第四十五話② 遅すぎた言葉(中編)
村の中で、無数の魔術が飛び交っていた。
魔術の合間を縫って攻め込んだ兵士が、村人に剣を振るっていた。
月明かりの下で、多くの血が流れていた。
地面に、多くの人が倒れていた。
倒れている人のほとんどは、耳が長い。武装もしていない。多くの村人の遺体。たくさんの、致命傷を負った村人。
剣を振るっている者達は、金属の腹当てで武装している。明らかに、どこかの国の兵士だった。
すぐに理解した。ここはノース王国の領土。三国の位置関係から、攻め込んできたのはサウスイーストの軍だ。
三国間での戦争。三人の皇帝によるゲーム。
状況を悟った瞬間、ハイドは走り出した。魔術を展開する。風の魔術で、自分の体を守る。同時に、身体能力を最大限に引き出す。人間の戦士型など遙かに上回る身体能力。
村の中では、兵士と村人が交戦していた。
いや。それは、「交戦」などと呼べるものではなかった。
村人は、狩猟と採集だけで生きている。戦闘訓練など積んでいない。魔術や手製の武器で必死に抵抗しているが、明らかに劣勢だった。一方的な虐殺と言ってもいいくらいに。
走りながら、ハイドは、攻撃用の魔術も展開した。森に囲まれた村の中で、火の魔術は厳禁だ。大火事になる恐れがある。
村の中を走るハイドに、周囲の兵が目を向けた。村人を虐殺していた兵士達。
ハイドはエルフではない。エルフの特徴である長耳でもない。
しかし、周囲の兵士は、ハイドを敵だと認識したようだ。兵としての武装をしていないから、この村の関係者だと思ったのだろう。
ハイドは、展開した風の魔術を放った。人間では到底不可能な、圧倒的な攻撃力の魔術。一瞬にして、周囲に鮮血が散った。月明かりに照らされた血は、赤黒い噴水のように見えた。
ハイドに殺された兵の後ろから、また多くの兵が斬りかかってきた。皆、剣を持っている。戦士型の兵士達。
自分に振り下ろされた剣を、ハイドは素手で殴り折った。もう一方の手で拳を握り、兵士の顔面に叩き付けた。グシャッという音を立てて、兵士の顔に拳がめり込んだ。
襲ってくる兵士の剣を折り、殴る。次々と、周囲の兵士達を血の海に沈めた。
地面には、瀕死の村人が転がっている。誰も彼も、もう助からないのは目に見えていた。回復魔術をかけても効果がないほど、体力と生命力を失っている村人。ただ死を待つだけのエルフ。
走りながら兵士を沈め、ハイドはフィルスタを探した。
「フィル!」
大声で呼んだが、返事はない。
最悪の予感が、ハイドの胸中を過っていた。
フィルスタは、村で一番の魔術師になっていたという。才能は並だが、回復魔術を使える資質があった。さらに、ハイドが教えた魔術のコツにより、この一年で格段に成長した。
とはいえ、所詮は、戦いを知らない村での一番だ。街に出れば、フィルスタと同レベルの魔術師は少なくない。兵役に就いている者となれば、なおさら。
この状況で、フィルスタが生きている可能性はあるか。
フィルスタの生存を祈る気持ちと、物事を正確に判断する冷静さが、ハイドの頭で争っていた。
「フィル!」
兵士を殺しながら、村の家々の中を見てゆく。
どの家の中にも、村人の死体が転がっていた。中には、生まれたばかりの赤子を庇って死んでいる女性もいた。もっとも、庇われた赤子も殺されていたが。
「フィル!」
大切な人の名を叫びながら、心の中で祈った。
――無事でいてくれ!
向ってくる兵士を殺し、家の中を見て、フィルスタがいないことを確認して移動する。
そんなことを何度繰り返しただろうか。
喧噪の中で、ハイドの耳が、一つの音を聞き取った。家の中で争う音。
音の方に、ハイドは振り返った。
家の中で魔術を放っているのだろう。その家の内側から、激しくぶつかり合う音が聞こえる。水の魔術で放たれた氷柱が、壁から突き出していた。
振り返ったハイドに、兵士が三人ほど斬りかかってきた。
「どけ!」
大声で怒鳴って、ハイドは拳を振るった。ハイドに斬りかかってきた兵士の頭が、果物のように汁気を吹き出して潰れた。グシャッ、ビシャッ、という不快な音が、耳に届いた。返り血が、何滴も顔に付いた。
血を拭うこともなく、ハイドは、音が聞えた家に向った。
瞬く間に辿り着いた、家の入口。開け放たれたドア。
家の中は、簡素な造りになっていた。ひと部屋しかなく、隅に木製のベッドがある。床面積は、ハイドの家の三倍ほどか。一人暮しの家。
木製の家の中は、メチャクチャに荒れていた。魔術に巻き込まれたベッドは、所々壊れていた。壁にはいくつもの穴や傷がある。これ以上家の中で魔術を放ったら、確実に倒壊するだろう。
家の中には、人間が五人。そのうち二人は、腹に氷を突き刺されて死んでいる。二人は、剣を持って構えていた。もっとも、ハイドの存在に気付いてこちらを振り向いたが。
残る一人は、ベッドの近くで片膝を付いていた。体中に切り傷があり、血まみれになっている。彼女の足元にできた血溜まりが、傷の深さを物語っていた。失血死しても不思議ではないほどの出血量。いつもハイドに見せていた笑顔は、今はない。荒い呼吸。全身が震えている。意識が朦朧としているのか、どこか虚ろな目。それでも、必死に生きようとする目。
「フィル!」
無意識のうちに、ハイドは大声を上げていた。明らかに致命傷を負っている、大切な女性の名を。
剣を持った兵士達が、ハイドに向ってきた。フィルスタに呼び掛けたことから、ハイドを敵とみなしたのだろう。
「邪魔だ!」
大切な女性が、ひどい傷を負っている。彼女に駆け寄ろうとしている自分を、邪魔する者達がいる。
ハイドは激情に任せ、一瞬で二人の命を奪った。崩れ落ちる兵士に目もくれず、フィルスタに駆け寄った。
「フィル!」
大声で呼ぶと、フィルスタは、どこか安心したようにその場に倒れ込んだ。
ハイドはフィルスタの上半身を片腕で抱え、もう一方の手で回復魔術を展開した。可能な限りの魔力を込めて、必死に傷を癒そうとした。
「……ハイ……ド……」
霞んだ声が、フィルスタの口から漏れた。
フィルスタを抱える、ハイドの腕。生温かい感触が伝わってくる。彼女の体から流れ出る、血の感触。失われてゆく命の感触。
回復魔術は、まるで効果を見せなかった。
回復魔術は、かけられた者の体力や生命力を使って傷を癒す。致命傷を負ったとしても、体力と生命力さえ残っていれば、助かる場合はある。
けれど。
床に広がる、フィルスタの血。ハイドの腕に流れてくる出血。血を失えば、体力も生命力も失う。
本当は、ハイドも分かっていた。フィルスタの姿を見た瞬間に、悟っていた。それでも、奇跡を信じたかった。希望を持ちたかった。
フィルスタが助からないなんて、認めたくなかった。
「ごめん、ね。ハイド……」
震える手を必死に上げて、フィルスタは、ハイドの頬に触れてきた。
「行けなく、て、ごめ、んね……」
いつも待ち合わせていた場所。約束の日は、いつもフィルスタが先に来ていた。遠くに彼女の姿を見つけると、ハイドは急ぎ足で駆け寄った。
『ごめん。今日も待った?』
『ううん。今日も、今来たところ』
声を掛け合ったとき、二人とも笑顔になれた。ハイドの目に映るフィルスタは、はにかんでいた。ハイドも、自分の口角が上がる感触に気付いていた。
いつもの場所とは違う、暗い家の中。むせ返るような血の臭い。転がる兵士の死体。
間もなく失われる、フィルスタの命。
それでもフィルスタは、いつものようにはにかんでいた。ハイドを見て、嬉しそうに笑っていた。
――こんなにも……。
こんなにも、愛されていたんだ。
フィルスタの笑顔を見て、ハイドは、自分がどれだけ愛されていたのかを知った。
愛されていたのだと気付いて、後悔した。
どうして七日も、フィルスタを待たせてしまったのだろう。どうしてすぐに、彼女に返事をしなかったのだろう。
「フィル」
ハイドは、血まみれのフィルスタを抱き締めた。温かい血に反するように、彼女の体は冷たくなり始めていた。
「フィル」
これから先、フィルスタを見取る日がくるまで、何度も彼女の名を呼びたかった。何年も、彼女の名を呼び続けるつもりだった。彼女の姿がハイドと同年代くらいになり、年上に見えるようになり、母親とも言える外見になり、祖母と呼べるほど年老いても。
それでも、今と変わらない気持ちのまま、一緒にいたかった。
「大好きだよ、フィル」
自分の声に涙が混じっていることに、ハイドは気付いていた。涙をボロボロと零しながら、自分の気持ちを伝えた。
遅すぎた言葉。
もしも時間が巻き戻せるなら、この遅れを取り戻したかった。
「もう、一人で生きたくない。フィルと、二人で生きたい」
ブルッと、フィルスタの体が強く震えた。命を失いかけているが故の痙攣か。それとも、感情の高ぶりによる震えか。
ハイドには分からない。分からないまま、少しだけ、フィルスタを抱き締める腕を緩めた。彼女と見つめ合える程度に。
フィルスタは笑っていた。笑いながら泣いていた。嬉しくてたまらないと、涙と笑顔で語っていた。
ハイドはそっと、フィルスタの唇に自分の唇を重ねた。ひんやりとした彼女の唇。血の味がした。
触れ合わせた唇を、フィルスタはかすかに動かした。柔らかく震える唇。
「ハイド――」
苦しいはずなのに、フィルスタは、どこか幸せそうだった。もう声も出せなくなっているのに、唇の動きだけで、ハイドに気持ちを伝えてきた。
彼女の唇の動きを、ハイドは、自分の唇で感じていた。
ゆっくりと、でも瞬く間に、フィルスタの体から力が抜けてゆく。
重ねている唇。
息遣いを感じる。
時折苦しそうにしながら、呼吸が浅くなってゆく。
唇から、温度が失われてゆく。
ビクンッと、フィルスタの体が痙攣して。
ストンッと、彼女の体から力が抜けた。
「フィル?」
呼び掛ける声に、返事はない。
「フィル!」
彼女の顔は、とても安らかだった。
「フィル!」
けれど、ハイドの心は、安らかとは程遠かった。
腕の中には、もう動かない大好きな女性。
持て余すほどどうしようもない感情が、ハイドの胸に渦巻いた。
体温を失ってゆくフィルスタを、強く抱き締めた。
「フィル……」
何度呼んでも、彼女は、もう永遠に応えてくれない。




