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第四十話④ 森の少女(後編②)


「フィル、先に登って。もし落ちても大丈夫。俺が受け止めるから」


 ロープを手に取り、ハイドが促してきた。


「落ちても受け止める、って。ハイドは戦士型なの?」


 落下してくる人間を受け止めることなど、魔術師型の人間には不可能だ。


「あれ? でも、さっき言ってたよね? この家を建てるときに、土の魔術で固定した、って」


 戦士型の人間は、魔術を使用できない。これは努力云々の話ではなく、生まれ持った資質の問題だ。少なくともフィルスタは、そう認識している。


「言っただろ? 俺は特殊なんだよ。だから大丈夫。先に登って」

「うん」


 フィルスタはロープを手に取り、登っていった。村での訓練で綱昇りをしたことはあるが、こんな高さを登るのは初めてだった。訓練で登ったのは、せいぜい五、六メートルほど。けれど、ハイドの家は、ティグレの侵入を警戒して十メートルくらいの位置に建てられている。


 森で迷ったフィルスタは、それなりに体力を消耗していた。ロープを半分ほど登ったところで、腕が痛くなってきた。七、八メートルくらいのところで息が切れてきた。それでもなんとか、家の入口まで登り切ることができた。


 ロープから這うように家の中に入り、フィルスタはその場に横になった。初めてお邪魔する他人(ひと)様の家なのに、行儀が悪い。だが、立つのも辛いほど疲れていた。


 フィルスタがロープを登ってから間もなく、ハイドが家の中に入ってきた。驚くほど登ってくるのが早い。しかも、息一つ切らしていない。明らかに、魔術師型の体力ではない。


「大丈夫?」


 フィルスタの横で膝をつき、ハイドが訊いてきた。


「だい、じょう、ぶ」


 呼吸を落ち着かせながら答える。


 ハイドは立ち上がると、室内の奥に足を運んだ。


 横になりながら、フィルスタは彼を目で追った。家に入ってすぐ倒れ込んだので、室内の様子を初めてしっかりと見た。


 木の上にあるため、当然、家は狭い。横幅が三メートル、奥行きが四メートルといったところか。片隅にベッドがあり、壁のいたるところに換気用の四角い穴がある。穴は、一つ十センチメートル四方くらいだろう。それが、入口がある壁以外に合計十カ所ほど。ベッドの近くに木製の棚があり、その上にコップがいくつか並べられていた。


 ハイドはコップを一つ手に取り、水の魔術を展開した。コップの中に水が注がれた。そのコップを、フィルスタの方に差し出してくる。


「飲める?」

「うん。ありがとう」


 ようやく呼吸が落ち着いてきた。フィルスタは上体を起こし、渡されたコップから水を飲んだ。喉から腹の中に、水が流れてゆく感触。ようやく、一息つけた気がした。


 フィルスタが落ち着いたのを確認すると、ハイドは、棚の付近に足を運んだ。


 棚には、一抱えほどもある箱が四つ入っている。

 ハイドは、棚に入っている箱を一つ取り出した。


「フィル、お腹空いてない?」

「うん。少し」


 正直なところ、少しどころではなく空腹だった。狩りに出る前に食事をしてから、何も食べていない。


「じゃあ、こっちに来て」

「?」


 ハイドに手招きされて、フィルスタは彼に近付いた。


 ハイドは、取り出した箱を開けた。ひんやりとした冷たい空気が、箱の中から広がった。 


 箱の内側は、完全に凍らされていた。自然にできた氷ではない。そもそも、この地域は、自然に氷ができるほど寒くなることはない。魔術で凍らせたのだ。


 凍った箱の中には、肉や野菜がびっしりと詰められていた。肉は干したり燻製にしたものではなく、生肉だった。


「凄い」


 フィルスタの口から、感嘆の声が漏れた。


 フィルスタの村で生肉を焼いて口にできるのは、狩りを行った日だけだ。残った肉は塩漬けにして干し、日持ちするようにして食べている。いわば、生肉は、狩りをした日にだけ食べられるごちそうだった。


「こうやって冷凍しておけば、一週間くらいは日持ちするからね。俺は一人だから、獲物を一頭狩ったら、腐る前に必死に食べてるんだ。シエルボ一頭でも、相当な量の肉だからね」


 ハイドは笑顔を見せた。


「だから、フィルスタも一緒に食べてくれると、実はちょっと助かる」


 空腹のフィルスタは、肉や野菜に釘付けになっていた。早く食べたいが、図々しく催促するのも恥ずかしい。


 食べ物を目の前にしたせいか、腹がぐぅと鳴った。フィルスタの気持ちを代弁するように。


 フィルスタは慌てて腹を押さえた。もっとも、腹を押さえたからといって、音が鳴った事実は変わらない。


 また、フィルスタの顔が赤くなった。恥ずかしい。

 クスリと、ハイドは優しく笑った。


「じゃあ、さっそく焼いて食べようか。俺もお腹が空いたし」


 顔を赤くしたまま、フィルスタはコクリと頷いた。


 肉や野菜を串で刺し、二人で焼いて食べた。食欲が満たされると、ハイドと取り留めもない会話をした。彼は驚くほど博識で、食べ物の保存方法や獣の習性など、様々なことを知っていた。肉食獣の肉は基本的に旨くないということも、笑って教えてくれた。草食動物に比べて、独特の臭みがあるのだという。


 一通り話しているうちに、外はすっかり暗くなった。壁に空いた穴から、月明かりが差し込んできている。ハイドがランプに火を灯したので、室内は淡い光に包まれている。


 フィルスタは、今日、初めて村の外に出た。初めて狩りをし、森で道に迷った。


 初めて、村人以外の人物に出会った。


 ハイドと話していると、時間の経過が驚くほど早かった。それくらい、楽しい時間だった。


「そろそろ寝ようか」


 話を切り上げ、ハイドがベッドに視線を送った。


「ベッドはフィルが使って。俺は床で寝るから」

「駄目だよ。私はお邪魔してる身なんだから、私が床で寝るよ」

「そう言わないでよ。女の子を床で寝かせるなんて、格好悪いだろ?」

「……」


 そう言われては断れない。フィルスタは大人しくベッドに入った。


 ハイドはランプを消し、床に寝っ転がった。


 暗くなった室内。


 ベッドで横になっても、フィルスタは、まるで眠れる気がしなかった。気分が高揚しているのが分かる。自分のすぐ近くには、あまりに綺麗な顔をした、信じられないほど有能な異性。


 ハイドと、もう少しだけでも話をしたい。そんな思いから、フィルスタは、静かに口を開いた。


「ねえ、ハイド。もう眠い?」

「いや。そうでもないよ。今横になったばっかりだし」

「じゃあ、少しだけ訊いてもいい?」

「何?」


 自分から話しかけたのに、フィルスタは言葉に詰まった。ハイド自身のことを訊きたかった。ハイドは何者なのか。人種は? 出身地は? 年齢は? どうして魔術が使えるのに、戦士型のような身体能力もあるのか?


 訊きたいことがたくさん思い浮かんだが、訊けなかった。


 先ほど、ハイドが少しだけ自分のことを語ったとき。彼は、自虐的な様子を見せていた。明らかに、自分のことを話したくないようだった。


 ハイドが訊かれたくないことを訊いて、彼に嫌われたくなかった。また彼に会いたかった。


 だから、別のことを訊いた。


「また、ここに遊びに来てもいい? 私、ハイドともっと話したい」

「……」


 少しだけ、沈黙があった。暗いので、ハイドの表情は見えない。もしかして彼は、他人と係わりたくないのだろうか。他人と係わりたくないから、独りで生きているのだろうか。


 だとしたら、フィルスタの問いは、ハイドを不快にさせてしまったのかも知れない。


 不安に襲われて、フィルスタは胸を押さえた。

 直後、優しい声が返ってきた。


「いいよ。ただ、またフィルが森で迷うといけないから、村の近くまで迎えに行くよ」

「本当!?」


 つい、フィルスタは、大きな声で訊き返してしまった。


「うん。ただ、村の方は大丈夫なの? ペリフェリア村は閉鎖的な村だから、フィルが他所(よそ)の人間と係わるのを嫌がるんじゃない?」

「大丈夫! 夜中にこっそり抜け出すから!」

「寝不足にならない?」

「それも大丈夫! 毎日じゃないもん。七日に一回とか。それくらいでいいの」

「わかったよ。じゃあ、今日はもう寝ようか」

「うん。おやすみなさい」


 おやすみと言ったものの、フィルスタは、眠れる気がしなかった。心にある高揚感が、ますます大きくなった。


 目を閉じながらも、ベッドの上でソワソワと動いてしまう。本当は、夜通しハイドと話していたい。でも、それでは、彼に迷惑をかけてしまう。


 次に会う約束ができてよかった。また、今日みたいな時間を過ごせるんだ。


 村の外で、楽しみを見つけて。

 会いたい人ができて。

 高ぶる気持ちが、なかなか収まらなくて。


 結局、フィルスタは、明け方まで眠れなかった。


※次回更新は7/12を予定しています。

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