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完璧美少女の放課後助手 ~偽ラブレター事件~  作者: 富益 啓
本編

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7/11

007

噂はいつだって、事実より先に完成形で届く。


週が明けた月曜日の朝、俺が教室に入った瞬間、会話が止まった。三人組の女子がこちらを見て目をそらす。いつも真白に話しかけてくる男子が、今日は窓の外を見ていた。それで大体分かった。


真白の机の中には、メモが入っていた。


『今度は誰を釣るの?』


たった一行。それだけで十分な悪意だった。


一時間目が始まるまでの数分間、俺は教室の空気を観察した。真白への視線の向き方が、いつもと違う。普段は「すごい人を見る目」で見られているのが、今日は「何かしでかした人を見る目」になっていた。でも表立って何かを言う人間はいない。あいかわらず完璧な見た目をしている人間には、正面から文句が言えない。だから陰でメモを書く。臆病な敵意だ。


昼休みには、廊下の端で女子が二、三人ひそひそ話している。俺が通ったとき、そのうちの一人がちらりとこっちを見た。たぶん俺じゃなくて、後ろを歩く真白を見たんだろうと思う。


真白は平然とした顔で午前の授業を受けていた。ノートを取る手が止まらなかった。教師の発言にも反応していた。完璧な生徒の姿。でも三時間目の休み時間、廊下へ出た瞬間、彼女の表情が一秒以下だけ曇った。俺が見ていなければ気づかなかった。


気づいてしまったから、俺は購買でパンを二つ買った。


真白は窓際の廊下にいた。施錠されているはずの屋上で見つからなかったから、次に思い当たる場所を探した。こういう逃げ場の探し方は、俺にも少し分かる。あまり目立たなくて、でも完全に閉じていなくて、外の景色が見える場所。廊下の突き当たりの窓際は、ちょうどいい。


誰かが来るたびに視線を逸らして、窓の外を見るふりをしている。


「飯、食ってるか?」


俺がパンを差し出すと、真白は少し驚いた顔をした。


「……ありがとう」


礼を言ったのが意外だった。いつもなら一言切り返してくる。


「気にしてる?」


「してない」


「してるだろ」


「……少し」


それだけ言って、真白は窓の外を見た。校庭では体育の授業が始まっていて、笑い声が遠く聞こえる。こっちの廊下には、それがひどく遠かった。


完璧美少女の評判は、守られているようで脆い。完璧であることへの嫉妬は、きっかけを待っている。そこに少し「怪しい」という情報が混じると、持っていた印象が一気に反転する。こういう転倒の仕方を、俺は何度か見てきた。


でも今、真白のことを噂している連中の大半は、彼女が一年前からずっと一人で事件を追っていたことを知らない。昨年の温室の前で泣きそうになっていた話も。夏目先輩への手紙を一年間書けなかった話も。完璧な仮面の下で何を抱えてきたかも、何も知らない。


知らないまま、形だけ決めて噂を作る。


「あかりは?」


「今日は委員会の仕事で、さっき呼ばれた」


「あかりがいないときに来たのか?」


「さあ」


真白はパンの袋を開けながら、少し視線を落とした。


「あかりの前では、平気なふりをしなければならない。あの子は心配すると全力で心配するから。今は余計なエネルギーを使いたくない」


「それが疲れないか?」


「仮面の慣れ合いのほうが疲れる」


矛盾したことを言っているようで、矛盾していない。あかりへの心配をかけたくないから平気なふりをするのも、あかりとの関係を守るためだ。この人は、誰かのために仮面をかぶることにずっと慣れている。


廊下を一年生が走り抜けていった。窓の外でホイッスルの音が聞こえる。昼休みの校内は、いつも通りうるさかった。


放課後、音楽準備室の前で真白が足を止めた。そのまま動かなかった。


「今日は帰れ」


俺が言うと、真白は首を振る。


「帰ったら、負けたみたい」


「勝ち負けの話にした時点で、向こうの思うつぼだろ」


彼女はしばらく黙ってから、笑った。きれいじゃない、疲れた笑い方だった。


「私ね、完璧でいたいわけじゃないの。もともと、人に弱いところを見せるのが上手くはなかった」


「だろうな」


「でも一年前で、それが方針になった。雑に扱われないために必要だったの。隙があると、みんな勝手に物語を作るから」


それは一年前から、ずっと続いているんだろう。完璧でいることで守られていた。でもそれは同時に、本当のことを言える場所を狭くしてきた。


言い切ったあと、真白は笑おうとして失敗した。次の瞬間、肩の力が切れたみたいに壁へ背を預け、片手で目元を押さえる。


「……ごめん。今だけ、ちょっと無理」


泣き崩れるほどじゃない。ただ、こぼれそうなものを押し戻すので精一杯な顔だった。完璧美少女の仮面が割れるとしたら、たぶんこういう一秒なんだと思った。


俺は何も言わず、ポケットのハンカチを差し出した。真白は少し迷ってから受け取る。


「見ないで」


「見てない」


そう返して、俺は準備室の机のほうを向いた。こういう話は、受け取れれば十分で、何か返さなくていいときがある。


真白が呼吸を整えるまで、準備室の換気扇の音だけが続いた。数十秒か数分か分からない沈黙だった。


それでも思う。この人が弱さを見せてもいい場所を、一つくらい俺の隣に残したい。


準備室の机には、破られた草稿用紙が置かれていた。誰かがゴミ箱に捨てたものを、真白が拾ってきたらしい。赤ペンで「重い」「誤解を招く」「差し替え」と書き込みがある。恋文の下書きを添削したような跡だった。


「人の感情を作文みたいに直してる」


「削って、整えて、無害な形にして」


俺が言うと、真白は小さくうなずく。


「御堂先輩、会議でもよく使うの。『その言い方は強いから、もう少し柔らかく』って。最初は丁寧な人だと思っていた。でも最近、その丁寧さが怖い」


「どんなふうに?」


「何かを言い直させるたびに、相手が少し縮む。本人は褒めてから直させるから、不快に感じた人でも文句が言えない。気づいたら、言いたいことが言えない空気になってる」


それが御堂の手法だ。感情を削る。熱を抜く。整える。


「あかりが前に、噂で耳に挟んだって。御堂先輩、中学のときに何かあったらしいの。詳しくは誰も知らない。でも、今のあの手つきの源には、たぶんそのあたりがある」


真白の声は低かった。憶測を事実みたいに言わない、その自分のルールを守りながら、それでも口にしておきたいという声だった。


赤ペン。整理。差し替え。つながりすぎていた。それでも、決定打にはまだ足りない。


「インクを確かめたい。御堂先輩の赤インクのメーカーを特定できれば、草稿メモと一致するか確認できる」


真白はスマートフォンを取り出した。


「会議のときに撮った写真が残ってる。先輩の手元が写ってるかもしれない」


写真を拡大すると、御堂の右手に細いボールペンが見えた。キャップの色が赤い。品番は見えないが、メーカーロゴが読める。


「これ、うちで扱ってる。顔料系の赤インク。書いたあと乾くのが早い。添削向きの線が出る」


「草稿メモと一致する?」


「同じメーカーで同系統の品番だ。一対一対応じゃないけど、インクの発色と乾燥速度は近い。比べれば分かる」


草稿メモの文字をもう一度見た。字そのものは崩してあるが、赤ペンの書き込みは崩れていない。几帳面な人間は、書き込みの字まで整える。これも、一貫した癖だ。


俺は草稿の端の赤インクを指で軽く触れた。コーティングがある。顔料系の赤。水に強くて、プラスチック面にも乗る。文具好きの間では少しマニアックな選択だ。普段からこだわりを持って使っている人間でないと、この品番は選ばない。


「御堂先輩、文具に詳しいと思う?」


真白が考えてから答えた。


「詳しい、というより、こだわりがある。会議で使う資料も、紙の種類が毎回統一されてる。普通の印刷用紙じゃなくて、少し厚みがある」


「文具に対するこだわりと、人の感情を整理したがる性格と、全部つながってる気がする」


日が沈みかけた階段で、俺たちは並んで座った。誰もいない校舎は少しだけ広すぎて、隣に人がいるのがありがたかった。夕焼けが廊下の端を橙色に染めて、外から帰宅する生徒の声が遠くなっていく。


「朝倉」


「ん」


「もし私が、完璧じゃなくなったら?」


「今さらそこ?」


「真面目に答えて」


俺は少し考えてから言った。


「たぶん、今のほうがいい」


「それは慰め?」


「いや。完璧な一ノ瀬は、たぶん近寄りにくい。今のあんたは普通に面倒で、人間っぽい」


真白は一瞬むっとして、それから笑った。


「褒め方が最低」


「でも笑った」


彼女は返事の代わりに、肩を軽くぶつけてきた。


軽いはずの一撃なのに、変に意識してしまう。こういうところまで含めて、もう他人事ではなかった。


そのまま少しだけ、俺たちは黙っていた。言葉がなくても息苦しくない沈黙は、いつの間にか初めてじゃなくなっていた。


窓の外から夕日がなくなって、廊下の色が青くなった。その変化を二人で黙って見ていた。


階段の下で、帰宅する生徒の声がまた聞こえた。こういう時間が、もうすぐ終わる。終わらせなければならない。


「罠を張る」


俺が言うと、真白はこちらを向いた。


「うちにしかない便箋がある。試作品で流通してない。それで偽の告白文を作って、恋文ポストに流す。真白の名前で。御堂先輩が一番反応しそうな内容で」


「差し替えたら」


「同じ紙の白紙を一枚、一緒に入れておく。御堂先輩は中身を直すとき、封筒の見え方を崩さない癖がある。差し替えるなら、その予備紙のほうに拒絶文を書くはずだ」


「そこまで読める?」


「読める。うちの試作品の便箋には、俺と父さんにしか見分けのつかない癖が残ってる。戻ってくれば、どれが手を入れられたかは一目で分かる」


「差し替えない可能性は?」


「ある。でも今まで全部差し替えてきた。今さら止まるとは思えない。習慣的に管理したがる人間は、手の届く範囲に感情が放置されているのを見過ごせない」


真白はしばらく黙っていた。


「危ない?」


「旧新聞部室に誘導する。俺たちが先に入ってる。二対一だ」


「分かった」


即答だった。迷わなかった。それが少しだけ、心臓に重かった。


俺がこういう言い方をしたとき、真白は一度も止まらない。信用されているのか、それとも俺が危ないと思っていないのか、どちらかだ。たぶん両方だ。


決め手を作るしかない。真白が傷つく前に、俺たちのほうから犯人の手を暴く。


一ノ瀬の仮面を割ろうとしている人間がいるなら、こちらから正体を暴いてやる。




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