第四十九話① 今でも生きていられるのは(前編)
目を覚ますと、知らない景色が目に映った。
背中に柔らかい感触。体の上には温かな布団。
今の状況が、まるで分からない。
何がどうなったのか。自分はどこにいるのか。
一つ分かるのは、自分の体が横たわっているということ。
ということは、自分はベッドに寝ているのか。体に掛けられているのは布団だろう。頭を支えているのは枕か。
では、どうして自分はベッドで横になっているのか。
現状を理解できないまま、イチヤは上半身を起こした。そのまま、周囲を見回す。
思った通り、自分はベッドの上にいた。
ここは、木造の家の一室のようだ。自分の足の方向に、出入り口のドアがある。それほど広い部屋ではない。日本の感覚で言うと、六畳間ほどの部屋。
イチヤは自分の額に触れた。まだ寝惚けているのが、自分でも分かる。呆けている頭で、これまでのことを思い起こしてみた。
最初に思い出したのは、フロンテーラの戦いだった。それほど劣勢でもないのに、戦いなど馬鹿らしいと言わんばかりに逃走する兵士達。チサトが放つ圧倒的な魔術。途中まではチサトと一対一で戦っていた。だが、いきなり、自分に向って放たれる魔術の数が何倍にもなった。
魔術の数が多くなった理由を、イチヤは概ね理解していた。レトやハイディアも敗走したか、もしくは殺されたのだ。
絶望的な状況で、イチヤは、逃走することを選択した。日本にいた頃と違い、生きることに執着した。生きてやりたいことができたのだ。だから、死ぬ気にはなれなかった。死んでもいいなんて思えなかった。
逃走には成功した。だが、体中に傷を負った。襲ってくる激痛。失われてゆく体力。もう楽になりたいという気持ち。生きる目的を見つけたことで湧き出た執念。
――そうだ。
思い出した。フロンティアには行けないと判断し、イニシオ村に向ったんだ。サウスウェスト軍から解放したイニシオ村なら、休息を取らせてくれるかも知れないと判断して。
――ということは……。
胸中で呟き、推測する。ここはイニシオ村だろうか。ただ、イニシオ村に向い始めた途中から、記憶が途切れている。
今の状況を確かめようと、イチヤはベッドから降りた。外に出てみれば、ここがどこか分かるだろう。
ベッドから降り、両足で立ってみて。
途端に、フラリと立ちくらみがした。
イチヤは慌てて踏ん張った。立っただけでフラつくなんて。自分は一体、何日くらい意識を失っていたのか。
考えて、ふと気付いた。体中にあった痛みが、なくなっている。
「?」
イチヤは自分の体を見てみた。戦場で着ていた服とは違う服を着ていた。柔らかい布地の服。日本で言うジンベエに似た服だ。短い袖をまくって、両腕を見てみた。戦場で負った傷は、完全に消えていた。傷跡は多く残っていたが。服をめくって、足や体も見てみた。腕と同様に、痕はあるが怪我が治っていた。
戦場で大怪我を負ったのは、夢だったのだろうか。考えて、すぐに思い直した。残っている傷痕が物語っている。戦場での出来事は、夢ではない。現実だ。
おそらく、この村にいる魔術師が、イチヤに回復魔術をかけてくれたのだろう。
回復魔術は、他の魔術と比べて難易度が高い。都市に出て本格的に学ばなければ、上達が難しい魔術だ。レトが回復魔術をかけたなら、痕など残さずに傷を消しただろう。
体に残った傷痕が教えてくれる。この村にいる魔術師が、イチヤを治すために頑張ってくれたのだと。たとえ、拙い回復魔術であったとしても。
助けてくれた人に礼をしなければ。
イチヤは、この部屋のドアを開けた。今まで寝ていた部屋よりも広い部屋に出た。三人掛けのテーブルがある。おそらく食卓部屋――日本の間取りで言うリビングダイニングだ。外に出るドアが目に映った。窓から光が差し込んでいる。窓に張られたガラスはどう見ても安物で、透明度が低い。磨りガラスとしては使えそうだが。
イチヤは食卓部屋を通り、出入り口のドアに触れた。押し開けると、ギイッと音が鳴った。
強い日差しが、イチヤの目に入ってきた。太陽が真上にある。雲一つない、という表現がピッタリの晴天。
ドアの向こうには、村の景色が広がっていた。人が通ることで自然とできた道。ポツンポツンと立ち並ぶ家々。広い畑。遠くに、煙突のある家が見えた。煙突からは煙。火を使う仕事を生業としている者の家だろう。
目の前に広がる景色に、イチヤは見覚えがあった。この村に来たことがあるのだから、不思議ではない。
この村に来たとき、どのタイミングでこの景色を見たのか。「なんか見たことがあるな」程度ではない記憶。
イチヤは周囲を見回した。
ドアから少し離れたところに、歪な形の墓石があった。これまた拙く、墓の主の名前が刻まれている。
『トーダ』と。
「あ」
つい、イチヤは声を漏らした。
思い出した。ここは、プリメラの家だ。
イニシオ村が攻め込まれたとき、サウスウェストの兵士に少女が囚われていた。彼女を守るために、一人の少年が――トーダが、命懸けで戦っていた。全身を切り刻まれ、死の淵に立ち、意識が朦朧としても、トーダは、プリメラを守ることだけを考えていた。
イチヤがこの村を発つとき、プリメラはトーダの墓を作っていた。彼女はおそらく、魔術師型だ。腕力には恵まれない。墓石を作ることも彫ることも、大変な作業だっただろう。それでも彼女は、自分を守ってくれた男のために、彼の墓を作り上げたのだ。
歪な形の墓石や、拙く刻まれた名前。それらが、胸を打たれるほど美しく見えた。
イチヤは墓の前に足を運び、膝をつき、両手を合せた。この世界での死者への祈り方を、イチヤは知らない。だから、自分の知っている方法で敬意を捧げた。命を賭して好きな女を守った少年と、少年の想いに報いた少女に。
「……イチヤさん」
祈りを捧げていると、名前を呼ばれた。
イチヤは後ろを振り向いた。
久し振りに見る顔が、そこにあった。エルフの特徴である、長く尖った耳。野菜が目一杯入った籠を、両手で持っている。畑仕事をしていたのだろうか、頭に布を巻いて髪の毛を束ねていた。
イチヤは立ち上がり、彼女の方に向き直った。
「久し振り。プリメラ……だったよな?」
イチヤの質問に答えず、プリメラは、籠を地面に置いて駆け寄ってきた。
「イチヤさん、もう起きて大丈夫なんですか?」
「ああ。助けて貰ったみたいだな。回復魔術までかけてもらったんだろ? 傷もすっかり塞がっている」
イチヤは袖をまくり、腕についた傷痕を見せた。ここに、氷が刺さった大きな傷があった。傷口が化膿してひどい状態だったのを、よく覚えている。
プリメラは、イチヤの傷口にそっと触れた。
「よかった。ちゃんと治ってる。正直、自信がなかったんです。イチヤさんはかなり体力を消耗していたから、回復魔術が効くかどうか……」
回復魔術は、かけられる者の生命力を使って傷を治す。生命力が尽きている者にかけても、効果はない。
プリメラの言葉を聞いて、イチヤは少し驚いた。
「プリメラが俺を治してくれたのか?」
「はい。未熟な回復魔術で申し訳ないんですが。お連れの方もいないみたいだったんで」
お連れの方――レトのことだろう。
レトのことを思い浮かべると、イチヤの胸が少し痛んだ。母親のために召喚者の付き人をし、戦場に出ていた。母親を助けるため、召喚者に自分の体を差し出していた。サウスウェスト軍に囲まれながら、一緒に戦ってくれた。イチヤの意見に賛同し『平穏に生きられる世界を見たくなった』と言ってくれた。
前召喚者であるシュウに――五味に、好きなように弄ばれていた。
レトは、無事に逃げられたのだろうか。それとも、イチヤがチサトと戦っている間に、殺されてしまったのだろうか。
心の中から、レトが消えない。その理由も分からないまま、イチヤは、目の前の恩人に頭を下げた。
「ありがとう。助かった」
プリメラは首を横に振った。
「いいえ。イチヤさんは私だけじゃなく、この村も救ってくれた恩人ですから。イチヤさんがしてくれたことに比べたら、私のしたことなんて、それほど大したことじゃないです」
謙遜とはどこか違う、プリメラの様子。
イチヤは小さく息をついた。
「以前も言ったと思うけど」
「はい?」
「俺は、救うことなんてできなかった。俺が、もう少し早くこの村に着いてたら――」
言葉の途中で、イチヤは、トーダの墓石に顔を向けた。
「――そいつも助けられたはずだ。結局、俺は、救うことなんてできなかったんだよ。ただ、ゲスを相手に暴れただけだ」
イチヤは再び、プリメラに顔を向けた。
「だからせめて、プリメラには幸福に生きて欲しいよ。トーダもプリメラの幸せを願ってたから、命を賭けてプリメラを守ろうとしたんだろ?」
プリメラの顔には、自虐の色が浮かんでいる。
彼女が自分を卑下する理由に、イチヤはなんとなく気付いていた。




