第四十八話① 単に好感を持っているだけでは、殺さない理由にはならない(前編)
中央都市セントロ。
王都であるレアルカピタルから約五キロメートルに位置する都市。この都市を含む周辺の領地は、筆頭公爵と言われるディグノ家が治めている。
ディグノ公爵家はノースの行政を司り、さらに私設軍を有する、国内でも名家中の名家だった。王家にもディグノ家由来の者が多い。
もっとも、現在の公爵であるウィディアン・ディグノは、王家の者と婚姻を結ばなかった。彼が結婚したのは、マリシャス男爵家の長女である、デシーディダ・マリシャス。シーダの愛称で呼ばれる彼女は、戦士型の素養を持って生まれ、さらに学問にも秀でている才女だという。
そのシーダには、当初、パスティオン侯爵家の長男であるクリーブとの縁談が持ち上がっていた。しかし、クリーブは変態的な性癖を持ち、さらに、向上心もない愚者だった。
パスティオン家はクリーブを後継ぎとせず、次男のリミテスを次のパスティオン侯爵とした。
その結果、シーダの縁談は潰れた。だが、彼女はもともとウィディアンと恋仲であり、結局は恋を成就させた。
幼い頃から勉学に励み、さらに戦士型の素養を開花させたウィディアン。
幼い頃から武芸を磨き、学術の取得も怠らなかったシーダ。
二人は理想的な夫婦となり、ディグノ家が治める領地を活気ある場としている。
また、二人は仲睦まじく、彼等の間には七人もの子供がいる。ウィディアンに側室はおらず、全員、シーダが産んだ子だ。
――というのが、ハイドが知っているディグノ家およびセントロの情報だ。
フロンテーラで敗走し、レトと別れた後。
ハイドはレトに話した通り、セントロに来ていた。フロンティアに滞在したときと同じように歌人の活動をしている。金が目的の活動ではない。旅の軍資金は、もう十分過ぎるほどにある。
今日の公演は、セントロの中心にある中央広場。半径三十メートルほどの面積がある広場だ。周辺にはベンチや出店が多くあり、中央には、階段状で高い位置に設置された噴水がある。
この広場には、毎日たくさんの人が集まる。休日を楽しむ家族連れ。デートをする恋人達。余生を緩やかに過ごす老夫婦。似顔絵を描いて金銭を得る絵描き。パフォーマンスで投げ銭を得る者。
けれど今日は、いつもと違う雰囲気になっている。
噴水の壇上で、ハイドは、自身の歌声を披露していた。腹を張り、喉で音の調節をし、舌と唇で歌詞を紡ぐ。よく通る声を、風の魔術を使用してさらに遠くまで響かせる。
広場に集まった人々は、皆、ハイドの声に聞き惚れていた。誰一人として一言も発さず、ハイドの歌声に集中している。
ハイドは、歌人としての自分の価値を自覚していた。
歌人としての活動を始めたのは、フィルスタが亡くなって数年してからだった。彼女を亡くし、皇帝を殺すための旅に出た。召喚者の人物像を確認するには、軍に入るのが一番手っ取り早い。だが、普段は軍に入らず、戦いとは無縁の世界で思いを馳せたかった。
歌人となったのは、フィルスタとの思い出を形に残したかったから。彼女に関する全てを、美しい歌にしたかった。だから、美しく声を響かせる訓練をした。
歌人を始めた頃は、特に注目などされなかった。都市内で楽曲を披露する者は、少なくない。ハイドも、そんな中の一人だった。一日歌って、二、三日分の食費が稼げれば儲けもの。そんな程度の商売。だから、偽名も使わず本名で歌人をしていた。
ところが、同じ都市で数日歌い続けると、続々と人が集まるようになった。稼ぎも、段違いどころか桁違いになった。投げ銭を収拾するために風の魔術を使う必要さえ出るほどだった。
どれだけ稼げるようになっても、初心は忘れなかった。
ハイドが紡ぐ歌詞は、フィルスタのことばかりだ。胸に抱いたフィルスタへの想い。夢見ていた、フィルスタとの暮らし。フィルスタを失ったときの哀しみ。互いの気持ちに気付きながら、それでも一歩踏み出せなかったもどかしさ。もし共に生きていけたら、という想像。あの日、フィルスタを待っていたときの気持ち。彼女を待たずに早々に村に駆けつければよかった、という後悔。
今日もまた、もう二度と会えない女性のことを歌った。あのとき殺されなかったとしても、もうこの世にはいない女性。ハイドが、ただ一人愛した女性。
三曲目を歌い終えた。フィルスタと過ごした地を去るときの歌。いつも待ち合わせた場所で、彼女を弔った。仇を討ったら会いに来る。そう約束して、旅立った。
ハイドが歌い終えた直後、拍手が沸き起こった。無数の、数え切れないほどのパチパチという音。
もしかしたら、と思った。
もしかしたら、自分は、フィルスタが生きていたことを証明するために、歌人という生き方を選択したのかも知れない。閉鎖的な村で生まれ、戦争に巻き込まれたフィルスタ。彼女は、村から出て、広い世界で生きることを夢見ていた。だからこうして、歌にして、彼女を広い世界に連れて来ているのかも知れない。
広場には、大勢の人々が集まっている。大勢の目が、ハイドを見ている。大勢の耳に、ハイドが歌うフィルスタが届いている。
集まった人達を見回して、ハイドは少しだけ微笑んだ。二百年ほども続く戦争の中で、それでも普通に生きている人々。
「……?」
集まった人々を見回していると、一人の女性がハイドの目に止まった。
歳は四十前後だろうか。地味な服装をしているが、その服の生地は上質な物だ。もっとも、生地の質など、見る者が見なければ気付けないだろうが。若く見える外見ではないが、若々しくはある。美しく、気品があり、さらに姿勢もいい。あの姿勢のよさは、定期的に体を鍛えている証拠だと分かる。
女性の顔に、ハイドは見覚えがあった。曲と曲の合間に水で喉を潤しながら、ハイドは、記憶の引出しを引いた。すぐにあの女性のことを思い出した。
デシーディダ・ディグノ。元々はマリシャス男爵家の令嬢。現在はディグノ公爵家夫人。シーダの愛称で知られる才女だ。
公爵家夫人なら、こんな一般民衆に紛れなくても、権限を利用して最前列で聴けるだろうに。権威を振りかざすのが嫌なのだろうか。だとしたら、噂通り高潔な人物のようだ。
シーダのことを気にしつつ、ハイドは次の曲を歌い始めた。一曲終わると、また次の曲。大切な女性のことを想い、言葉を歌にして響かせる。
歌っている最中は、シーダのことなど気にしなかった。歌うことに――フィルスタへの想いに集中していた。
公演を開始したのは昼前。終る頃には、夕方近くになっていた。真っ白な太陽の光が、やや赤みがかってくる時刻。
今日の歌が全て終わると、ハイドは、いつものセリフを口にした。
「今日の公演の価値は、みんなが決めてくれ。〇ディネロでも、十万ディネロでも。今日の俺の価値は、俺が決めるものじゃなく、みんなが決めるものだから」
これはハイドの本心だ。自分が歌うのは、フィルスタのことのみ。自分はフィルスタを誰よりも愛していた。彼女の価値は、自分が一番分かっていればいい。
とはいえ今日も、多くの投げ銭が飛んできた。
ハイドは風の魔術を使い、飛んできたお金が、用意した木箱に入るようコントロールした。
再びシーダを見てみる。丁度、彼女がお金を投げるところだった。彼女の手から、二十枚の金貨が放られた。二十万ディネロ。一般の家庭が、一か月以上生活できる金額だ。
これだけの金額をシーダが払った理由は何か。公爵夫人としての立場か。あるいは、ハイドの歌にそれだけの価値を見いだしたのか。
投げ銭が止まり、やがて、広場から人が散っていった。木箱の中には、今日も大量の貨幣が投げ込まれた。
貨幣が入った木箱を台車に乗せ、ハイドは、泊まっている宿に戻る準備をした。何曲も歌い続けたせいか、喉が少し枯れている。吸血鬼は、人間とは比べものにならない身体能力と生命力を持つ。それでも、喉のケアは怠らなかった。フィルスタのことを歌う喉を、駄目にしたくない。
台車の取っ手を持ち、帰路につく。広場から立ち去ろうとする。
「ハイド様」
広場から出る直前で、後ろから声を掛けられた。
※二十年ほど前のシーダについて、以下のお話に詳しく書いています。
短編ですので、お気軽に御一読いただけると嬉しいです。
「浮気して婚約破棄されたけど、概ね計画通り」
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