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完璧美少女の放課後助手 ~偽ラブレター事件~  作者: 富益 啓
本編

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10/11

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文化祭明けの月曜には、夏目先輩からも返事が来た。短い封書で、元気でやっていること、今さら誰かを責めたいとは思っていないこと、転校先で新しい友人ができたこと、それでも自分の言葉で届く手紙なら読む気になれたことが書かれていた。真白は最後の一文を何度も読み返していたし、俺もその一文だけは何度も読んだ。


その余韻がまだ少し店に残っているみたいな、一週間後の夕方だった。


朝倉文具に一年生の女子が駆け込んできた。制服のボタンが一つはずれかかっていた。走ってきたんだろう。入口の前で少し迷ってから、意を決したように扉を押した。


店内は棚の縁だけが夕焼けを受けていて、奥の在庫はもう薄暗かった。文化祭が終わると校内の雰囲気がぬけたように静かになる。恋文ポストは廃止になって、その告知は先週出た。賛否はあったが、騒ぎになるほどではなかった。静かに終わった。こういう終わり方を、学校はいつもする。


母さんが奥に引っ込んでいるとき、俺がレジを担当する。その子はカウンターの前に立つと、まず俺を見て、それからレジ横に立っている真白を見た。


二人いることで、少し緊張した顔をした。


「あの、相談いいですか?」


差し出したのは小さなメッセージカードだった。『あなたの絵、ずっと好きでした』とだけ書かれている。差出人不明。


「三日連続で、美術室の前に置かれてて。最初は普通に嬉しかったんですけど、誰が書いたか分からないのが怖くなってきて」


「ストーカーと感じてる?」


「そこまでじゃないかもしれないけど、でも直接言ってくれればいいのにって思って」


「放課後の相棒業、継続中だな」


俺が言うと、真白が顔を上げた。


「当然でしょう。依頼人がいるなら」


一年生を椅子に座らせて話を聞く。カードは三日連続で美術室前の窓枠に置かれていた。毎日ほぼ同じ時間帯で、場所も固定。怖がらせる意図はない。むしろ丁寧すぎるくらい丁寧だ。悪意じゃなくて、伝えたい気持ちがうまく形にならなかった種類のものだと思う。


俺がカードを手に取ると、一年生はおずおずとうなずいた。


ラフ紙だ。画材屋でよく売っているやつで、スケッチや下書きに使う。普通の人間は大量に買って適当に使うが、これは一枚一枚丁寧にカットしてある。学校の裁断機じゃなく、小さなカッターで切っている。フリーハンドで切ったときの、わずかなブレが端にある。


「三枚とも、紙の端に絵の具が微妙についてる」


「何の絵の具?」


「油彩じゃなくてポスターカラー。指先か袖についていたものが紙に移った感じだ。洗っても少し残るやつで、日常的に使ってる人間の手についてる」


「美術部の人ってこと?」


「ポスターカラーを日常的に使う人間、が正確かな。美術部か、それに近い活動をしてる人。そして、この字」


俺はカードの文字を指した。


「書き慣れてない。でも、丁寧に書こうとしてる。気持ちが入った字だ。感情がない字とは全然違う」


感情がない字、というのは実際にある。同じ文章を書いていても、気持ちが乗っている字は筆圧に波がある。書き始めと書き終わりで速度が変わる。このカードの字は書き慣れていないのに、そういう波がある。だから怖くない、と俺は思う。下手でも、本物のほうがいい。


真白が一年生の横に立った。


「あなたの絵を見る機会がある人で、思い当たる子はいる?」


「美術部には数人いますけど、そんなに話したことは……」


「一人だけ、いつも少し気にしてくれてる子がいる、とかは?」


一年生が少し黙った。頬がわずかに赤くなった。それで十分だった。


真白と二人で美術室に向かった。廊下に出ると夕陽が低くなっていて、窓の外に長い影が伸びていた。こういう光の中の学校が、俺はけっこう好きだ。人が少なくて、静かで、でも生活の気配が残っている。文化祭が終わって、先輩たちの騒ぎも一段落して、学校がやっと普通のペースに戻っている。


「楽しそうね」


真白が言った。


「楽しいだろ、これくらいが」


「大きな事件より?」


「大きい事件は疲れる。誰も転校しないやつがいい」


「ハードルがだいぶ下がった」


「大事なことだろ」


「同感」


廊下を並んで歩く。俺たちがこうして並ぶことが、最近ちょっとずつ普通になってきた。最初の頃は「一ノ瀬の口止め相手」みたいな感じがあったが、今は違う。何だろうと思いながら、特に言葉にしなかった。


言葉にしなくても分かることがある。事件がなくても、この人と並んで歩く放課後が、もう妙に馴染んでしまっている。


「一年生の子、あのカードが誰からか、もう分かってたと思う」


「だろうな」


「それでも来たのは、分かっていながら確かめたかったからよ」


「好意に確信が持てなくて、でも確かめる勇気が出なくて、誰かに整理してもらいたかった、か」


「そういうこと。気持ちを全部自分一人で抱えてると、どんどん重くなる。あのカード、丁寧で本物だったから、ちゃんと届いてほしかった」


真白は窓の外を見ながら言った。抑揚がなかったが、冷たくはなかった。


美術室のドアを開けると、数人の生徒がまだ残っていた。後片付けをしている子、スケッチブックを片付けている子。窓際でポスターカラーのパレットを洗っている子がいた。手の甲に、薄い青のポスターカラーが残っている。


確認するのに十分だった。


同じ一年の女子だった。一年生の描いた絵が好きで、褒めたかったのに直接言えず、置き手紙みたいになってしまっただけ。話しかけるたびに緊張して、かえって素っ気なくなってしまっていたらしい。


「カード、私が置いてました。怖かったなら、ごめんなさい」


先に動いたのは依頼人の子だった。


「怖かったのは、誰か知らない人が三日間ずっといるのかと思ったから。あなたなら、怖くない」


「本当?」


「本当。絵、ちゃんと好きでしょう?」


「……ずっと好きだった」


それだけで十分だった。二人はぎこちなく笑った。美術室の窓から見える夕焼けが、少し赤みを増していた。


廊下を歩きながら、真白が言った。


「やっぱり、こういうのがいいわね」


「誰も転校しないし、私も泣かない」


「基準が切実すぎるな」


「大事なことよ」


その言葉に、少し笑ってしまった。本当に大事だ。


廊下の角を曲がると、あかりが向こうから歩いてきた。両手にパンを二つ持っている。今さら昼ごはんを食べているのか、それとも夕方の補食なのか。あかりについては判断が難しいことがある。


「あ、二人とも。またなんか解決した顔してる」


「小さいの」と真白が答えた。


「誰も転校しない案件ね」


俺が言い方の出所を明かすより早く、あかりはにやりと笑った。


「なんか最近、その基準が二人の中にできてるよね」


「是非の基準として正しい」


「否定しないのか」と俺が言うと、真白が「正しいから」と返した。


あかりはパンの袋を振りながら歩いていった。振り返りながら「またね、ましろん」と言って、角を曲がった。真白がその後ろ姿を少しだけ見ていた。


「あかりと、少し変わった」


「変わった?」


「前より、ちゃんと話せるようになった気がする。前は、あかりが明るくいてくれることで私が助かってた。今は、何かを一緒に持てる気がする」


それは大きな変化だと思う。でも俺には、どっちのあかりも同じあかりだった。真白が気づいたのは、真白が少し変わったからだろう。


並んで歩くのが自然になっていた。俺が遅いのに合わせてくれてるのか、真白が速いのを抑えてくれているのか、どちらとも決まらないままちょうどよかった。俺たちはここ最近、会話がなくても歩くペースが合う。それがいつからそうなったのか、俺には分からない。


朝倉文具へ寄ると、母さんが奥でバックヤードの整理をしていた。


真白がレターセットの棚の前で立ち止まる。白に近い淡青色の便箋と、同じ色の封筒。今度は最初から格が揃っていた。真白は少し迷ってから、それを手に取った。


「買うのか?」


「ええ」


「隠れ蓑なら、もうノートでもいいだろ」


真白はレジに便箋を置いて、まっすぐ俺を見た。


「これは隠れ蓑じゃない」


母さんが奥へ引っ込む音がした。気を利かせすぎだ。


「じゃあ、何?」


聞くと、真白はほんの少しだけ息を吸った。


「次に渡す手紙のため。偽物じゃなくて、ちゃんと自分で書く」


心臓が、嫌なくらい素直に跳ねた。


「……それ、相手は」


「さあ」


「一ノ瀬」


「でも」


彼女は悪戯っぽく笑う。完璧美少女の顔じゃない、放課後の顔だった。


「そのときは助手じゃなくて、ちゃんと読んで」


その一言のあと、店の中が妙に静かになった。


レジの奥で母さんが何かを片づける音がして、夕方の西日がレターセットの棚へ細く落ちる。紙質くらいなら見なくても分かるのに、そのときだけは中身のほうが怖かった。真白がいつか書くその手紙のことを考えると、胸の奥が妙に静まらない。


店の引き出しの奥には、ずっとしまったままの便箋がある。父さんが仕入れた中でいちばん手触りのいいやつだ。何度か書き出しを考えて、そのたび白紙のまま戻した。


いつか、これで手紙を書く日が来るのかもしれない。真白に。偽物じゃなくて、本物の言葉で。


返事を考えていたら、店の外で足音が一度だけ止まる気配がした。次の瞬間、店のドアがからんと鳴った。誰も入ってこない。代わりに、足元へ一枚の封筒が滑りこんでくる。


差出人不明。宛名は朝倉拓馬。


俺が封筒を持ち上げると、真白がすぐ横から覗きこんだ。自分宛ではないのに、当たり前みたいに顔を寄せてくる。その距離感を、もう俺は普通に受け入れている自分に気づく。


「また誰かの手紙ね」


「勤務時間外なんだけど」


「放課後だから問題ないでしょう」


そう言って真白は笑う。


俺ももう、断る気はなかった。


封筒を手に取ると、紙の質感が指先に伝わる。誰かが、わざわざ選んで用意した紙だ。


今度は、俺の名前が選ばれている。


偽物の手紙を暴いたその先にあるのは、きっと偽物じゃない。誰かの本物が、また放課後を動かそうとしている。


たぶんそれが、これからの俺たちの放課後になる。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

偽ラブレター編は完結となります。ブックマークやコメントが増えれば続編を検討してみたいと思います。

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