第四十五話① 遅すぎた言葉(前編)
この一週間、ハイドはずっと悩み続けた。
フィルスタが好きだ。できることなら、ずっと一緒にいたい。生涯を共にしたい。
けれど、生涯を共にすることなどできない。ハイドにできるのは、フィルスタの生涯を見守ることだけ。彼女の死を見届けた後、彼女の寿命よりも遙かに永い時間を生き続けることになる。
いつか必ず、フィルスタを失うのだ。たとえ、今失わなくても。たとえ今、彼女を拒絶したとしても。
それなら、綺麗な思い出として別れた方がいいのではないか。今ならまだ、綺麗なまま別れることができる。フィルスタはハイドの正体を知らない。彼女にとっては辛い失恋になるだろうが、いつか立ち直るだろう。
だけど、ハイド自身もフィルスタと別れたくないのだ。綺麗な思い出にした方がいいと、理屈では分かっていても。
では、ハイドがフィルスタに正体を明かしたとして。
それでも彼女が、一緒にいたいと言ってくれたら。二人で共に生きていくと決めたら。
果たして、幸せになれるだろうか。
共に暮す数年は、幸せに生きられるだろう。
でも、時間が経てば経つほど、辛くなる。
一週間前に考えたことを、ハイドは再び思い浮かべた。今度はフィルスタの立場に立って。
十年後のフィルスタは、ハイドとほぼ同年代に見えるだろう。きっと、ハイドと同じ立場に立てたと思えるはずだ。
二十年後のフィルスタは、ハイドよりも十歳ほど年上に見えるだろう。そうなって少しずつ、考えるはずだ。自分は、ハイドを置き去りにして死ぬという現実を。
四十年後のフィルスタは、ハイドの母親とも言える姿になるだろう。この頃になると、ハイドを置き去りにして死ぬ未来と同時に、ハイドの隣りに立つのが辛くなるのではないか。恋人や妻と名乗ることが、心苦しくなって。
六十年後には、ハイドの祖母とも思える姿になる。もう、恋人や妻と名乗ることなどできない。それどころか、自分が死んだ後もハイドが長い時間を生きることに、罪悪感を抱くのではないか。大切な人に、永い永い孤独を味合わせるのだ、と。
『あなたに会えてよかった』
互いにそう言い合えるうちに、別れた方がいい。別れの辛さはあるが、永遠ではない。死ぬまで苦しみ続けるより、はるかにいい。ハイドにとっても、フィルスタにとっても。
そこまで考えて。
これから訪れるであろう苦しみの総量を考え、決別するか否かを迷って。
「それでも俺は……」
それでもハイドは、フィルスタと一緒にいたかった。
フィルスタがハイドと同年代になったら、目一杯恋人のように過ごそう。
フィルスタがハイドの母親のようになったら、荷物を持って彼女の隣りを歩こう。
フィルスタがハイドの祖母のようになったら、彼女が転倒することのないよう、手を取って歩こう。
いつか、フィルスタとの別れの時が来たら。
ベッドで横になる彼女に、感謝の言葉を伝えよう。
『ずっと一緒にいてくれてありがとう。一生一緒にいると決めてくれて、ありがとう』
もちろん、ハイドの正体を知ってもなお、フィルスタが一緒にいてくれるのであれば、だが。
結論を出して、ハイドは、フィルスタとの待ち合わせ場所に向った。
驚くほど月が綺麗な夜。星すら霞んで見える。
心臓が高鳴った。告白の前というのは、こんなにも緊張するものなのか。今まで誰にも恋愛感情を抱いたことがないから、知らなかった。
森の中を進む。地面に落ちた枝を踏んで、パキッと音が鳴った。そんな日常の音にさえ、今のハイドの心臓には、大きな衝撃となった。ピクンッと体が震えてしまう。
これから先の苦難を想像して、それでもなお、フィルスタと一緒にいたいと思った。
彼女は受け入れてくれるだろうか。
それとも、振られてしまうのだろうか。
待ち合わせの場所が近付くたびに、心臓の音が強くなる気がする。早く着きたいような、着きたくないような。不思議な気持ちになる。
緩やかな風を感じながら歩き続けて、待ち合わせの場所に着いた。
フィルスタはまだ来ていなかった。
でも、もうすぐ来るだろう。
ハイドは大きく深呼吸をした。
「あ」
深呼吸をした直後に、気が付いた。この七日間悩み続けていたせいで、頭から抜けていた。フィルスタに、どうやって自分の正体を明かそう?
現在を生きる人間にとって、吸血鬼は、大昔に滅んだ種族、もしくは空想上の生き物だと思われている。
自分は吸血鬼だ。真っ正直に伝えても、冗談だと思われてしまうだろう。
「どうしたらいいかな」
木により掛かり、空を見上げてポツリと呟いた。
遠くから、ブゥオの鳴き声が聞えた。肉食の鳥。風は緩く、他の音は聞えない。
どれくらい、木に寄り掛かって空を見上げていただろうか。
遠くから、喧噪のような音が聞えてきた。
肉食獣同士が、縄張り争いの喧嘩でもしているのだろうか。
フィルスタが喧嘩をしている肉食獣に遭遇したら、少し危険かも知れない。
この一年、ハイドは、フィルスタに魔術を教え込んだ。彼女の才能は、言ってしまえば並程度だ。それでも、この一年でずいぶん上達した。大型肉食獣の一匹や二匹なら、不意打ちでも食らわない限りは仕留めることができる。
とはいえ、心配だった。
もし肉食獣なら、追っ払っておこう。無駄に殺生をするつもりはない。フィルスタに危害を加えなければいい。
遠い喧噪の音を頼りに、ハイドは歩き出した。音を辿り、道のない森をゆっくり進んでゆく。
しばらく歩いて、少しずつ、喧噪の音がはっきりと聞えるようになってきた。
同時に、気付いた。
音は、ペリフェリア村から――フィルスタの村から聞えてくる。
ペリフェリア村は閉鎖的な村だ。村の住人以外を受け入れず、村の中だけで子孫を繁栄している。純血のエルフだけが住まう村。
そんな村だから、村人が外に出ることはない。おそらく、移住を禁じているのだろう。
今日は、フィルスタが待ち合わせの場所に来ていなかった。もしかして、村を出ようとしたところで、誰かに見つかってしまったのか。だとすれば、この喧噪の音は、村人とフィルスタが争っている音だろうか。
七日前に彼女に告げたことを、ハイドは思い出した。
『どんなことがあっても、フィルと会う場所に行く。そこで、ずっと待っている。もし約束の場所にフィルが来なかったら、俺から村に押し掛ける』
村から出ようとしたところを見つかったのであれば、フィルスタはどうなるのか。村の掟など、ハイドは知らない。ただ、村で生き辛くなるのは想像がつく。
もし、フィルスタがハイドと生きることを選ばなかったとしても。
せめて、彼女の「村から出て生きたい」という望みは叶えよう。彼女の生活基盤を整えて、彼女の元を去ろう。
約束通り、ハイドは村に向った。フィルスタを連れ去るために。
少し早足で歩き、村にどんどん近付いていって。
ハイドは気付いた。自分の想像が、的外れだったことに。




