第五十三話① 誰も彼も助けたい(前編)
「……さん」
静かな、自分を呼ぶ声。
「……イチヤさん、イチヤさん」
声と一緒に、体が揺さ振られている。
「……ん?」
眠りの中から意識が戻り、イチヤは、重い瞼を開いた。
ベッドの上。目が覚めて、周囲を見回す。透明度の低い窓から、光はほとんど入ってこない。部屋を照らしているのは、薄い月明かり。
プリメラの家。その一室。イニシオ村に滞在し始めてから、イチヤは、この部屋を借りて寝泊まりしていた。
眠りから覚めて、イチヤは、自分の状況を理解していった。
プリメラ達家族は、イチヤを残して村長の家に行っていた。一家揃って村長に呼び出されたという。夜遅くの呼び出しだったため、イチヤは先に眠っていた。
今は、明らかに真夜中だった。農作業従事者の朝は早いが、まだ起きる時間ではない。
それなのに、体を揺さ振られ、名前を呼ばれて起こされた。
「イチヤさん」
声の方に視線を向ける。
イチヤの目を覚まさせたのは、プリメラだった。
イチヤは、ベッドの上で上半身を起こした。
「どうしたんだ、プリメラ。まだ夜中だろ?」
半分寝ぼけた頭で、プリメラに聞く。
イチヤの視界の中には、どこか切羽詰まった様子のプリメラ。
彼女の顔を見た瞬間、嫌な予感が頭の中に過った。
イチヤの意識が急速に覚醒した。
イチヤはフロンテーラの戦いで敗れた。サウスウェスト軍が体勢を立て直したら、いつ攻め込んできても不思議ではない。
――またこの村が狙われたのか!?
イチヤはプリメラの肩を掴んだ。
「まさか、サウスウェストが攻め込んできたのか!?」
イチヤはやや大きな声を出した。
直後、プリメラは、今度は慌てた表情を見せた。人差し指を唇に当て、「シッ」と、静かにするよう伝えてくる。
「イチヤさん、あんまり大きな声を出さないでください」
「……?」
プリメラの指示通りに、イチヤは口を噤んだ。
プリメラは、イチヤの強さを知っている。イチヤが使用している剣も、ベッドの側にある。もしサウスウェスト軍が攻め込んできたなら、静かにして身を潜めるよりも、すぐに起きて抵抗するよう伝えてくるはずだ。
プリメラの指示から、サウスウェスト軍が攻め込んできたのではないと判断できた。では、どうして彼女は、こんな切羽詰まった顔をしているのか。
言われた通りに声のトーンを落とし、イチヤはプリメラに訊いた。
「どうしたんだ、こんな夜中に」
訊くと、プリメラの表情が変わった。どこか気まずそうな表情。言いにくいことが起こったのだと、すぐに気付いた。
何が起こったのか。
目覚めたばかりのイチヤの頭に、一つの事実が浮かび上がった。今日は、村の常駐兵が交代する日だった。フロンティアから交代の兵が来て、今日まで常駐していた兵が帰っていった。
つまり、フロンティアから来た兵が、村に何かを伝えた。
何を伝えたのか。答えは一つだ。
「……フロンティアの兵が、俺のことを村長に伝えたんだな?」
静かに、確信を持ってプリメラに訊く。
彼女は小さく頷いた。
「何を伝えられたんだ?」
質問を重ねると、プリメラは、唇を強く結んだ。一瞬だけイチヤから目を逸らし、また視線を戻してきた。
「イチヤさんは反逆者だ、って。サウスウェストに攻め込んだときに、自分の意に沿わない兵を殺した、って」
「……」
嘘ではない。ブランコ村の女性に乱暴しようとした兵を、イチヤは斬り捨てた。嘘ではないのだ。ただ、正確でもないだけで。
「本当なんですか?」
「ああ」
正直に、イチヤは答えた。理由がどうあれ、イチヤがノースの兵を殺したのは事実だ。
イチヤの答えを聞いても、プリメラは、拒絶の行動を取らなかった。立て続けに質問を口にした。
「何か、理由があるんですよね? じゃないと、イチヤさんが味方の兵を殺すなんて、思えないです」
暗い部屋。
かすかな月明かりの中で、プリメラはじっとイチヤを見ている。
イチヤも、プリメラをじっと見つめた。
「俺なりに、正当な理由があったつもりだ」
「どんな理由ですか?」
「……俺を信じてくれるのか?」
質問に質問で返した。
プリメラは、迷いなく頷いてくれた。
イチヤは正直に理由を話した。サウスウェスト国内の村に攻め込んだこと。村を、フロンテーラ攻略のための拠点にするつもりだったこと。拠点にするだけだから、村人に手を出すつもりはなかったこと。けれど、ノースの兵は村の男を惨殺し、女性に乱暴をしたこと。
「ノースの兵は、この村でサウスウェスト軍がしたのと、同じことをしたんだ。止めても、一切聞き入れようとしなかった。だから、力尽くで止めた」
イチヤはできるだけ、淡々と事実のみ話した。
ノースとサウスウェスト。国は違えど、兵士が行った蛮行は同じだ。同じ被害を、かつてプリメラも受けた。
同じ被害を受けて、トーダは殺された。
できるだけ感情移入しにくい口調で話したつもりだ。だが、それでも、この話は、プリメラの心に深く突き刺さったようだ。暗がりでも、彼女の肩が震えているのが分かる。
「プリメラ。訊かせてくれ」
イチヤもプリメラも、互いが、互いから視線を離さなかった。
「ノースの兵の行為を、どう思う? 敵国の人間になら、何をしてもいいと思えるか? 戦いに無関係な人間でも、敵国の者だという理由だけで、何をしても許されると思うか?」
プリメラはイチヤから視線を外し、首を小さく横に振った。窓から入る薄い月明かりが、彼女を照らしている。彼女の目元が、少しだけ光を反射していた。




