第四十七話② 生きていたから、選択しなければならない(中編)
「あ。おはようございます、皇帝陛下」
ロキが来るとは思っていなかったのだろう。マセリアは少し慌てて、挨拶をした。
「どうされたんですか? 今日は治療の日ではなかったと思いますが」
「ああ。マセリアの治療は来週だよ。ただ――」
マセリアの肩越しに、ロキはこちらを見てきた。
レトとロキの目が合った。
「やっぱり一旦戻ってたんだね、レト」
「……ええ。あの状況だから。次の指示があると思って」
戦場にいたことは、マセリアには知られたくない。だからレトは、言葉を濁した。
ロキも察したのだろう。戦場のことは口にしなかった。
「そうだね。レトに伝えたいことがあって来たんだ。ここに戻ってると思ってたから」
「じゃあ、場所を変えていい?」
「もちろん」
レトは椅子から腰を上げた。
「お母さん。後片付けは、戻ってきたら私がするから。安静にしてて」
「うん」
マセリアは、どこか浮かない顔をしていた。先ほどのレトの涙が引っ掛かっているのだろう。
母を安心させたくて、レトは微笑んで見せた。
「私なら大丈夫。自分で言うのも馬鹿みたいだけど、私、魔術に関しては天才みたいだから。この間、ちょっと大変なことがあったんだけど、もう大丈夫だから」
「……そう?」
「うん。だから心配しないで」
「わかったよ」
レトはドアに近付き、ロキの横に並んだ。
「それじゃあ、行きましょう」
「ああ」
一旦マセリアの方を振り返り、レトはまた笑顔を見せた。無理矢理作った笑顔。
「じゃあ、お母さん、たぶんすぐに戻るから」
「うん。いってらっしゃい」
「いってきます」
レトは、ロキと共に家から出た。
村では、住人が各自の仕事に勤しんでいる。畑を耕す者。薪を割る者。木材を生成する者。狩ってきた獣を燻す者。
村人は皆、知り合いのようなものだ。当然、マセリアが皇帝の治療を受けていることも知っている。マセリアの治療のために、レトが皇帝のもとで働いていることも知っている。もっとも、レトの仕事の内容を知っている者はいないが。
ロキが、村の外を指差した。
「ちょっと人が多いから、森の中にでも行こうか」
「そうね」
レトの顔に、マセリアに見せた表情はもうない。感情のない無表情。心を殺した眼差し。
イチヤが死んだ。それなら、別の召喚者の付き人を命じられるはずだ。イチヤのような召喚者など、もう現われないだろう。また違う男に体を弄ばれながら、戦う準備をするのだ。
全ては、マセリアを助けるために。
ロキが歩き出し、レトは彼に続いた。
歩いている途中で、何度か村人に声を掛けられた。近所に住んでいるおばさん。小さい頃によく遊んだ、幼馴染み。レトが幼い頃に相手をしてくれた、近くに住むお兄さんやお姉さん。
村の人達は、レトが回復魔術を使えるようになったとき、驚いていた。将来有望だと期待してくれた。皇帝のもとで仕事をすると聞いたとき、誰もが、やっぱりレトは凄い子だと誉めてくれた。
レトが何をしているのかも知らずに。
もちろんレトは、弱音など吐くつもりはない。自分の仕事がどのようなものか、村の人達に教えるつもりもない。仕事の内容を訊かれたら、傷付いた兵を回復魔術で治療をしている、と答えるようにしている。戦場で兵士に回復魔術を施すこともあるから、完全な嘘というわけではない。
しばらく歩いて、村の外に出た。
森の中に入ると、木々の枝や葉が太陽の光を遮った。地面には、無数の線状の影ができている。
「この辺りでいいかな」
呟いて、ロキは足を止めた。
彼に合わせて、レトも足を止めた。
周囲には緩い風が吹いていて、木の葉がカサカサと揺れている。
「……で」
最初に口を開いたのは、レトだった。ロキの要件は、概ね予想ができている。
「次の召喚者を転移させたんでしょ? 私は、いつ顔合わせをすればいいの?」
フロンテーラで敗北し、召喚者を――イチヤを殺された。サウスウェストにも損害を与えたものの、現在の戦況は最悪と言っていい。
サウスウェストは、体勢を整えたらすぐにでも攻め込んでくるだろう。しかも、今度は、チサトが川を渡って攻めてくる可能性が高い。敵国は、今回の戦いでこう判断しただろうから。
『ノース側は、召喚者を早急に戦場に出す術に長けている』
シュウが殺された後、レトは、イチヤの初期訓練を最小限の期間で終了させた。シュウが殺され、サウスウェストが攻め込んでくると予測できたから。だから、サウスウェストが想定するより早く、イチヤを戦場に出す必要があった。
今となっては、すっかり裏目に出ているが。
チサトがサウスウェスト側の守りに専念せず、攻めに加わるなら、ノース側にはかなりの被害が出るだろう。少なくとも、フロンティアは陥落させられるはずだ。敵国がフロンティアを攻略する前に次の召喚者を育てることなど、不可能なのだから。
それなら今度は、ノースの中央部まで陥落させられるのを覚悟して、じっくり召喚者を育てるべきだ。次の召喚者がチサトを殺せなければ、確実にノースは負ける。
ノースの敗戦は、マセリアの死を意味する。レトが役割を果たせなくてもマセリアを助ける、なんて情はロキにはないだろう。
ロキに質問をぶつけつつ、レトは、今後の戦略を練っていた。
しかし、ロキが発した言葉で、レトの思考は一瞬で霧散した。
「反論するみたいで悪いけど、イチヤの次の召喚者は、まだ転移させてない」
「は?」
「っていうより、次の召喚者を転移させることはできない、って言った方が正しいかな」
「なんで!?」
つい、レトは大きな声を上げてしまった。
三国の戦争において、召喚者の存在は大きい。戦力としてはもちろんだが、召喚者の圧倒的能力は、軍の心の支えにもなる。頼れる者がいる軍と頼れる者がいない軍とでは、兵士達の士気がまるで違うのだ。
「まさか、召喚者なしで勝てっていうの?」
そんなことなど不可能だ。それはつまり、マセリアを救えないことを意味する。これまで、心を殺して召喚者の付き人をしてきたのに。
「そうは言ってないよ。言い方が悪かったかな。今は召喚者を転移させられないんだ。状況が変われば、また転移させられるよ」
「……どういうこと?」
レトが訊くと、ロキは、一瞬だけ不機嫌そうな顔を見せた。ゲームで負けそうな子供のような顔。
「イチヤが、まだ生きてるからだ」
「!?」
レトは目を見開いた。少しの間、ロキの言葉の意味が理解できなかった。
フロンテーラの戦いで、イチヤは、チサトを相手に劣勢を強いられていた。彼の援護をする者は、レト以外にはいなかった。イチヤとレトが殺されるのも、時間の問題だった。
レトに逃走を提案したのは、ハイディアだった。美しく、レトよりも有能な魔術師。彼女は、レトが援護するからイチヤも戦い続けてしまう、と言った。だから、レトが逃げて援護がなくなれば、イチヤも逃亡を選択するだろう、と。
ハイディアと共に逃げたレトはデルパイース川を渡り、イチヤが戻るのを待ち続けた。七日間待ち続けて、それでも彼は戻ってこなかった。彼の死は、間違いないと思えた。
でも、イチヤは生きているという。
「ちょっと待って」
レトは額を押さえた。いくつもの疑問が頭に浮かんだ。疑問の中の一つを口に出した。
「どうしてイチヤが生きてるって知ってるの? フロンテーラの戦いを見てたの?」
理由は分からないが、三国の皇帝は、直接戦場には出ない。召喚者以上の能力があり、戦場に出れば敵国の軍など簡単に殲滅できるだろうに。レトが訊いても、ロキは、その理由を決して教えてくれなかった。
ロキはフロンテーラにいなかったはずだ。それなのに、彼は、イチヤの状況を知っている。
ロキは少し考えた後、ローブの懐から、一握り程度の大きさの玉を取り出した。赤く光る玉。
「何、これ?」
「これはね、ノースの召喚者の生死がわかる玉だ」
「は?」
「召喚者は異世界人だからね。この世界の人間とは異なる気配を放ってるんだ。それを検知して光るようになってるんだよ」
「……」
たった一人の気配を検知して反応する玉。そんな物の存在を信じられるはずがなかった。しかし、ロキは、イチヤが生きていると確信している。確信の根拠がこの玉なら、事実なのだろう。
戸惑うレトをよそに、ロキは続けた。
「もし召喚者が死んだら、光は消えて灰色になる」
「光ってるから、イチヤは生きてるってこと?」
「うん、そう」
ロキに、嘘を言っている様子はない。また、仮に嘘だとしても、嘘をつく理由も思い浮ばない。召喚者を転移させなければ、ノースは危機に陥る。自分の国を危険に晒す理由など、ロキにはないはずだ。
イチヤは生きている。
にわかには信じられないが、事実だろう。そう確信した途端、レトの胸中に、今まで感じたことのない温かさが広がった。安堵のあまり、この場にへたり込んでしまいそうだった。喜びのあまり、泣いてしまいそうだった。
自分の心情を自覚していたから、レトは、表情を固く維持した。顔全体に力を込め、気持ちが出ないようにする。いつもの、無感情な表情。
召喚者が死ねば、次の召喚者が現われる。一人の召喚者に特別な感情を抱くことは、決して好ましいことではない。
だからレトは、イチヤの生存に対し、特別な感情がないように演じた。




