第四十四話 襲撃
月が、夜空を明るく照らしていた。星の光を霞ませてしまうほど、はっきりと見える月。
村はもう、完全に寝静まっている。
フィルスタは家から出て、大きく深呼吸をした。
ハイドと再び会う約束をした日。
この七日間、フィルスタは、ずっとハイドのことを考えていた。時折、彼への告白を思い出し、頬が熱くなった。
『大好きだよ、ハイド』
あの日は、驚くほど自然に、気持ちが言葉になった。
もともとフィルスタは、いつかこの村を出るつもりだった。この一年でハイドに色々と教わって、様々な知識を身につけることができた。魔術も格段に上達した。
今なら、この村を出て行けると思えた。ハイドと一緒なら、どこででも生きていける気がした。
どこでもいいから、ただハイドと生きたかった。誰かを好きになるという気持ちがこんなにも激しいもので、こんなにも冷静さを失わせるなんて、初めて知った。
決して嫌な気持ちではない。むしろ、ずっと大切にしたいと思える気持ち。
でも、ハイドの返事によっては、手放さないといけない気持ち。
もう一度、フィルスタは深呼吸をした。少しだけ冷えた夜の空気が、胸の中に入ってきた。
「よし!」
小声で、自分に活を入れる。
ハイドの返事を聞くのは、正直なところ恐い。もし振られたら、彼にはもう会えないかも知れない。かといって、気持ちを伝えずに関係が進展しないのも嫌だった。
だから、一歩踏み出した。彼にもっと近付きたいという気持ちが、無意識のうちにフィルスタを動かした。
村から出るため、フィルスタは歩き出した。
森の方から、ガサガサと小さな音が聞えた。獣が近くに潜んでいるのだろうか。もし肉食獣なら、気を付けないと。ハイドに会う前に肉食獣の餌食になるなんて、洒落にもならない。
今のフィルスタの魔術であれば、肉食獣をも仕留めることができる。村の誰よりも強力な魔術を使える。
いつでも魔術を発動できるように準備しながら、フィルスタは、ハイドとの待ち合わせ場所に足を進めた。
もう十六年も住んだ、見慣れた村の風景。誰がどこに住んでいるのかも、当たり前のように知っている。
今通り過ぎた家には、ニーニャという、フィルスタと同じ歳の女の子が住んでいる。隣りの家のチコと恋仲になり、つい先日、二人の間には男の子が生まれた。
チコは先日、初めての狩りに出た。フィルスタがずいぶんサポートをした。彼は、子供とニーニャのために一生懸命働くと、息巻いていた。
もし、ハイドが告白を受け入れてくれたら。一緒に生きていこうと言ってくれたら。
――いつか、私も……。
自分も、ハイドの子供を産むのだろうか。ニーニャが、チコの子を産んだように。
想像すると、また頬が熱くなってきた。いつでも発動できるように用意した魔術が、散ってしまった。
ガサガサガサッ
また、森の方から音が聞えた。
フィルスタは慌てて、魔術を練り直した。
ガサガサガサッ
単体の獣が動いている音ではない。もしかして、ロボの群れが村の近くにいるのだろうか。
もしロボの群れが潜んでいるのであれば、少し危ないかも知れない。フィルスタ自身も、この村も。
フィルスタは、一旦足を止めた。
村の外れ――村の出口までは、おおよそ一〇〇メートルほどか。
いつでも戦えるよう、フィルスタは身構えた。準備した風の魔術が、両手で渦巻いている。
音が聞えなくなった。
「?」
ふいに、フィルスタは違和感を覚えた。
狩りに出る立場上、フィルスタは、肉食獣の性質について教え込まれている。
ロボは、集団で狩りをする。彼等が狙う獲物は、基本的に一頭だ。集団で一頭の獣を追い詰め、仕留める。体格こそ人間と大差ないものの、集団での戦闘力は大柄なオソやティグレに劣らない。
集団で一頭の獲物を狙う性質上、ロボは、多数の生き物がいる場所に襲撃をかけることはない。集団対集団になることを避ける傾向にある。
つまり、多くの人間がいる村をロボが襲撃することなど、ほとんど有り得ない。もっとも、可能性がゼロというわけではないが。
では、聞えてきた音は何なのか。単体の生物の足音ではない。やや広めの範囲から、明らかに何かが動く音がした。
ロボでないのなら、何なのか。
フィルスタは、いくつかの可能性を思い浮かべてみた。
子を産んだばかりのティグレが、親子連れで動いているのか。
――ううん、違う。
ティグレは、一度に二、三頭の子を産む。親を入れても、せいぜい四頭。でも、聞えてきた音は、明らかにそれより多い。
同じ理由で、オソの親子という可能性もない。
では、草食動物の群れが村の周囲にいるのだろうか。
村でよく狩るシエルボは、一度に五、六頭の子供を産む。さらに、群れで行動することも多々ある。そう考えると、村の近くで動いているのはシエルボの群れという可能性が高い。
だけど。
――たぶん違う。
シエルボは、基本的に他の生物を恐れる。森の中に豊富に餌がある以上、わざわざ村に近付く理由はない。
ガサガサという音がしなくなって、十数秒後。
フィルスタは、森に潜んでいた者の正体を知った。
「突撃!」
森から聞えてきた、高らかな指示。
直後、ガサガサという音は、地鳴りのような音に替わった。大勢の人間が、村に駆け込んできた。腹当ての鎧を纏い、剣を持った者達。彼等が誰なのか、フィルスタには分からない。ただ一つ分かるのは、彼等に、明らかな殺意があること。
予想だにしない出来事に、一瞬、フィルスタはパニックになった。それでも、自衛のために展開した魔術は解いていなかった。
ゾロゾロと森から湧き出てくる者達。かなりの数がいる。おそらく、一〇〇や二〇〇では済まないだろう。
人の群れが、約五〇メートルの距離まで迫ってきた頃。
フィルスタは咄嗟に魔術を放った。パニックになっているが故に、反射的に動けた。
フィルスタが放った魔術は、大柄な肉食獣さえ仕留められる規模のものだ。当然ながら、人間など簡単に仕留めることができる。
放たれた風の魔術は、一瞬にして、十名ほどの命を奪った。とはいえ、フィルスタが仕留めた数の十倍以上の人間が、村に攻め込んできている。死体を踏み越え、大勢が迫ってくる。
ようやく、フィルスタの頭に、彼等の正体が浮かんできた。
この大陸の三国は戦争をしている。いつ敵国が攻め込んできても不思議ではない。国境のデルパイース川が侵攻を困難にしているが、船か何かで渡って来ることもある。
――……ハイド……。
咄嗟にフィルスタが口にしたのは、好きな人の名だった。
これから、好きな人に会いに行くのに。
好きな人に、告白の返事を聞きに行くのに。
迫ってくる、殺意のある軍勢。
地鳴りのようにすら聞える、軍勢の足音。
フィルスタは続けて、魔術を展開した。魔術の展開速度は、この一年で格段に速くなった。
軍勢に向けて、風の魔術を放つ。
村の人々が、ようやく異変に気付き始めた。
※次回更新は7/20を予定しています




