第五十三話② 誰も彼も助けたい(後編)
プリメラは小さく鼻をすすると、イチヤに視線を戻してきた。
「突然殺し合いに巻き込まれるのは、凄く恐いんです。無意識のうちに体が震えて、思うように体が動かなくなって、声も出せなくなるんです」
プリメラが震えているのは、かつて味わった恐怖を思い出しているからか。それとも、同じ恐怖を味わった人達に、感情移入しているからか。
「私は昔、召喚者様に憧れていました。回復魔術が使えるようになってからは、すっかり自惚れて。いつか召喚者様と一緒に敵国と戦うんだ、なんて思ってました。傷付く痛みも、殺し合いの怖さも知らないくせに、夢を見てました」
「実際に敵国に攻め込まれて、どうだった?」
訊いておきながら、イチヤは、酷な質問だと感じていた。感じていたが、訊いた。プリメラが、自分の気持ちを吐き出したいように見えたから。
「夢見るようなものではありませんでした」
彼女が吐き出したいのは、自分の意見ではなかった。
「あんなものに憧れて、戦いの中で召喚者様と結ばれる夢を見て。そんな夢を、私は、トーダに聞かせていたんです。夢とはまるで違う現実を思い知って、夢とは違って何もできなかった私を、トーダは守ってくれたんです」
プリメラが吐き出したいのは、トーダへの懺悔。深すぎるほどの後悔と自虐。
彼女の目に浮かぶ滴が、大きくなってきた。やがて一筋の涙となって、頬に流れた。
イチヤはそっと、プリメラの頭を撫でた。
「プリメラは、たぶん、俺を暗殺するように指示されたんだろ?」
無言で、プリメラは頷いた。
「俺の暗殺を指示されたのに、助けてくれたんだな?」
「だって……」
プリメラの声は、もう完全に涙声だった。喉に詰まるような声を、必死に絞り出していた。
「イチヤさんは、私に、トーダの姿を見せてくれた人だから」
恐怖以外に何も見えなくなっていた、プリメラの目に。命懸けで好きな女の子を守った、トーダの姿を。
静かな嗚咽を漏らし、プリメラは泣いていた。
プリメラが落ち着くまで、イチヤは彼女の頭を撫でた。
そのまま一、二分ほど待ち。彼女の涙が引いてきたのを見計らって。
イチヤは、プリメラに問いかけた。
「プリメラは、俺にどうしてほしい?」
彼女がその気になれば、イチヤを暗殺できていた。眠っているイチヤに油でもかけて火の魔術を放てば、殺すことができただろう。仮に今すぐ死ななかったとしても、大火傷を負って、近いうちに死んだはずだ。
この村はプリメラの故郷で、彼女がトーダと生活した場所。そんな村の意思に反してまで、彼女はイチヤを助けてくれた。
自分を助けてくれたプリメラに対し、何をすべきか。
イチヤは、自分では決められなかった。だから、プリメラの気持ちを訊いた。
プリメラは何も答えなかった。どこか困った顔で黙り込んだ。
そのまま、しばし沈黙。
プリメラは何も言わない。
――いや。
何も言わないのではなく、言えないのだろう。プリメラの心には、未だに、トーダへの罪悪感が生きているはずだ。罪悪感が、彼女自身に、何も望まないようにさせているのだ。自分の望みを持つことなく、ただ贖罪のみに生きている。
「俺はな、プリメラ――」
彼女が何を望むのかなんて、イチヤには分からない。強いて言うのであれば、何も望まないことが、彼女の望みなのだろう。
そんな一生など、プリメラに送って欲しくない。トーダのことを忘れて欲しくはないが、囚われても欲しくない。
「――プリメラには、いつか楽しく生きられるようになって欲しいと思うよ。トーダのことを忘れないで、でも、罪悪感に縛られないで。トーダの気持ちなんて、俺には分からない。でも、もし俺がトーダなら、好きな女には幸せになってほしいと思う」
プリメラの頭から、イチヤは手を離した。
「好きな女には幸せになって欲しいから、トーダも命を懸けたんじゃないか? だから、最後の最後まで、プリメラの名前を呼び続けていたんじゃないのか?」
また、プリメラの目から涙が零れてきた。ボロボロと、先ほどよりも大粒の涙。
「自分が望むものを言えないなら、とりあえず俺は、望むものができるまでプリメラを生かすようにするよ」
「……?」
涙が溜まった目を、プリメラはイチヤに向けてきた。
イチヤは、これからノースに起こることが、概ね予測できていた。
イチヤを片付けたサウスウェストは、シュウを――五味を殺したときと同様に勢いに乗るだろう。だから、再びデルパイース川を渡って攻めてくる。
シュウを殺した後は、国内の防衛のために、チサトをフロンテーラに残した。ノースの召喚者はまだ戦えないと判断して、召喚者抜きでフロンティアを攻略、侵攻しようとした。
だが、ノースは、サウスウェストの予測よりも遙かに早く召喚者を戦場に出してきた。
では、次はどのように攻めてくるか。
イチヤの次の召喚者が戦場に出てくる前に、最大戦力でノースに進軍する。最大戦力だから、当然、チサトも侵攻軍に加わってくる。
イチヤは、サウスウェストが侵攻してきたら、命を懸けて村人を逃がすつもりだった。命を救ってくれた村に、命懸けで恩を返すつもりだった。回復してから剣の訓練を重ねていたが、今の実力では、まだチサトには勝てない。今の自分にできるのは、村人を逃がす時間を稼ぎ、その後に自分も逃亡するくらいだ。
しかし、状況が変わった。この村がイチヤを暗殺しようとしている。もうここにはいられない。
それでもイチヤは、この村を見捨てられなかった。たとえ暗殺されそうになっても。どうにかして、村人達には生き延びて欲しかった。
それならば、できることは一つだ。
イチヤは、プリメラの両肩に触れた。彼女をじっと見た。再び、二人の視線が絡んだ。
「プリメラ」
「……はい」
「さっきも言った通り、俺はプリメラを生かしたい。できれば、この村の人達にも生き延びて欲しい」
プリメラが驚いた顔を見せた。
「でも、村の人達は、イチヤさんを殺そうとしたんですよ?」
「それは、フロンティアの兵の言うことを信じたからだろ? 俺は、この村の人達に助けられた。プリメラの両親にも。だから、できれば助けたい」
「……」
「たぶん、もう少ししたら、サウスウェスト軍が攻めてくる。俺を圧倒した召喚者も連れて。でも、立場上、俺はもうこの村にはいられない。村を守ることはできない」
サウスウェスト軍が侵攻してきたら、今度は確実に、フロンティアは陥落する。チサトの魔術は圧倒的だった。万の兵にも匹敵する、と言えるほどに。フロンティアにいる兵だけでは、とても止めることはできない。チサトに加えて、大勢の兵も引き連れてくるはずだから。
この状況で、何ができるか。
守るべき者の優先順位を決める。
イチヤにとって、現時点で、最優先で守るべき者は誰か。
プリメラだ。
では、どうするか。
プリメラの両肩に触れたまま、イチヤは彼女に告げた。
「俺に攫われてくれ」
「……はい?」
プリメラは、わけが分からない、という顔になった。
※次回更新は8/7を予定しています




