第四十八話② 単に好感を持っているだけでは、殺さない理由にはならない(中編)
ハイドは足を止め、振り向いた。
圧倒的な存在感を持つ女性が、目の前に立っていた。
デシーディダ・ディグノ。現ディグノ公爵夫人。
「少しよろしいですか?」
訊かれて、ハイドは、台車の取っ手から手を離した。右手を胸に当て、頭を下げる。頭を上げて、彼女に聞き返す。
「どのようなご要件でしょうか?」
シーダは、少しだけ意地悪そうに微笑んだ。
「その様子ですと、私のことをご存じなのでは?」
「恐らく間違ってはいないと思いますが――ディグノ公爵夫人デシーディダ様でいらっしゃいますか?」
「ええ」
シーダの微笑みから、意地悪な様子が消えた。
「ハイド様とは初めてお話しすると記憶しておりますが、どうして私のことを?」
シーダの微笑みに対して、ハイドも微笑みで応えた。
「デシーディダ様は、ご主人様と同様に有名な方ですから。私が一方的に存じていただけでございます」
「あら。ハイド様も有名ですよ。美しいだけではない、苛烈さもある歌声の歌人。歌声だけではなく、お姿も美しい。きっと、女装すれば、多くの男性を骨抜きにしてしまうのでしょうね」
クスクスと、シーダは笑い声を漏らした。
ハイドは少し前まで、ハイディアとしてフロンティア軍に所属していた。一般兵から千人長、果ては将軍にまで口説かれた。もちろん全て断ったが。そのことを思い出し、苦笑してしまいそうになった。
「何をおっしゃいますか、私などに。ご主人様――ディグノ公爵こそ、美丈夫な理想の男性でしょうに」
先ほどとは違う笑い声を、シーダは漏らした。嬉しそうだった。夫を心底愛しているのだと伺い知れた。
「デシーディダ様。失礼ですが、お話を戻しまして。私などに、どのようなご用件でしょうか?」
「シーダと呼んでいただけますか?」
「はい?」
「私は、ハイド様の歌を素晴しいと思っております。できることなら、ディグノ家お抱えにしたいくらいに。けれど、ハイド様は、そのようなお話をことごとく断られていると聞き及んでおります」
「仰る通りです。私は、様々な場所で歌いたいのです」
「ええ。ですので、ハイド様を囲うのは諦めます。ですが、少しでいいので、お近付きになりたいのです。なので、シーダと呼んでいただけますか?」
「では、シーダ様。ご用件は、私と親密になりたいと?」
「意味深な言い方をなさるんですね。知らない人が聞いたら、誤解されそう」
一歩間違えれば侮辱にもなりかねない洒落を、シーダは笑って受け流した。面白い人物だ。高潔だと聞いていたが、ただの堅物でもないらしい。
「下品な物言いをしてしまい、申し訳ございませんでした」
ハイドは素直に、少し前の発言を詫びた。
「いいえ。どうやらハイド様は、歌声やお姿が美しいだけではなく、面白い方でもあるようで」
オレンジ色になり始めた太陽の光。シーダは、太陽の光を背負っている。その光景が、あまりに似合っていた。
「要件は、先ほどお伝えした通りです。ハイド様とお近付きになりたい。ディグノ家のお抱えというのではなく、いつまでこの街にいて、次はどこに行くのかを伺えるくらいには」
「光栄です」
礼を言いつつ、ハイドは再び頭を下げた。すぐに頭を上げる。少しだけ空を見上げる。
「予定は未定ですが、しばらくはこの街に滞在するつもりです。少し前までフロンティアにいたのですが、安全面で不安を感じたので」
「安全面、と言いますと?」
シーダは聞き返してきたが、全て分かっているだろう。ノース軍がサウスウェストに進軍したこと。フロンテーラでの敗戦。イチヤの――召喚者の死。これから、サウスウェストが国内に進軍してくるだろうということ。
シーダが分かっているであろうことを、ハイドはあえて口にした。
「フロンティアにいたときに聞いたのです。フロンテーラの戦いでノース軍が敗れ、召喚者様が殺されたと。ですので、サウスウェスト軍がフロンティアに攻め込んでくるだろう、と」
ハイドは苦笑を浮かべて見せた。意図的に作った表情だ。
「端的に言えば、恐くて逃げたのです。私は、歌うこと以外に能のない人間ですから」
「あら?」
意外そうに、シーダは目を大きく開けた。
「ハイド様の風の魔術は、かなり高度とお見受けいたしますが? 戦場に放り込まれても、ご自身を守るくらいは可能ではないかと」
シーダの目の奥に、こちらを探るような色が見えた。ハイドの魔術は戦場で大きな戦力になると、確信しているようだ。
――俺を、私設軍にでも入れたいのか?
ディグノ家が有する私設軍。自分の領地を守るのに、国軍だけでは心許ないと考えているのだろうか。シーダの思惑が読めない。ハイドは一旦、謙遜することにした。
「いえ。残念ながら、私の魔術は戦いでは使えないのです。歌声を活かすことだけを考えて、身につけたものなので。しかも我流でして」
「まあ。我流であれほどのことができるのですか?」
シーダの声には、どこか芝居がかった響きがあった。
「それでしたら、ちゃんとした訓練を受ければ、さらに上達するのではないでしょうか?」
自分の推測が正しいと、ハイドは確信した。シーダは確かに、ハイドの歌声を評価しているだろう。同時に、自分の領地を守る兵としても、ハイドを欲しているのだ。
ハイドの推測を裏付けるように、シーダは続けた。
「ハイド様が仰った通り、サウスウェスト軍が進軍してくることが予測されています。最初はフロンティア。召喚者がいない状態では、フロンティアを守ることは困難でしょう。フロンティアは陥落し、さらにサウスウェストの進軍を許すことになる。この都市は国境から離れていますが、それでも、途中でサウスウェスト軍を止めることができなければ、交戦は避けられません。もっとも、これはまだ一般に公開されていない情報ですが」
少しだけ、シーダは口の端を上げた。
サウスウェスト軍の進軍は、一般には公開されていない。知っているのは、戦争に関連している者か、もしくは一部貴族のみ。
シーダは、言外に指摘してきたのだ。ハイドが、サウスウェストの動きを知っているのはおかしい、と。
さらに、シーダは加えた。
「ただ、ハイド様の仰ったことには、一つ誤りがあります」
「何でしょうか?」
「召喚者は殺されていません」
「!?」
ハイドは目を見開いた。
「どういうことですか? 先ほど、シーダ様は仰っていたではないですか。『召喚者がいない状態』と」
「ええ。でも、殺されたわけではないのです。これから、お尋ね者として手配される予定なだけで」
イチヤが生きている。しかもお尋ね者になる? 意味が分からない。ハイドは眉をしかめた。
「申し訳ございません。話が見えないのですが」
「なるほど。そこまでの情報はお持ちではないのですね」
「……」
ハイドは長い年月を生きてきた。フィルスタが亡くなってからは都市に移住し、必要に応じて軍に所属し、様々な貴族達とも関わってきた。当然、駆け引きや騙し合いも多く経験している。
そんなハイドを、シーダは上手く誘導した。ハイドがどこまで知っているか、探ってきたのだ。
シーダは、ハイドが想像していた以上に優秀な人物のようだ。彼女を侮っていた自分を、少しだけ恥じた。
ハイドは静かに、大きく息を吸った。そのまま静かに息を吐く。
優秀な人物と本気で駆け引きをしてみたいと思ったが、自制した。それよりも、イチヤが生きているということや、彼がお尋ね者になっていることについて、詳しく聞きたい。
もっとも、イチヤがお尋ね者になっている理由は、概ね予想がつくが。




