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完璧美少女の放課後助手 ~偽ラブレター事件~  作者: 富益 啓
番外編

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11/11

後日譚 001

偽ラブレター事件が終わって、夏目先輩からの返事も届いて、学校が少しずつ普通の速度に戻り始めたころ。


後日談というには少しささやかで、事件というには何も起きない放課後が一日あった。


誰かの秘密を抱えた封筒も、新しい依頼人も出てこない。


朝倉文具には、ただ客が来て、棚が乱れて、俺がレジで小銭を数える時間だけがあった。


ただし、客は妙に多かった。


文化祭が終わると、使い切ったペンやなくした定規や、どこかへ消えたノートの補充が一気に来る。学校行事は華やかに終わるが、その裏で文具はだいたい消耗している。うちみたいな校門前の店には、その余波が数日遅れで押し寄せる。


俺がレジで会計をしていると、入口のベルが鳴った。


真白だった。


「今日はただの客よ」


入ってきて最初にそれを言うあたり、本人も自覚はあるらしい。


「じゃあ客か」


「ええ。替え芯を買いに来たの」


「それだけ?」


「それだけ」


真白はまっすぐ替え芯の棚へ向かった。姿勢がいいせいで、ただ替え芯を選んでいるだけなのに、どこか大事な選定をしているように見える。三本入りと十本入りの前で少し迷い、結局十本入りを手に取った。


「勉強熱心だな」


「書く量が増えたの」


「手紙?」


「ノートよ」


即答された。少しだけ負けた気がした。


そのとき、母さんが奥から声を上げた。


「拓馬、ちょっと在庫の箱を動かすから、レジお願い」


「今もしてる」


「あと棚も見て。今日ずっと乱れてるから」


言われなくても分かっていた。レジ前には小学生が二人、ノート棚には一年生らしい女子が三人、ペンの前には部活帰りの男子が固まっている。普段の朝倉文具なら、これで十分に混雑だ。


真白が替え芯を持ったまま、棚の乱れを見た。


「手伝うわ」


「客に棚整理させる店はまずいだろ」


「朝倉文具には、これまで何度か調査本部として場所を借りているから」


「その返済が棚整理なのか」


「妥当でしょう」


真白はそう言うと、曲がっていた消しゴムの列を直し始めた。まっすぐになりすぎて、逆に売り場というより展示みたいになっていく。


母さんが奥から戻ってきて、その様子を見た。


「あら、助かるわ。よかったらこれ使う?」


差し出したのは、朝倉文具の店名が小さく入った紺色のエプロンだった。


「母さん」


「なに?」


「なに、じゃない」


真白はエプロンを見て、それから俺を見た。


「着たほうがいい?」


「普通は着ない」


「でも棚を触るなら、店の人間かどうか分かったほうがいいでしょう」


正論だった。正論はときどき人を追い詰める。


真白は制服の上からエプロンをつけた。結び目を後ろで整えて、髪を少しだけ払う。その姿を見た瞬間、レジ前にいた小学生の一人が小さく「店員さん増えた」と言った。


俺は聞こえなかったふりをした。


「似合うわねえ」


母さんは聞こえる声で言った。やめてほしい。


真白は少しだけ背筋を伸ばした。


「ありがとうございます」


こういうときに真面目に返すから、余計に困る。


最初の客は、小学生の男の子だった。手に短くなった鉛筆を一本持っている。


「消しゴムください」


真白が棚の前にしゃがんだ。


「用途は?」


「え」


「鉛筆の濃さと、使っているノートの紙質で合う消しゴムが少し変わるの。硬めのものは細かい字を消しやすいけれど、力を入れすぎると紙が傷む。柔らかいものは広い範囲を消しやすいけれど、角が崩れやすいわ」


男の子は完全に固まった。


俺はレジから身を乗り出した。


「よく消えるやつと、折れにくいやつ、どっちがいい?」


「よく消えるやつ」


「じゃあこれ」


俺が白い消しゴムを渡すと、男の子はほっとした顔でうなずいた。


真白は少しだけ眉を寄せた。


「情報量を絞る必要があるのね」


「事件じゃないからな」


「消しゴム選びにも理由はあるでしょう」


「ある。でも小学生が欲しいのは、消しゴムの講義じゃなくて消しゴムだ」


真白は男の子の背中を見送ってから、小さくうなずいた。


「覚えたわ」


その次に来た中学生は、三色ボールペンの替え芯を前にして迷っていた。真白は今度、説明を半分にした。


「よく使う色は?」


「赤です」


「なら、この替え芯のほうが減りにくいわ。丸つけが多いなら、こっち」


十分だった。完璧な接客ではない。でも、相手を見て言葉を減らしている。少し前の真白なら、正しい情報を正しい順番で全部渡そうとしていたかもしれない。今は違う。届く量にしている。


人は変わる。大きな事件で一気に変わるんじゃなく、消しゴム一個の前で少しだけ変わることもあるらしい。


店の混雑が少し落ち着いたころ、今度は一年生の女子がカードの棚の前で迷っていた。


「誰かに渡すの?」


真白が声をかけると、その子は少し驚いてからうなずいた。


「部活の先輩に。文化祭のとき、すごく助けてもらったので。ありがとうって書きたいんですけど、重くなりすぎるのも変かなって」


「重くしたくないなら、便箋よりカードね」


真白は迷わず、小さめのカードを選んだ。薄い水色で、余白が多い。飾りは少ないが、手に取ると紙の厚みがちゃんとある。


「たくさん書ける紙を選ぶと、たくさん書かなきゃいけない気がしてしまうから。これくらいなら、一言でも形になるわ」


「一言でいいんですか?」


「本当に言いたいことが一つなら、一つでいいと思う」


その声は静かだった。


事件のときの真白ではない。誰かの本物を守ろうとしている顔でもない。ただ、言葉を渡したい人に、ちょうどいい紙を選んでいるだけの顔だった。


一年生はそのカードを買っていった。レジで会計をしながら、俺は紙の角を袋に引っかけないように入れた。せっかく選ばれた紙だ。渡る前に折れたら、少しもったいない。


「今の、よかったんじゃないか」


客が出てから言うと、真白は少しだけこちらを見た。


「接客として?」


「たぶん」


「たぶん?」


「俺は店員側だから、客観性に欠ける」


「便利な逃げ方ね」


そう言いながら、真白は少し笑っていた。


入口のベルがまた鳴った。


「あ、ましろんが働いてる」


あかりだった。片手に購買の袋、もう片方に空のクリアファイルを持っている。放課後の荷物としては統一感がない。


「働いてはいないわ」


「でもエプロンしてる」


「臨時よ」


「臨時店員ましろん」


あかりは楽しそうに言って、俺のほうを見た。


「朝倉くん、時給いくら?」


「払ってない」


「えっ、労働問題」


「勝手に手伝い始めたんだよ」


「ましろんが勝手に朝倉文具の棚を整えてるの、なんかすごく分かる」


真白は反論しかけて、やめた。たぶん自分でも少し分かっているんだろう。


あかりは付箋を一つ選び、レジに置いた。明るい黄色の、どこにでもある普通の付箋だった。


「これで」


「また何か貼るのか?」


俺が聞くと、あかりはにやっと笑った。


「忘れないように。明日の小テスト」


「それは付箋じゃなくて勉強で解決する問題だろ」


「朝倉くん、正論が冷たい」


「勉強しなさい」


真白が言うと、あかりは大げさに肩を落とした。


「ましろんまで店員側になってる」


「私は最初から勉強しなさいと言う側よ」


「そこは変わらないんだ」


あかりは会計を済ませると、出口の前で振り返った。


「でも、いいね。二人とも、事件ないほうが顔が普通」


一瞬、店の中の空気が止まった。


あかりは何でもないように笑っている。けれど、たぶん本当に何でもないわけではない。あかりは明るい顔で、必要なことをさらっと置いていくのがうまい。


「普通って何だ」


俺が返すと、あかりは付箋の袋を振った。


「普通は普通。じゃ、ましろん、また明日」


「また明日」


真白がそう返した声は、少し柔らかかった。


あかりが出ていくと、店は急に静かになった。さっきまでの客足が嘘みたいに途切れ、夕方の光が棚の間に長く差し込んでいる。ペンの金属部分が細く光って、ノートのビニールカバーに窓の形が映っていた。


真白はエプロンの紐をほどいた。


「返すわ」


「母さんに返せばいい」


「あなたに渡す」


「なんで」


「今日の上司でしょう」


「いつからだよ」


真白はエプロンを畳んで、カウンターに置いた。畳み方まできれいだった。


「接客は、思ったより難しいわね」


「推理より?」


「別の難しさ。正しいことを全部言えばいいわけじゃないから」


「それ、事件のときも同じじゃないか」


言ってから、少しだけ驚いた。自分で言ったくせに、妙にしっくり来た。


真白も同じことを思ったのか、短く黙った。


「そうね」


それだけ言って、彼女はレジ横のメモ帳を一枚取った。試し書き用の安い紙だ。ペン立てからボールペンを抜いて、さらさらと何かを書く。


『本日の朝倉店員は、少しだけ店主みたいだった』


「なんだこれ」


「勤務評定」


「俺は毎日店番してるんだけど」


「だから、少しだけ」


「厳しいな」


「かなり褒めているわ」


真白は真面目な顔で言った。真面目な顔で言われると、受け取り方に困る。


俺はそのメモを捨てずに、レジの横へ置いた。捨てなかったことを真白に見られていた気がするが、何も言われなかった。


閉店時間になって、俺は店の外に出した看板を中へ入れた。母さんは奥で在庫表をつけている。店内の照明を一つ落とすと、棚の影が少し濃くなった。


レジの引き出しには、売上の小銭と、真白が書いたメモだけが入っている。


封筒も証拠品もない。誰かの秘密を預かっているわけでもない。


それだけで、引き出しの中がいつもより軽く見えた。


真白が横から引き出しを見た。


「気になっている顔ね」


「何が」


「そのメモ」


「気になってない顔の作り方を知らない」


「それは確かに下手そう」


「悪かったな」


俺が引き出しを閉めると、真白は何も言わなかった。ただ、今日のところはそれでいいという顔をしていた。


店の扉を閉める前に、外の空を見る。夕焼けはもうほとんど消えて、校舎の向こうが薄い青に沈んでいた。文化祭の騒がしさも、恋文ポストの噂も、少しずつ遠くなっていく。


「一ノ瀬」


「何?」


「エプロン、似合ってた」


言ってから、言う必要があったのか分からなくなった。真白は一瞬だけ目を見開き、それから視線を少し横へ逃がした。


「そういうことは、もう少し前置きをしてから言って」


「接客としての感想だ」


「今の逃げ方は雑」


「便利な逃げ方ってさっき言われたから」


「便利と雑は違うわ」


そう返す声が、少しだけ軽かった。


店のベルが小さく鳴る。外へ出ると、夜になる前の空気が制服の袖を冷やした。


事件のない放課後だった。


誰も泣かないし、誰も転校しない。偽物の手紙を暴く必要もない。消しゴムを選んで、カードを選んで、付箋を売って、エプロンを畳むだけの時間。


それだけの一日なのに、引き出しにしまった一枚のメモのことが、妙に頭から離れなかった。


『本日の朝倉店員は、少しだけ店主みたいだった』


安い試し書き用紙だ。明日になれば、棚の隙間に紛れてもおかしくない。それでもたぶん、俺はしばらく捨てない。


先に歩き出した真白が、店先で少しだけ振り返った。


「遅い」


「店主は戸締まりがあるんだよ」


「少しだけでしょう」


言い返せなくて、俺は鍵をポケットに入れた。


偽物の手紙に振り回された日々のあと、放課後はこんなふうに戻ってくるらしい。


大きな答え合わせも、次の依頼もない。


ただ、隣に歩く人がいて、明日もたぶん同じ棚の前で会う。


それくらいの続き方が、今はちょうどよかった。


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