第五十六話① 再会(前編)
イニシオ村を出てから約三ヶ月後。
王都レアルカピタルに向う途中で、イチヤとプリメラは、セントロに立ち寄った。
中央都市セントロ。レアルカピタルから南西に五キロメートルほどの場所にある、大都市だ。フロンティアと同様に高い城壁に囲まれ、外敵や不審者の侵入を防いでいる。
セントロを含む領地を治めているのは、筆頭公爵とも言われるディグノ家。現在の公爵はウィディアン・ディグノ。戦士型の素養を持つ、有能な人物だという。
ウィディアンには、デシーディダという妻がいる。シーダの愛称で呼ばれる彼女は、夫と甲乙付けがたいほど有能であり、夫婦で領地の繁栄に尽力しているという。
――というのが、イチヤがレトから聞いていたセントロの情報だ。
現在のセントロは厳戒態勢になっていた。フロンティアがサウスウェストに侵攻され、陥落したという。さらに、ノースの召喚者が反逆に等しい行動を取り、手配されている。
セントロを囲む城壁周辺では、国軍だけではなく、ディグノ家が抱える私設軍が警備をしていた。サウスウェスト軍への警戒。それだけではなく、現召喚者――イチヤの存在にも目を光らせている。
しかし、イチヤとプリメラは、簡単な尋問と所持品検査だけでセントロに入ることができた。パスティオン侯爵領にある村から命からがら逃げてきた、と兵士に伝えて。
「思った通りだった。上手くいったな」
自分の髪の毛をワシャワシャと掻き、イチヤは、少しだけホッと息をついた。
「本当ですね。少しドキドキしましたけど」
隣りを歩くプリメラが、相槌を打った。
イチヤの髪の毛は、黒ではなくダークブラウンになっていた。人族とドワーフのハーフに見られる髪色。純血の人族の髪色ではない。
イニシオ村を発ってから十日ほど経った頃。イチヤは、プリメラに十枚ほどの金貨を持たせ、近くの町でレモンを大量に購入してもらった。
レモンには、ビタミンCとクエン酸が含まれている。その汁で髪の毛を浸し、太陽光に当てると、メラニンを酸化させる。つまり、髪の毛が脱色する。もっとも、一回だけではほとんど効果はない。元の世界にあるブリーチ剤のような効果は、到底得られない。何十回と繰り返すことで、ようやくダークブラウンに染まる程度だ。
イチヤは旅をしながら、毎日レモンの汁に髪を浸した。できるだけ日光を浴びるために、訓練を太陽の下で行った。
この世界に毛染めの文化はない。髪の毛の色は、エルフの耳と同様に、人種のアイデンティティを示すものだ。
だからこそ、イチヤが髪の毛を染めて変装しているとは、誰も思わない。
もちろん、名前も「イチヤ」と名乗ったりしない。セントロに入る際には、門番をしていた兵士に「ノーチェ」と名乗った。
ここに辿り着くまで、イチヤは訓練を怠らなかった。何度か襲ってきた山賊との戦いで、成果を実感できた。
――でも……。
まだ力不足だと感じる。今の実力では、チサトには勝てない。イチヤの中で、チサトの存在は、あまりに強大になっていた。その醜悪さも含めて。
セントロに辿り着く前に、プリメラにはいくつかの町や村に立ち寄ってもらった。そこで彼女は、サウスウェスト軍に関する情報を得ていた。
サウスウェスト軍の進軍は、一旦停止しているらしい。おそらく、フロンティアで疲れを癒しつつ、進軍の準備をしているのだ。
イニシオ村の人々は、無事に逃げられただろうか。逃亡前のイチヤの忠告を、聞き入れてくれただろうか。
プリメラも、村に残してきた両親や村人のことを心配しているようだ。無理もないが。
セントロに数日滞在し、疲れを癒したら、プリメラをレアルカピタルに送り届けよう。おそらくあそこが、現在の国内で一番安全だ。
レアルカピタルでプリメラが生活の基盤を整えたら、サウスウェストが攻め込みそうな都市に向おう。再びチサトと戦うために。サウスウェストの侵攻を止めるために。
とりあえずの目的や目標はある。しかしイチヤは、チサトを殺した後にどうすべきか、まだ分からなかった。
戦争をやめさせたい。無駄に命が散らされ、弱者が蹂躙される愚かしい戦い。
戦争は、もう二〇〇年ほども続いているという。どうしてそんなに長い間、一度の休戦協定すら結ばれることなく、三国は戦い続けているのか。
戦争が始まった要因を突き止めることができれば、もしかしたら、終結させることができるのかも知れない。
考えながら、セントロの道を歩く。周囲の景色は、フロンティアとそれほど変わらない。整備された石畳の道。立ち並ぶレンガ造りの建物。
太陽が真上にある昼時。
道行く人々は、どこか不安を抱えながらも、同時に現実逃避しているように見えた。不安から目を逸らし、普段と変わらない日々を送ろうとしている。
無理もないことだな、と思う。敵国が国内に進軍してきたからといって、突然生活を変えられるはずがないのだ。
武器を手にしたことすらない者が、いきなり戦場に出られるはずがない。魔術を生活のためだけに使っていた者が、人に向けて撃てるはずもない。
イチヤがすぐに戦いに馴染めたのは、レトの指導があったから。何より、イチヤ自身の過去が影響していたからだ。五味やチサトのようなゲスに、深い傷を負わされた。恨みなどという言葉では生温いほどの憤怒と痛みを抱えていた。だから、彼等のようなゲスには、平気で剣を突き立てることができた。死んでもいいと思っていたから、恐怖もなかった。
もっとも五味は、すでに、彼に相応しい結末を迎えているが。
「イチ……ノーチェさん」
プリメラに声をかけられて、イチヤは彼女に視線を向けた。つい「イチヤ」と言いそうになった彼女に、笑いが漏れた。
「何だ?」
「今晩泊まる宿は、どうします? やっぱり、できるだけ安い宿を探した方がいいですよね?」
イチヤは、懐から財布を取り出した。フロンティアに着いた直後に、レトから貰った財布。中には、まだ二十万ディネロ以上残っていた。襲ってきた山賊からも路銀を奪ったので、それほど金には困っていない。
とはいえ、切り詰められるところは切り詰めた方がいいだろう。
「そうだな。まあ、その気になれば、いくらかの金は稼げるだろうけど。この先、もしかしたら、困窮する可能性もあるしな」
「そうですね」
街中で営業している宿には、概ね、値段を記した看板があった。日本のラブホテルみたいだなと、イチヤは苦笑してしまった。
街中で、今晩泊まる宿を探した。三十分ほど歩き回った。
ふいに、隣りを歩くプリメラが、エルフの長い耳をピクンと動かした。そのまま足を止める。
彼女に合わせて、イチヤも足を止めた。
「どうした? プリメラ」
「歌が聞こえます。すっごく綺麗な歌声」
言いながら、プリメラが指差す。
「たぶん、あっちからです。歌詞までは聴き取れませんが。ただ、凄く綺麗な歌声です」
イチヤには、まだ何も聞こえない。プリメラの耳はイチヤよりもいいらしい。どうやら、召喚者でも聴力は向上しないようだ。
綺麗な歌声と言われて、イチヤの脳裏に、ハイドの姿が思い浮んだ。フロンティアで公演をしていた、彫刻のように整った容貌の青年。美しい姿に、美しい歌声。彼の歌はただ美しいだけではなく、どこか苛烈で、もの悲しく、心を抉られるようだった。




