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第四十三話② もしも、何か一つでも違っていたなら(後編)


 ある世界から召喚した者は、この世界に来た途端に全身に火傷を負って死んだという。おそらく、その者が住んでいた世界は、この世界より遙かに寒いのだろう。


 別の世界から召喚した者は、この世界に来た途端に、全身が凍り付いたという。おそらく、その者が住んでいた世界は、この世界より遙かに暑いのだろう。


 さらに別の世界から召喚した者は、この世界に来た途端に呼吸困難に陥り、窒息死したという。おそらく、その者が住んでいた世界の空気は、この世界とはまるで成分が違うのだろう。


 召喚に成功したものの、能力が低く、役に立たない者もいた。


 三人とも召喚に成功しないから、戦争を始めることもできない。だからまだ、三国が争うこともない。


「召喚に成功したら、即座に戦争を始めるからな」


 三人のうちの一人が、確かめるように宣言した。

 他の二人も同意した。


 村から、吸血鬼達の悲鳴が聞えなくなった。


「終わったか」


 ハイドの母が木の上にいることにも気付かず、三人の皇帝は、村に戻った。


 母は周囲に誰もいないことを確認すると、ゆっくりと木から降り、ハイドを抱えて逃げ出した。恐怖に震えながら。故郷を失った哀しみに胸を痛めながら。それでも守るべき存在を、腕の中に抱えながら。


 ハイドの母は、人間の振りをして近くの街に住み込んだ。ハイドと同じく美しい容貌の母は、子供連れとはいえ、瞬く間に男に言い寄られるようになった。


 もっとも、母は、五年以上ひとつの場所に留まることはなかった。決して老いることのない姿。いつまでも若い自分が一つの場所に留まったら、老化しないことが話題になる。老化しないことから、自分が人間ではないと気付かれるかも知れない。もし吸血鬼の生き残りだと皇帝の耳に入ったら、確実に殺される。


 母は皇帝を恐れていた。村で起こった惨劇が、母を怯えさせていた。


 ハイドに物心がつくと、母は繰り返し教え込んだ。


 吸血鬼の生き残りがいると皇帝に気付かれたら、間違いなく殺される。だから、決して吸血鬼だと知られてはいけない。吸血鬼だと知られないために、深く他人と関わってはいけない。皇帝が戦争を始めても、参入してはいけない。ひっそりと、静かに、平穏に生きて欲しい。


 ハイドを産んだとき、母はすでに、九五〇歳くらいだったという。若く美しいまま、けれど寿命は近付いていた。


 ハイドが二十歳になった頃、母が亡くなった。

 ハイドは、この世に残されたたった一人の吸血鬼になった。


 生まれてから二十年間、深く関わったのは母だけ。母の教えが、ハイドの全てだった。だから、彼女の教え通りに生きた。街に住みながらも、できるだけ他人に関わらないように暮らした。概ね十年単位で別の街へ移住した。この大陸に、街は無数にある。全ての街で暮らし、最初に暮した街に戻る頃には、以前の住人は誰もいなくなっていた。誰もが、寿命を迎えて死んでいた。


 様々な場所を巡る最中で、皇帝の正体も知った。彼等が、いつ頃、どのようにして産まれたのか。


 母が亡くなって五〇〇年ほど経った頃だったか。サウスウェストが、他の二国に侵攻を始めた。おそらく、サウスウェストの皇帝であるフレイヤが、異世界の住人の召喚に成功したのだろう。


 サウスウェストの侵攻は圧倒的だった。召喚者が率いる少数精鋭の軍がノースを攻め、他の大勢の軍勢がサウスイーストを攻める。


 三皇帝のゲームは、フレイヤの圧勝に終わるかと思われた。


 しかし、間もなく、ノースの皇帝ロキやサウスイーストの皇帝アレスも、召喚に成功した。三国の戦力は、あっという間に拮抗した。


 戦争が始まって、ハイドは森に移住した。戦争に巻き込まれることがないよう、できるだけ辺鄙な場所にある森を選択した。大きな木の上に狭い家を作り、自給自足の生活を始めた。時々、人間の血を吸うために街に出る。それ以外は、一人で静かに生きていた。


 このまま、残り三、四〇〇年ほどの人生を、静かに生きるつもりだった。


 たった独りで、静かに。


 それなのに。


「フィル……」


 フィルスタを見送った場所から一歩も動かず、ハイドは、彼女の名前を口にした。大好きな女の子。今まで、他人と深く関わらないように生きてきた。ハイドにとって、初めて親しくした女の子だった。


 彼女と出会った一年前。森の中で迷い、木の下で座り込んでいた。


 近くにエルフしかいない村があることは、ハイドも知っていた。数百年の刻を生き、様々な場所に移住してきたハイドは、この大陸のあらゆる街や村を記憶している。


 助けたのは、なんとなくだった。まったく違う生物だが、自分と同じような生態の生き物を放っておけなかった。ただそれだけだった。加えて、ついでに吸血もしてしまおう、という下心もあった。


 声をかけたとき、フィルスタは涙ぐんでいた。森で迷って、よほど恐かったのだろう。


 フィルスタの顔を見た瞬間、ハイドの心の中で、今まで感じたことのない感情が芽生えた。知識としては知っているが、初めて実感できた感情。


 庇護欲。


 ハイドを守るために必死だった母も、こんな気持ちだったのだろうか。


 亡くなった母を思い出し、ハイドは、目の前の少女を守りたくなった。せめて、無事に帰らせてあげたい。


 最初は本当に、ただ守るだけのつもりだった。無事に村に返すだけのつもりだった。


 それなのに、たった半日ほどで、フィルスタに対するハイドの気持ちは、劇的に変化していった。


 ハイドの気持ちを変えた決定打は、フィルスタの願いだった。


「また会いたい」


 彼女の願いを聞いた瞬間に、庇護欲は消え去った。

 替わりに芽生えたのは、好意だった。異性に対する好意。

 好意がある女の子からの願いを、断れるはずがなかった。


 会う日を決めて、また会って。

 何度も会って。


 会うのは夜。

 一緒に星空の下で過ごした。


 雨の日は、土魔術でテントを作って寄り添った。

 話しているときの、彼女のはにかんだ笑顔。

 触れ合った部分から感じる温もり。

 一緒に聞いた雨音。


 今まで経験したことのない、心臓の高鳴り。

 じっと見つめてくるフィルスタの、少し潤んだ瞳。


『大好きだよ、ハイド』


 フィルスタの声が、ハイドの耳に蘇った。何度も何度も繰り返された。


 彼女の言葉を耳に残しながら、ハイドはようやく歩き始めた。


 フィルスタには、七日の猶予を貰った。返事の猶予。


 七日という期間に、特に意味はなかった。ただ、すぐに返答できなかった。返答するのが恐かった。


 フィルスタと一緒にいれば、いつか必ず、自分が人間ではないと知られてしまう。かといって、彼女の願いを断るのも嫌だった。断って、もう会えなくなるのが嫌だった。


 もしも、と考えてしまう。


 もしも、自分が人間として生まれていたなら。

 もしも、吸血鬼の村が襲撃されなければ。

 もしも、あの日、フィルスタを助けなければ。

 もしも、最初に「会いたい」と言われたとき、断っていたら。


 どの「もしも」が現実になったとしても、フィルスタとの縁はなかった。彼女と出会うこともなく、もしくは、出会っても直ぐに縁が切れていた。こんなに悩むことはなかった。


 反面、フィルスタと深く関わらずに生きるのも嫌だった。この一年は、確かに、今までの人生で一番幸せだったのだ。


 どうしたらいいのだろうか。どんな選択をすればいいのか。


 歩きながら、ハイドは空を見上げた。

 明け方の空が、やたらと暗く見えた。


※次回更新は7/18を予定しています

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