第四十五話③ 遅すぎた言葉(後編)
ハイドは母から教えてもらっていた。吸血鬼は穏やかな生物だと。穏やかだから、圧倒的な力がありながらも、大陸を支配しようとしなかった。戦いを好まなかった。人里離れた村で、ひっそりと生きていた。
ハイド自身も、七〇〇年ほどの人生の中で、怒りを覚えることはほとんどなかった。長い長い時間を、のんびりと生きていた。
だから、最初は分からなかった。今の自分の気持ちが。フィルスタを失った悲しみ以外に、心に湧き出た感情。全身を焼くほど熱く、全てを凍り付かせるほど冷たい感情。
何もかもを破壊したくなる気持ち。
ハイドはそっと、フィルスタをベッドに寝かせた。戦いに巻き込まれ、ボロボロになったベッド。
「フィル。少しだけ待ってて。すぐ戻るから」
ハイドは家から出た。
ペリフェリア村の住人は、ほぼ完全に全滅したようだった。フィルスタの家から少し離れ、村の中心部まで行くと、生き残ったサウスイーストの兵士達が集まっていた。軍を率いている者が、兵士達に状況を確認している。
ハイドはゆっくりと、集まった軍勢に近付いた。人数は、おそらく三〇〇人前後といったところか。
接近しているハイドに、兵士達が気付いた。ハイドをこの村の住人と判断したのか、数人が斬りかかってきた。
次の瞬間、ハイドは動いた。手加減など一切せず、人外の力を一気に解放した。地面を蹴り、軍勢に向ってゆく。
身を守ることなど考えなかった。ただ、激情に任せて暴れた。誰よりも大切な人を奪った奴等を、力任せに叩き潰したかった。
軍を全滅させるのに、魔術は使わなかった。
人間の魔術は、所詮は人間の常識を超えない。大型の肉食獣を仕留めるのが精一杯だ。だが、ハイドの魔術は違う。三〇〇人程度の人間など、数発も放てば壊滅させられる。けれど、それでは気が済まなかった。荒ぶる気持ちを晴らすように、素手で仇を駆逐した。
ほんの数分で、ハイドの周囲は死体の山になった。両手は血で真っ赤に染まり、周囲は血の海と化した。
防御を考えずに暴れたせいで、ハイドの体にも、若干の傷があった。偶然当たった、兵士の剣の痕。たまたまかすった、兵士の魔術の痕。
ハイドは自分の手を見つめた。真っ赤になった手を見て、すぐに魔術を展開した。水の魔術。大量の水で、体に付いた血を洗い流した。血に染まった手で、フィルスタを弔いたくなかった。
重い足取りで、ハイドはフィルスタの家に戻った。
彼女は、ベッドで静かに眠っていた。二度と目覚めない眠り。安らかな顔で、本当にただ眠っているだけのようだった。
けれど、フィルスタの頬は、もう冷たい。
ハイドの目から、また涙が流れてきた。
固くなり始めたフィルスタの体を、両手で抱き上げた。そのまま家を出て、森の中に入った。
足を運んだのは、いつもフィルスタと待ち合わせていた場所。
会えるのが嬉しくて、いつも笑顔になれた場所。
土の魔術を使って、地面に穴を開けた。肉食獣に掘り起こされないように、深く、深く。
穴の中で、優しく彼女を寝かせた。
「……フィル」
さよなら、と言うつもりだった。でも、言えなかった。もう彼女は亡くなってしまったのだ。それなのに、「さよなら」を言うと、本当に彼女を失う気がした。
もう何も言わず、ハイドは土を埋めた。
この一年、フィルスタと過ごしてきて。
フィルスタと出会う前は、ずっと一人だったはずなのに。
フィルスタと出会う前は、ずっと一人だったから。
失う辛さを、ハイドは初めて知った。
母親を失ったときも悲しかったが、悲しさの種類が違った。
覚悟しなければならないのが、親の死。
背負わなければならないのが、共に生きると誓った人の死。
では、フィルスタの死を背負って、何をすべきか。
考えて、考えて。
ひとつの疑問が、ハイドの頭に浮かんだ。
フィルスタは、まだ十六歳だった。これから何十年も生きるはずだった。幸せな人生を送るはずだった。
それを壊したのは誰だ?
誰のせいでフィルスタは死んだ?
原因をつくったのは誰だ?
母の教えが、ハイドの頭に蘇った。吸血鬼の村が壊滅させられ、そこで母は、皇帝の姿を目の当たりにした。彼等の、吸血鬼をも凌ぐ圧倒的な能力。不老不死とも言える長い長い寿命。永い年月を生き、生きることに飽き、始めたゲーム。
『三国に戦争をさせて、どの国が勝つかを競おう』
――これが、たかがゲーム?
声にならない声で呟いて。
ハイドは、ようやく気付いた。今の自分の感情が、何なのか。哀しみの裏にある、焼け付くような感情。
これは憤怒だ。怒りなんて言葉すら生温いほど、どうしようもない憤り。
自分の感情に気付いて。
母の教えが、頭を過った。
『皇帝が戦争を始めても、参入してはいけない。ひっそりと、静かに、平穏に生きて』
――ごめん、母さん。
その教えには従えない。
俺は、フィルの仇を討つ。三人の皇帝を殺す。
怒りに震えながらも、ハイドは冷静に考えた。つい先ほど、兵士に付けられた傷を見た。
吸血鬼は、体質的に回復魔術が効かない。これからどれほどの修練を積み、どれほどの力を身につけても、皇帝と戦えば死ぬ可能性がある。死ななくとも、重傷を負う可能性は高い。
皇帝と戦い、もし四肢を欠損したら。もし、回復が困難なほど大きな怪我をしたら。皇帝は三人。もし一人目や二人目で大怪我をしたら、残りの皇帝を殺すのが困難になる。
母があれほど恐れるのだから、皇帝の力は想像を絶するのだろう。反面、皇帝は、吸血鬼を警戒していた。吸血鬼が修練を積めば、皇帝に並ぶ力を得ることは可能なはずだ。
では、皇帝に並ぶ力を得て、さらに、可能な限り傷を負わずに皇帝を殺すには、どうしたらいいか。
答えは簡単に出た。
共に皇帝と戦う仲間が必要だ。
とはいえ、誰でもいいわけではない。邪魔な味方は、敵よりも脅威となる。
三人の皇帝は、異世界から召喚者を転移させている。圧倒的な力を持つ者を転移させることで、戦争を促進するために。
皇帝が、わざわざ自分の脅威となる者を転移させるはずがない。召喚者の力は、確実に皇帝より劣るはずだ。しかし、ただの人間よりは遙かに大きな力があるだろう。
それならば、召喚者を味方につける。皇帝の言いなりにならず、皇帝の思惑に反する者でなければならないが。
ハイドは空を見上げた。
これから、旅に出よう。各国を回って、召喚者の人格を確認しよう。召喚者が死ねば、また別の召喚者が転移してくる。自分の思惑に沿う召喚者が現われるまで、彼等の性質を見極め続けるんだ。
フィルスタの仇を討つ。目的のために、ハイドは、吸血鬼本来の穏やかな性質を捨てた。不必要な殺生をしないという情も捨てた。
もちろん、ただ召喚者を味方につけるだけでは駄目だ。自分自身も強くなる必要がある。皇帝を殺せる力を得る必要がある。
フィルスタが眠る場所を見た。土には、はっきりと、埋めた跡が見て取れる。時間が経ち、雨が降り、空が晴れ、動物に踏み慣されてゆくうちに、掘り起こす前と同じ状態になるだろう。
それでも、フィルスタが眠るこの場所は、決して忘れない。
すべてが終わったら、またこの場所を訪れよう。仇を討ったと、フィルスタに報告するために。
「行ってくるよ、フィル」
生まれて初めて、好きになった人。初恋の女性。
「しばらくお別れだけど、必ず戻ってくるから」
ハイドはきびすを返し、歩き始めた。まずは、今のノースの召喚者について調べるために。
――それから、約一二〇年。
ハイドは各国を周り、名や性別を偽って戦争に参加した。
もっとも、五十年ほど前から、戦争はすっかり小康状態となった。各国が国境沿いに待機所を作ったことで、他国への侵略がより困難になったのだ。
戦争が激化しなければ、召喚者が死ぬこともない。召喚者が死ななければ、戦争も激化しない。
戦争を国取りゲームだと思っている皇帝にとって、この状況は好ましくないのだろう。時々、召喚者が原因不明の死を遂げることがあった。間違いなく、皇帝の仕業だ。戦争に積極的ではない召喚者を殺し、次の召喚者を迎え入れるために。
戦争が小康状態となった五十年前から、三国とも、概ね十年に一度のペースで召喚者が入れ替っている。皇帝は、一人の召喚者を十年は見守ろうと考えているようだ。
三人の皇帝は、考え方や発想がよく似ていた。それもそうかも知れない。彼等は、血の繋がった兄弟なのだから。
今回、ノースの皇帝ロキは、イチヤを召喚した。ハイドにとって、これまででもっとも理想的な人格の召喚者だった。しかし、皇帝を討つには決定的に素質に欠けた。
――イチヤが死んだから、これから、次の召喚者が転移してくるはずだ。
かつてハイドは、女性の召喚者を口説き落とし、恋慕の情を利用して皇帝を討つ計画を立てたこともあった。
だが、恋心というものは、ほとんどの人にとって私利私欲より劣るようだ。ハイドに惚れた召喚者も、結局は自分の力と権力に溺れた。私利私欲に溺れる召喚者にとって、皇帝は、自分に力を与えた恩人だ。恩人であり、自分の欲求を満たす要だ。そんな皇帝を討とうなどとは、微塵も考えなかった。
恋慕の情に訴えるのが無意味だと判断したハイドは、ひたすら、理想的な人格の召喚者を待った。
人格と能力の双方で、理想といえる召喚者。
そんな都合のいい者は、今のところ一人として現われていないが。
――ヒロイーナ村に向ったレトを、見送った後。
ハイドは一旦、王都に行くことにした。レトに告げた通りに。王都なら、次の召喚者の情報も入ってきやすいだろう。
自分に残された寿命は、おそらくあと二〇〇年ほど。生きているうちに、三人の皇帝を殺さなければならない。たとえ誰を犠牲にしても。
イチヤには期待したが、駄目だった。
これからは、もっと積極的に動いた方がいいかも知れない。召喚者が自分の味方となりえないなら、皇帝が手を下すのを待つのではなく、自分で殺すのだ。そうすることで、次の召喚者を転移させる。もっとも、自分の存在が――吸血鬼の生き残りの存在が、皇帝に感付かれる危険もあるが。
ハイドは水の魔術を使い、顔を洗って化粧を落とした。レトやハイドに名乗っていた「ハイディア」の姿から、本来の姿に戻った。
生きていくための金は、もう十分に稼いだ。歌人のハイドとして。争いを好まず平穏に生きる、本来の吸血鬼の顔で。
次に兵士になったときは、どんな偽名を名乗ろうか。
そんなことを考えながら、ハイドは馬を走らせた。
※次回更新は7/22を予定しています




