第五十四話 大根役者の逃亡
「俺に攫われてくれ」
イチヤがプリメラにそう伝えてから、数分経った後。
家の中で、炎が燃え上がった。プリメラの魔術によって。
火は屋内を包み、木製の壁や床が、パチパチと火の粉を散らしている。
イチヤは片手でプリメラの腰を抱え、寝泊まりしていた部屋で大きく跳び上がった。そのまま天井を突き破り、屋根の外に飛び出した。
家が燃えてゆく。しかし、倒壊するまではまだ時間がある。
屋根の上に着地し、イチヤは周囲を見回した。
思った通り、家の前には数人の村人が集まっていた。村長とその家族。村の役員。プリメラの両親。
眼下に集まっている人達に向って、イチヤは大声で告げた。
「プリメラ程度の魔術じゃ、俺を殺すことはできない!」
燃え上がる家が、夜の闇を明るく照らしている。家の前にいる人達の顔も、よく見える。
村長やその家族、村の役員達は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「プリメラは預からせてもらう! 人質だ! 危害を加えて欲しくなかったら、俺を追ってくるな!」
プリメラの両親は、泣きそうな顔でこちらを見ている。娘を心配しているのだろう。
「俺はもう、この村には戻らない! サウスウェストの召喚者が攻め込んでくるだろうからな! あの女が攻めてきたら、フロンティアは間違いなく陥落する! この村も滅ぼされる!」
つい先ほどプリメラに伝えたことを、イチヤは、家の前に集まった人達にも言い放った。強者から逃げ回る小物を、できる限り演じながら。
「死にたくなかったら、村を捨てて逃げろ! シウダッドミリタールあたりまで逃亡すれば、当分は安全だ!」
シウダッドミリタールは、王都とフロンティアの中間辺りにある大都市だ。ガルダール・メディオ侯爵の領地にある、フロンティアによく似た軍事都市。もっとも、抱えている兵力はフロンティアを大きく下回るが。
家の前にいる人達に言い放つと、イチヤは、小声でプリメラに話しかけた。
「ここから飛び降りて、お前を抱えたまま森まで走る。腰と腹に負担がかかるかも知れないけど、できるだけ堪えてくれ」
屋根に飛び出す前に、イチヤは、これから行うことをプリメラに話していた。彼女を人質として村から逃げること。この村にも危機が迫っていると、家の前に集まった人達に伝えること。
プリメラは無言だった。少し困った顔で黙り込んでいる。時折、心配そうな顔で、家の前にいる両親を見ていた。
イチヤは、つい、プリメラに「もっと怯えた顔をしろ」と命令しそうになった。自分は頑張って演技しているのだから、プリメラも頑張って人質の演技をしてほしい。
――いや、でも。もしかすると。
ふと、イチヤは少し不安になった。プリメラを困らせてしまうほど、自分の演技は大根なのだろうか。だとしたら、どうしようもなく恥ずかしい。
とはいえ、今さら演技はやめられない。この村に留まれないのも事実だ。それなら、絶対に守りたいプリメラだけは自分の手で連れ出す。村人には、自分達の意思でここから逃げてくれることを祈る。
イチヤは屋根から飛んだ。できるだけ柔らかく着地し、プリメラに負担をかけないように心掛けた。
着地した瞬間に彼女が「うぐっ」と呻き声を上げたので、少し心配で立ち止まってしまった。
「だい、じょうぶ、です」
苦しそうにしながらもプリメラがそう言ったので、イチヤは全力で走り出した。彼女を抱えたままで。
プリメラの家から村の外まで、概ね一キロメートルほど。召喚者の体力と身体能力なら、あっという間に近くの森まで駆け込める。
イチヤはこのまま、フロンティアからはるか遠くに逃げるつもりだった。目的地は、王都レアルカピタル。王都までプリメラを連れて行き、そこで、彼女が生活の基盤を整えるまで手伝うつもりだった。
プリメラはまだ若い。生活の基盤を整えて、今とは異なる環境で生きれば、いつかは幸せになれるはずだ。トーダを忘れないまま、それでも幸せに。
――問題は……。
これからの問題は、二つある。
一つは、イチヤがお尋ね者になっているだろうということ。イチヤがノースの兵を殺し、自軍を意のままにしようとした。その話は、国中に出回っていると考えた方がいい。イニシオ村のような片田舎にすら伝わったのだから。
もう一つは、ノース国内のどこにいてもサウスウェストの脅威に晒されること。これからサウスウェスト軍は、フロンティアを攻め、さらに国内中枢部まで侵攻してくるはずだ。
この世界で戦争の要になるのは、召喚者だ。チサトを殺せば、サウスウェストの勢いは止まる。上手くいけば、サウスウェスト軍全体を撤退させられる。
しかし、今のイチヤではチサトを殺せない。召喚者以外の人間が彼女を殺すことも不可能だ。つまり、現在のところ、サウスウェストを止める手立てがない。
プリメラを抱えたまま森の街道に入り、そのままひたすら走り続けながら。
この二つの問題をどうするか、イチヤは考え続けた。
※次回更新は8/9を予定しています




