第六十話① 窮地の中で、一番に守るべきは(前編)
夜の森の中で。
二、三秒にも満たない攻防をして。
イチヤは、ハイドの強さに驚愕していた。
ハイドが最初に放った風の魔術は、恐ろしいほど速く、尋常ではない威力があった。魔術の発動速度、魔術自体の速度、精度、威力。その全てがチサトより上だった。
間違いなく魔術師型であるはずのハイド。
それなのに彼は、戦士型でも体現不可能なほどの身体能力を見せた。動きは信じられないほど速く、放つ拳には一撃で人を殺せる威力を感じた。
――どうなってんだよ?
ハイドに向って構えながら、イチヤは、少なからず混乱していた。
この世界の人間は、必ず、魔術師型か戦士型の素養を持っている。魔術を使える者は身体能力に優れず、身体能力に優れた者は魔術を使えない。
それなのにハイドは、強力な魔術を使える上に、戦士型すら凌駕する身体能力がある。
混乱するイチヤの心を支えていたのは、確かな訓練の成果だった。
センチ単位での繊細な動きを体現できた。筋力と瞬発力も明らかに向上している。訓練で何千何万と繰り返した動きを、反射的に出せた。
構えながら、イチヤは、静かに大きく息を吐いた。
確かにハイドは強い。けれど、絶対に勝てないレベルではない。彼の攻撃も魔術も防ぐことができる。今のところ攻撃は当たらないが、攻め方を工夫すれば、捕えることができるはずだ。
恐らく、この戦いは長引くだろう。
混乱する気持ちを落ち着けながら、イチヤは、戦いの展開を頭に浮かべた。
互いが、一撃で相手に致命傷を与えることができる。同時に、互いが、相手の攻撃を的確に防ぐことができる。
イチヤもハイドも、数え切れないほど攻撃を放つことになるだろう。繰り出す攻撃は、互いに、まったく当たらないはずだ。延々と攻防を繰り返すことになる。
繰り返される攻防の中で、どれだけ集中力を切らさずに戦えるか。攻撃が当らないことに苛立つことなく、冷静に戦えるか。
持久戦であり、我慢比べでもある戦いになる。
そう判断した瞬間に、イチヤの中で、妙な自信が湧き出てきた。
我慢することなら、誰にも負けない。高校時代に、あれほど辛い状況を耐え抜いたのだから。高校一年の二学期から、卒業までの三年近くを。
ハイドが再び踏み込んできた。
「!?」
イチヤの反応が一瞬遅れた。
いや。
イチヤが遅れたのではなく、ハイドの動きが速くなったのだ。先ほどよりも、ほんの少しだけだが。
慌ててハイドの攻撃を避け、すかさずイチヤは攻撃を繰り出した。反応が遅れたせいで、動きの精度が落ちた。当然、攻撃は当らない。
剣の威力が発揮できる距離を保ちながら、イチヤが仕掛ける。
イチヤの距離を潰して、ハイドが拳を振るってくる。
ハイドの動きは、最初よりも明らかに鋭くなっていた。彼の攻撃に対し、反応が遅れそうになる。切り返しで振る剣が、精度を欠いてしまう。センチ単位で避けていた攻撃が、体をかすめる。浅い傷が体についてゆく。反面、イチヤの剣は、まったく当たらない。かすりもしない。
攻防を繰り返すごとに、イチヤは劣勢になっていった。
――手加減してたのかよ!?
最初の攻防で、イチヤは、十分に勝算があると考えていた。そんな考えを覆されるほど、ハイドは強かった。
イチヤは、自分の才能のなさを自覚している。だからこそ、元の世界で得た知識を最大限に活用し、この三ヶ月間、理論に基づいた訓練を重ねてきた。まだ強くなれるとは思うが、身体能力だけは、才能の上限近くまで練り上げたはずだ。
でも、ハイドと比べると明らかに劣っている。
イチヤは一旦、剣を大きく振った。ハイドにバックステップを踏ませるために。
思惑通りに、ハイドが後ろに下がった。そのまま構え直す。
イチヤも、ハイドに向って構え直した。
イチヤの体力はまだまだ限界ではない。多少息切れしているが、今以上に動きのテンポを上げることは可能だ。
可能だが、ハイドには通じないだろう。
イチヤは、はっきりと悟っていた。このまま戦い続けたら、確実に負ける。
ほんの一瞬だけ、イチヤはプリメラを見た。彼女は目を見開き、細かく震えていた。腰を抜かし、その場にへたり込んでいる。イニシオ村が侵略された時と同じように、恐怖に包まれているのだろう。臆病で、本来なら戦いの場になど出るはずのない少女。
それでもプリメラは、イチヤを助けてくれた。かつての自分を後悔し、トーダの死に囚われながら生きている。
イチヤは、自分の心に問いかけた。目的を再確認した。
――俺は、この世界で何をすべきだ? 何を成し遂げなければならない?
戦争を終わらせる。プリメラのような臆病な子でも、何の不安もなく生きていける世界にする。弱い者が強い者に蹂躙されることなどない世界にする。
戦争を終わらせる自分が、こんなところで殺されるわけにはいかない。逆説的に言えば、こんなところで殺される程度では、戦争を終わらせることなどできない。
構えながら、イチヤはハイドの様子を探った。息切れひとつしておらず、落ち着いている。明らかに余裕がある。圧倒的な魔術を使い、徒手空拳でも驚異的に強い。我慢比べの長期戦に持ち込んだとしても、イチヤに勝ち目はない。
勝つためには、戦い方を変える必要がある。
イチヤは左手だけで剣を持ち、背中に掛けた鞘を外した。左手に持った剣を、鞘に収める。
「?」
ハイドが一瞬、不思議そうな顔をした。
鞘に収めた剣を、イチヤは左手で持った。右手で、剣の柄を強く握る。
日本にいた頃、イチヤは乱読家だった。数多くの、色んなジャンルの本を読んだ。剣豪小説を読んだことも、もちろんある。運動学の知識から、昔の剣豪が使っていた技の理論を理解している。
右足を前に出し、体を左に捻り、膝を曲げてイチヤは構えた。体重は、少しだけ左足に乗せる。居合いの構え。
踏み込んで放つ居合いの理屈を、イチヤは体現しようとした。体を左に捻ることで、剣を振るときの反動にできる。膝を沈め、左足に少し体重を乗せることで、踏み込みの際の蹴り足を強くすることができる。
イチヤの剣は、三日月型の片刃。湾曲した刃が鞘走りの速度を速くし、鋭く剣を抜くことができる。鞘走りを助走にすることで、普段以上に素早く剣を振ることができる。
最初の攻防で、ハイドは明らかに手加減していた。それ以降の攻防では、驚異的な身体能力と格闘能力を見せつけた。イチヤを圧倒した。
もし、ハイドがまだ手加減をしているなら。
恐らく、この居合いも通じない。
――せめて、今が全力であってくれよ。
そうでなければ、確実に殺される。自分も、プリメラも。




