第四十九話② 今でも生きていられるのは(後編)
プリメラは、自分を恥じているのだ。トーダが致命傷を負いながら戦っていたときに、己の保身ばかり考えていたことを。彼の身を案じることもなく、ただ恐怖に支配されていたことを。
プリメラは、イチヤをじっと見つめてきた。瞳が、昼間の陽光でキラキラと光って見えた。涙が零れそうな目で、小さく頷いた。
「そうですね」
「ああ。だから、そんなに自分を卑下するなよ」
「はい」
返事をすると、プリメラはすぐに質問を口にした。
「それで、あの。ずっと気になってたんですけど、訊いてもいいですか?」
「なんだ?」
「どうしてイチヤさんは、あんな大怪我をしてたんですか? イチヤさんがあんなふうになるなんて、想像できなくて。それに、お連れの方はどうしたんですか?」
「……」
イチヤは少し黙り込んだ。正直なところ、答えたくなかった。とはいえ、助けてもらったのに何も答えないなんて、不誠実だ。プリメラには話すべきだろう。助けてもらった恩もある。加えて、サウスウェスト軍が再び攻め込んできたら、この村も被害に遭う可能性があるのだから。
「実は、な――」
イチヤは、この村を発った後のことを簡潔に説明した。フロンティアに行き、本格的に戦場に出たこと。サウスウェストに進軍したこと。フロンテーラの戦いで敗れたこと。敗戦のときに、レトと離れ離れになったこと。彼女の生死は不明だということ。
もっとも、簡潔に説明したので、ノースの兵士の蛮行については触れなかったが。
プリメラは驚いた顔をしていた。
「信じられないです。イチヤさんが負けるなんて」
プリメラを助けたとき、イチヤは、サウスウェスト軍の長を圧倒した。おそらく、イチヤのことを、地上最強だと思っていたのだろう。
今度はイチヤが、自虐を感じてしまった。
「たぶん俺は、思い上がってたんだろうな。召喚者としてこの世界に来て、ほんの少しの鍛錬で簡単に強くなれて。だから、自分の正義を突き通せると思ってた。自分の正義を突き通して、勝ち続けて、英雄になれると勘違いしてた」
ノースの兵の蛮行を止めたことを、後悔などしていない。たとえ敵国の人間だろうと、戦いに無関係な人を蹂躙していい理由などない。
それでも、もっと違うやり方があったのではないか。兵士達を力でねじ伏せるのではなく、もっと別の方法で蛮行を止めるべきだったのでないか。じっくりと倫理を説いたり、人道に反しない報酬を与えられるよう奔走したり。
もちろん、ただの結果論だが。
ただ、兵士達が早々に逃走しなければ、もっと拮抗した戦いができたはずだ。もしかしたら勝てていたかも知れない。
敗戦の痛みと体に残された傷が、イチヤ自身に教えてくれた。自分がどれだけ甘かったかを。どれだけ未熟だったかを。
「それで、イチヤさんはこれからどうするんですか?」
プリメラに訊かれて、イチヤは考え込んだ。
これからどうするか。
戦いに負けたからといって、自分の理想を捨てたわけではない。この世界を、戦争のない世界にしたい。もっと言うなら、戦争で被害を受ける人々がいない世界にしたい。奪うための戦いではなく、戦いをなくすための戦いをしたい。
この世界でできた、自分のやりたいこと。死んでもいいと思っていた自分が、生きたいと思えるようになった理由。生きる目的。
しかし、目的を達成する方法が、今の時点では見つからない。
フロンティアに戻ったとしても、イチヤは歓迎されないだろう。共に戦った兵士達には、確実に恨まれている。間違いなく、逃走して生き延びた兵士達に、悪評を流されているはずだ。
いくら召喚者といっても、イチヤは、もうこの国の人間として戦えないだろう。
「これからのことは、ちょっと分からないな」
プリメラの質問に、イチヤは苦笑で答えた。自虐の交じった苦笑。
「フロンテーラの戦いでのゴタゴタで、俺には行き場がなくてな。だから、とりあえずは旅でもしながら、じっくり自分の身の振り方でも考えようと思う」
戦争をなくすには、戦争で勝たなければならない。敵国の王を捕えるか、あるいは殺すか。もしくは、相手国に敗北を認めさせるか。戦わずに戦争を終わらせることなど、不可能なのだ。どれほどの理想を唱えても。
現実的に考えるなら、この国を飛び出して他の国に行き、一般兵として戦いに参加するのが一番確実だ。ノースの軍とも戦うことになるだろうが、戦争を終わらせるためには仕方がない。
属する国を変えるなら、行き先はサウスイーストだろう。サウスウェストには青野が――チサトがいる。あんな奴の仲間になるなんて、絶対に無理だ。
とはいえ、すぐにサウスイーストに渡って戦う、なんて気にはなれなかった。自分は、チサトに敵わなかった。あのまま一対一で戦い続けたとしても、確実に負けていた。自分は必死だったが、チサトには余裕が見て取れた。
再度戦うなら、もっと力をつける必要がある。たとえ味方の兵の大半が逃走しても、惨敗とならない程度には。
「あの、イチヤさん」
今後のことを考えていると、再びプリメラに声を掛けられた。
「もしよければ、なんですけど」
「ん?」
「もう少し、ここでゆっくりしていきませんか? 怪我が治ったっていっても、イチヤさん、十日以上も寝たきりだったんですから。体力も戻ってないでしょうし」
「は!? 俺、そんなに寝てたのか!?」
驚いて、イチヤの声が裏返った。
イチヤの驚く様子がおかしかったのか、プリメラはプッと吹き出した。そういえば、と思う。彼女の笑顔を見たのは、これが初めてだ。
「はい。この村に来て、すぐに倒れて。ひどい怪我をしていて。それで、私が呼ばれたんです。この村で回復魔術が使えるの、私だけですから」
「そうだったのか」
「ええ。イチヤさんの顔を覚えてる人は、ほとんどいなかったんですけど。私が、イチヤさんのことを村長とか両親に説明して。一旦、私の家で看病しようってことになったんです。まあ、私の家でっていうのは、私自身が提案したんですけど」
十日も意識を失っていた。つまり、十日間は完全介護の状態だったのだ。意識を失っている人間に栄養を取らせるなら、口から流し込める流動食のような物も用意しないといけない。眠っている間の下の世話もする必要がある。それを、プリメラや彼女の家族が担ってくれたのだ。
再度、イチヤは深々と頭を下げた。
プリメラは、イチヤのことを「村を救ってくれた恩人」と言った。しかし彼女は、イチヤがしたこと以上のことをしてくれた。少なくともイチヤは、返し切れないほどの恩を彼女に感じた。
「さっきも言ったけど、ありがとう。どれだけ感謝しても足りないくらいだ。プリメラは本当に、俺の命の恩人だ」
「いや、そんな、イチヤさん」
パタパタと両手を動かし、プリメラは慌てた様子を見せた。
彼女が何かを言おうとしたが、イチヤは構わず続けた。遠慮の言葉も謙遜も、彼女に言わせなかった。
「プリメラの言った通り、しばらくはこの村で世話になりたい。それで、俺にできることなら、何でも手伝わせて欲しい。狩りでも畑仕事でも、何でもやらせてくれ」
「あの、そんな。でも、イチヤさんは――」
「頼む。邪魔にならない限り、何でもやらせてもらう。もし邪魔なら、村から追い出してくれ」
「邪魔だなんてそんな……」
「頼む」
押し付けがましいかも知れないが、返せる恩は返したかった。
助けてもらえることの有り難さを、イチヤは心底感じていた。戦場で一人残されたとき、自分の無力さを痛感したから。
どんなに圧倒的な力があっても、自分一人の力ではどうしようもないときがある。誰かに助けてもらわないと、何もできないときがある。
しかし、誰かに助けてもらえるというのは、当たり前のことではないのだ。結果的に敗北したとはいえ、戦場では、レトやハイディアにずいぶん助けてもらった。彼女達がいなければ、自分は、逃走する前に殺されていたはずだ。
自分は、誰かに助けてもらわないと生きられない。それなら自分も、可能な限り誰かの助けにならないといけない。自分を助けてくれた人が相手なら、なおさら。
イチヤは頭を上げなかった。召喚者としての価値を失った自分。下げている頭の価値は、決して重くない。それでも、こんな軽い頭でも、恩人の前で易々とは浮かせられない。
「あの、イチヤさん」
「頼む」
「お願いですから、一旦、頭を上げてくれませんか? イチヤさんにそんなことをされたら、本当に困ってしまうんで」
「ごめん」
言われた通り、イチヤは頭を上げた。プリメラの顔が目に映った。
彼女は、言葉通りの困った顔をしていた。困った顔だが、微笑んでもいた。
「それじゃあ、明日から、少しお仕事を手伝ってもらってもいいですか? もちろん、イチヤさんの負担にならない程度で」
コクリと、イチヤは頷いた。
「分かった。よろしく頼む」
「はい」
頷くと、プリメラはイチヤの袖を引っ張った。
「それじゃあ、とりあえず今日のところは、休んでいてください。まだ目が覚めたばっかりなんですよね」
「そうだな」
プリメラに引かれ、イチヤは家の中に戻った。
ドアを開けたときのギィッという音に混じって、ポツリと、プリメラが呟いた。
「本当は私が、恩返ししたかったんですよ」
プリメラの声は、ドアの音のせいではっきりと聞き取れなかった。
※次回更新は7/30を予定しています




