かした」
「そうだ」
「私はそれを知らなかった」
「知らせれば揺れた」
「揺れる権利を、あなたは奪った」
視線がぶつかる。
カイルの指先がわずかに動く。
「私はあなたを愛している」
再び、その言葉。
「愛は、許可なく選択を奪う理由にならない」
胸の奥が痛む。
それでも声は揺れない。
「私は駒ではない」
「駒にしたつもりはない」
「結果は同じよ」
沈黙。
長い沈黙。
「あなたは合理的だ」
カイルが言う。
「だから感情で壊れることはない」
「今、壊れています」
静かに告げる。
灰色の瞳が揺れる。
「あなたは私を信じていると言った」
「ああ」
「なら、私が選ぶと信じてほしかった」
それが本心。
「あなたは、私の強さを信じながら、私の未熟を信用しなかった」
言葉は刃だ。
だが、必要な刃。
「……私は間違えたか」
低い問い。
「ええ」
即答。
「愛し方を」
初めて、カイルの表情が崩れる。
感情が、表に出る。
「私はあなたを失いたくなかった」
「だから急いだ」
「だから整えた」
「だから奪った」
すべて事実。
だが。
「私は守られるために戦っていない」
一歩、距離を取る。
「並び立つために戦った」
沈黙。
「あなたがいなくても、私は選ぶ」
その言葉は残酷だ。
だが嘘ではない。
「……解除だな」
カイルの声は静かだ。
「ええ」
「外交契約も」
「すべて」
風が強く吹く。
カーテンが大きく揺れる。
「後悔するか」
「しません」
短い。
だが、間を置く。
「痛みはあります」
それだけは認める。
カイルは立ち上がる。
距離はもう、届かない。
「私は待つ」
低い声。
「待たなくていい」
「それでも待つ」
初めて合理ではない言葉。
だが彼女は首を振る。
「待つ関係は対等ではない」
沈黙。
灰色の瞳が、静かに閉じられる。
「分かった」
それだけ言って、背を向ける。
扉に手をかける前に、止まる。
「最後に一つ」
振り返らずに。
「私はあなたを利用したが、愛していた」
「知っています」
涙は出ない。
出ないが、胸は痛む。
扉が閉まる。
静寂。
応接室に一人残る。
机も、契約書も、何もない。
すべてが終わった。
だが。
「これで、ようやく一人」
呟く。
守られない。
支えられない。
操作されない。
完全に、自分の選択だけが残る。
悪役令嬢は、初めて孤独を選んだ。
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