第五十六話② 再会(後編)
ハイドのことを思い出して。もし彼の歌なら、また聴きたいと切望して。
「プリメラ」
「はい?」
「ちょっと行ってみよう。歌声の方を案内してくれ」
「わかりました」
プリメラに先導されて、イチヤは、歌声に向ってセントロの街を歩いた。
三分もしないうちに、イチヤの耳にも歌声が届いてきた。まだ歌詞までは判別できない。
けれど、この胸に突き刺さるような歌声は。
歌詞が分からずとも、心情を揺さ振る表現力は。
間違いなく、ハイドの歌だ。
歌声が聞こえるようになって。
イチヤの足は、自然と速く動いた。後ろから、プリメラが付いてくる。
声を辿って行き着いたのは、セントロのほぼ中央にある広場だった。半径が約三十メートルほどの、大きな広場。出店が複数出店しており、広場の中央部には、数段の階段の上に噴水がある。
壇上で、彫刻のように美しい人物が歌っていた。間違いなくハイドだった。
噴水の周囲には、人だかりができていた。フロンティアのときほどではないが、大勢の人がハイドの歌声に聞き惚れている。敵国が攻めてくるという不安の中でも、彼の歌だけは聴きたいという思いからか。それとも、戦争の恐怖から目を逸らすために、彼の歌に聴き惚れていたいのか。
たぶん、どちらも正解だろう。
イチヤはプリメラと一緒に、人だかりに加わった。壇上のハイドから見て、二十メートルほどの位置。
初めてハイドの歌を聴いたときは、我を忘れて人だかりを掻き分け、強引に最前まで進んだ。周囲の人達に多大な迷惑をかけてしまった。さすがにイチヤは、今回は自重した。
イチヤの隣りでは、プリメラも、ハイドの歌に聴き惚れていた。目を見開き、時折耳をピクンッと動かしている。魂が、歌声に引き込まれているような表情になっていた。
一曲終わり、盛大な拍手。次の曲が始まると人々は静まり返り、歌声だけが周囲に流れる。
イチヤ達が来てからハイドが歌った曲は、全部で十八曲。
太陽が傾き始めた頃、ハイドの公演は終わった。
最後に彼は、風の魔術に乗せて、フロンティアの公演のときと同じことを言っていた。
「今日の公演の価値は、みんなが決めてくれ。〇ディネロでも、十万ディネロでも。今日の俺の価値は、俺が決めるものじゃなく、みんなが決めるものだから」
直後、多くの硬貨が、噴水の壇上に向って投げられた。ハイドの風の魔術に捕まり、投げられた硬貨が一カ所に集まってゆく。
「プリメラ」
「何ですか?」
「無駄遣いはできないけど、俺も大金を投げたい。いいか?」
「いいも何も、イチヤさんのお金ですよ」
「ありがとう」
財布から硬貨を取り出した。フロンティアのときは十万ディネロも投げたが、さすがに今回は少しだけ自重した。五万ディネロ。上空に向って放り投げる。
「!」
気のせいだろうか。硬貨を投げた瞬間に、壇上のハイドと目が合った気がした。二十メートルほども距離があるのに。今のイチヤは変装しているから、ハイドには、イチヤだと気付かれていないはずなのに。
――気のせい、だよな。さすがに。
胸中で呟く。
やがて、集まった観客からの投げ銭がやんだ。少しずつ、人々が広場から離れてゆく。
「俺達も行こうか」
「そうですね」
イチヤとプリメラも、広場を後にした。これから、今晩泊まる宿を探す必要がある。宿に着いたら、これからのことをプリメラと話し合おう。セントロに何日滞在するか。レアルカピタルに着いたら、まず何をすべきか。
広場から離れると、イチヤとプリメラは、再び宿を探し始めた。高級宿以外は、概ね、一泊の値段は同じくらいだった。もっとも高い宿ともっとも安い宿の値段の差は、せいぜい千ディネロ程度。
太陽がさらに傾いてきた。陽光が、オレンジ色に染まり始めた。
人通りの少ない道に出た。
値段にそれほど差がないし、そろそろ適当な宿に決めるか。
そんなことをイチヤが考え始めたときだった。
「ちょっといい?」
道端で、後ろから声を掛けられた。
イチヤとプリメラは、ほとんど同時に振り向いた。
二人の視線の先には、一人の男性。一見すると美女にしか見えない、彫刻のように整った容貌。
イチヤの口から、小さく声が漏れた。無意識のうちに漏れた声だった。
「ハイド……」
「うん」
フロンティアにいたときと同じように、ハイドは、台車に木箱を載せていた。投げ銭を入れた木箱。木箱の上には紺色の布がかけられ、硬貨を隠している。
ハイドは台車を引きながら、イチヤ達に近付いてきた。
「君達、俺の公演に来てくれた人達だよね?」
イチヤの隣りで、プリメラは驚いた顔をしている。圧倒的な歌唱力を持つ歌人が目の前にいる驚きか。驚異的に美しい者と遭遇した驚きか。たぶん両方だろう。
イチヤは、フロンティアでハイドと顔を合せている。名乗りもした。あの時は、召喚者だとは教えなかったが。
イチヤがお尋ね者になっていると、ハイドは知っているかもしれない。いや、おそらく知っているだろう。こんな大都市にいて、召喚者がお尋ね者になるという重大事項を耳にしないはずがない。
けれど、今のイチヤは変装をしている。イチヤだと名乗らなければ、気付かれるはずがない。事実として、城壁の外にいる兵も、イチヤの変装にまったく気付かなかった。
――落ち着いて、初対面のように振る舞うんだ。
胸中で呟き、精一杯の芝居をしようとする。
しかし、イチヤの思惑は、簡単に崩れ去った。
「髪の色は違うけど、君、イチヤだよね? 連れの女性は、以前とは違うみたいだけど」
※次回更新は8/13を予定しています




