第五十八話① 誘い込まれて(前編)
夜。真夜中。
イチヤはプリメラを連れて、ハイドと約束した場所に向った。背中には剣を掛けている。自分を捕えようとする者と出会ったときに、いつでも、どこでも戦えるように。
待ち合わせの場所に着いた。人通りの少ない、複数の宿が並ぶ道。
ハイドはすでに来ていて、イチヤ達を待っていた。
歩み寄るイチヤ達に気付くと、ハイドは軽く手を振ってきた。思わず手を振ってしまった、という様子だった。夜更けに待ち合わせに、幸せな思い出でもあるような。
ハイドはすぐに、振った手を下ろした。
イチヤ達を見つめる、ハイドの目。なぜか、少し悲しそうに見えた。反面、何かを懐かしむような顔だとも思えた。
ハイドは表情を変え、イチヤ達に微笑みかけてきた。
「こんばんは、イチヤ、プリメラ」
「あ、はい。こんばんは」
少し戸惑った様子で、プリメラはハイドに挨拶を返した。彼女は、彼の姿に見取れているようだった。無理もない。月明かりに照らされるハイドは、この世の者とは思えないほど美しい。それこそ、空想上の生き物のように。
「で、これからどこに行くんだ?」
イチヤが聞くと、ハイドは、西の方を顎で指した。
「セントロを出て少し西に行くと、森があるんだ。この時間で森の中なら、絶対に人目につかない。そこで話をしようか」
「でも、城壁の門には見張りの兵がいるんだろ? こんな夜中に、外に出してもらえるのか?」
「大丈夫だよ。狩りに行くとでも言えば。設定は、イチヤが狩りをする戦士で、俺とプリメラがサポートをする魔術師。獲物を狩って、街で売って生活費を得てる。そんな感じでどう?」
「まあ、悪くないと思うけど。でも、ハイドは顔が知られてるんじゃないのか? 大金を稼げる歌人なのに、狩りに行く理由がない」
「じゃあ、俺とイチヤは旧知の仲で、今晩は君達の手伝いをしてる、ってことで」
「……まあ、それなら」
門番の兵に語る設定としては、特に問題ないだろう。
「じゃあ、行こうか」
ハイドに先導されて、イチヤとプリメラは城壁の門に向った。
門に着いた。
ハイドに説明を受けた門番は、あっさりと、イチヤ達を通してくれた。門を閉める際に「お気を付けて」と言葉を掛けてくれた。
セントロから出て一キロメートルほど西に歩くと、ハイドの言う通り、森があった。深そうな森だ。王都に向う方向とは逆方向にある森。
「この森の向こうには、いくつか村もあるんだ。だけど、ここから三キロメートル以上離れてる。だから、誰かに遭遇する可能性は、ほとんどゼロだ」
「そうか」
「じゃあ、行こうか」
ハイドを先頭に、プリメラ、イチヤの順で森の中に入る。
そのまま十分ほど歩き続けて、ハイドは足を止めた。
「この辺でいいかな。誰かがいる気配もないし、村からもセントロからも離れてる」
誰に言うでもなく呟くと、ハイドは、後ろにいるイチヤ達の方を向いた。
立ち並ぶ木々が、月明かりを遮っている。周囲は暗い。
緩い風で、木の葉がカサカサと揺れている。
「それで、だ」
こちらを向いたハイド対し、イチヤは早速本題に入った。
「協力してくれるって、何をしてくれるんだ?」
ハイドの言葉を信じるなら、彼は、公爵とのツテもあるという。セントロで公爵の名を出すということは、彼と繋がりがあるのはディグノ公爵だろう。セントロを含む領地を治めている、ノース国内でも上位にいる公爵。私設軍も有しているという。
もしかして、イチヤのために、私設軍を貸してくれるよう頼んでくれるのだろうか。
――まさか、な。
思い浮んだ都合のいい考えを、イチヤはすぐに否定した。反逆した者に私設軍を貸すはずがない。
「協力の話をする前に、訊いてもいい?」
質問に質問で返された。
ハイドの問いに、イチヤは無言で頷いた。
「イチヤは今、何のために旅をしてるの? 君が召喚者で、フロンテーラで敗れた、ってことは知ってる。どんな理由があるかは知らないけど、軍を自分の思うように動かそうとして、反対した兵を斬り殺したことも聞いてる。もちろん、今では反逆者扱いになってることも聞いてる」
ハイドの言ったことは、正確ではないが間違でもいない。
「旅の理由は、ただ逃げるため? それとも、目的があって旅をしてるの?」
イチヤは少し黙り込んだ。今の自分には何もない。味方の兵も軍もない。召喚者としての力はあるが、チサトにはまだ劣る。
サウスウェストの侵攻を止めることもできない、弱い自分。
それでも、やりたいことがある。
理不尽に傷付く人がいない世界にしたい。昔の自分のように踏み躙られる人など、なくしたい。
そのためには、何をしなければならないか。
答えは簡単だ。
「俺は、三国の戦争を止めたい」
今の自分は弱い。自分の望みを叶えるためには、最低限、チサトを殺せる程度の力をつける必要がある。
セントロに着くまで、イチヤは絶えず訓練を重ねた。以前読んだトレーニング学の本の知識を活かし、確実に力はついてきた。
「俺はフロンテーラの戦いで負けた。チサトに――サウスウェストの召喚者に負けた。だから、勝てるだけの力を付ける。最終目標は戦争を終わらせることだけど、目下の目的は、サウスウェストの召喚者を殺して、進軍を止めることだ」
「そうか」
小さく肩をすくめて頷くと、ハイドは空を見上げた。
「俺はね、イチヤ。色んな場所を巡ってきた。色んな場所で歌って、色んな情報を得てきた。だから、この戦争に関しては、イチヤよりも詳しいつもりだ。戦争が続く理由も知ってる。だから、できるだけ少ない犠牲で戦争を終わらせる方法も、概ね分かる」
「!」
イチヤは目を見開いた。
イチヤが戦争に関して知っているのは、もう二〇〇年ほども続いているということ。戦争が起こった理由など知らないし、戦争が続いている理由も知らない。
「どうしてだ?」
主語も目的語もない質問が、イチヤの口を突いた。
それでもハイドは、意図を理解してくれたらしい。
「戦争が起こった理由を話す前に、前提がある」
前置きして、ハイドが訊いてきた。
「イチヤは不思議に思ったことはない? 圧倒的な――召喚魔法すら使える皇帝が、どうして戦場に出てこないのか、を」
「まあ、それは」
「理由は簡単だよ。戦争を引き起したのも、続けさせてるのも、休戦を許さないのも、皇帝だからだ」
ハイドは両手を広げた。まるで、大陸全体を指し示すように。
「このトレフォイル大陸には、三つの王国がある。ノース王国、サウスウェスト王国、サウスイースト王国。王国だから、当然、それぞれの国に国王がいる」
至極当たり前のことを、ハイドは言った。王国だから国王がいる。
「でもね、違うんだよ」
「違うって、何がだ?」
「この大陸には、王国なんてものは存在しない」
「?」
意味が分からず、イチヤは首を傾げた。
構わず、ハイドは続けた。




