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第四十話② 森の少女(中編)


 フィルスタは一瞬で青ざめた。


 村の外に出るのは、今日が初めてだ。先導する者達についていかなければ、村に帰ることはできない。村への道のりなど、森の中ではまったく分からない。


 多くの木々に囲まれた森。もう、周囲に人の気配はない。


 どうしよう、と自問する。すぐに、心の中で回答が出た。どうしようもない。自分一人で村に帰ることなど、ほとんど不可能だ。


 では、これから自分はどう行動すべきか。


 一緒に狩りに出た村人が、フィルスタとはぐれたことに気付くかもしれない。気付いたら、探しに来てくれる。それなら、ここから動かずに助けを待つべきだ。


 でも、と思う。


 ここは、シエルボを狩った場所からそんなに離れていない。


 狩りの場で、村の男が言っていた。


『血の臭いを嗅ぎつけた肉食獣が来る可能性がある。早急にこの場を離れるんだ』


 森の中には、凶暴で戦闘力の高い肉食獣がいる。


 全身が焦げ茶色の毛で覆われていて、立ち上がったときの体長が三メートルほどにもなるオソ。鋭い爪と強靱な牙は、シエルボを一撃で仕留めるほどの力がある。


 黄色い毛に黒いしま模様が入ったティグレ。オソより小柄だが、信じられないほどの瞬発力で獲物に接近し、鋭い牙で一瞬にして仕留めてしまう。爪も、オソと同様に鋭い。


 オソやティグレは単独で狩りをするが、集団で狩りをするロボもいる。ロボは、体の大きさこそ人間と大差ないが、集団で獲物を追い詰め、相手の体力と気力を少しずつ削り、最後は全員で食い殺す。


 たまに、村の中に、こういった肉食獣が迷い込でくる。オソやティグレを仕留めるには、最低でも三、四人の戦士や魔術師が必要だ。ロボが集団で攻めてきたら、最低でも同人数の戦士や魔術師がいないと太刀打ちできない。


 もし、そんな肉食獣に遭遇したら。


 サーッと、フィルスタの体から血の気が引いた。先ほど仕留めたシエルボと、同じ運命を辿るのかも知れない。血を撒き散らし、命を失い、食われる。


 それが自然の摂理と言われれば、納得するしかない。納得するしかないが、受け入れることなんてできない。


 考え、フィルスタは判断した。一旦は、ここを離れるべきだ。


 正しい方角も分からないまま、フィルスタは歩き出した。歩きながら水の魔術を使い、手を洗った。狩りのときに、シエルボを凍らせた。あのときに、シエルボの臭いが手に着いたかも知れない。


 肉食獣の嗅覚は鋭いという。それこそ、人間の何十倍というレベルだそうだ。だから、シエルボを仕留めた場所から、かなり離れる必要がある。


 自分の現在地すら分からないまま、フィルスタは歩き続けた。太陽の位置が傾くまで。


 歩き続け、シエルボを仕留めた場所から十分離れたと実感できたところで、一旦足を止めた。


 疲れた。フィルスタは溜め息をつき、木に寄りかかった。そのまま、その場に座り込む。


 上を見上げた。木の枝と葉が目に映った。隙間からは、太陽の光。


 太陽の位置から、もうすぐ夕方になるのだと分かる。

 夕方になり、夜になり、辺りが真っ暗になるんだ。


 夜が来ることを想像して、フィルスタは急に恐くなった。嫌な想像が頭に浮かんだ。


 もし、暗くなったところで肉食獣に襲われたら。


 ブルッと体が震えた。もしかしたら、自分は選択を誤ったのかも知れない。皆とはぐれた場所で待っていたら、今頃は助けが来て、村に帰れたのではないか。


 でも、元の場所からこんなに離れてしまっては、見つけてもらえないだろう。


 今からでも、元の場所に戻ろうか。


 考えて、すぐに気付いた。元の場所に戻る道筋など、まったく分からない。周囲は木に囲まれていて、どこもかしこも同じように見える。


 無意識のうちに、呼吸が浅く速くなった。鼻だけではなく口でも呼吸をしていた。そのせいで喉が渇いた。水の魔術を使う。水を口に含み、喉を潤した。乾きは治まったが、恐怖は消えなかった。


「どうしよう……」


 口に出して自問した。どうしようもないことは、フィルスタ自身にも分かっていた。


 歩き続けたせいで、少し足が重い。下手に動くと、不必要に体力を消耗してしまう。


 考えているうちに、辺りが暗くなってきた。夕方の時間に差し掛かっているのだ。奇跡でも起きない限り、村人に発見してもらうのは不可能だろう。


 今日は、ここで夜を明かすしかない。


 でも、夜になって、肉食獣に襲われたら? 自分一人で戦えるのか? 生き残れるのか?


 考えると、さらに恐くなった。体の震えが大きくなった。震える自分の体を見て、さらに恐怖が増した。


 死にたくない、と強く思った。生きて、やりたいことがたくさんあるんだ。色んなことを学びたい。色んなことを知りたい。いつか村を出て、街に出たい。エルフ以外の人間も見てみたい。


 いつか、人を好きになりたい。恋というものをしてみたい。


 ――いやだ。


 死にたくない。


 震える足を折り曲げ、フィルスタは膝を抱えた。抱えた膝に、額を乗せた。


 涙が出てきた。


 こんなところで迷って、どうやって生き延びればいいのか。肉食獣と戦って、殺して、食べて生き残れとでも言うのか。そんなことは不可能だ。狩りに慣れた村の男でさえ、オソやティグレを仕留めるには、数人がかりでないと無理なのだから。


「……いやだ……」


 恐い。


 辺りが、少しずつ暗くなってゆく。もうすぐ夜がくる。


「……いやだ……」


 恐怖が口から漏れる。


「君、どうしたの?」


 唐突に、自分以外の声が聞えて。

 フィルスタは、驚いて顔を上げた。


 いつの間にか、目の前に美女が立っていた。村の女性の誰よりも整った、綺麗な顔立ち。長い髪の毛。髪の毛から少しだけ出た耳は、エルフの耳とは違っていた。長くもないし、先が尖ってもいない。


 何より驚いたのは、その美女の声だ。こんなに綺麗な女性なのに、低くハスキーで、男性のような声だった。エルフ以外の人種の女性は、こんなに低い声を出すのだろうか。村の人しか知らないフィルスタは、驚きで何も言えなくなった。ただ目を見開いて、彼女を見ることしかできない。


「えっと……大丈夫?」


 美女が、前屈みになって顔を近付けてきた。女同士なのに、胸が高鳴ってしまった。


「あ……あの……」


 フィルスタはパクパクと口を動かし、自分の状況を伝えようとした。けれど、言葉が出ない。初めて見た、エルフ以外の人種。しかも、驚くほどの美女。森の中で迷ってしまった不安。肉食獣に襲われるかもしれないという恐怖。様々な感情が、フィルスタを混乱させていた。何をどこからどう話していいのか、全然分からない。


「あの……えっと……」


 フィルスタが混乱していることを察したのか、美女は微笑んでくれた。優しく、安心感を抱かせる笑顔だった。


「落ち着いて。大丈夫だから。ゆっくり話して」

「ひゃい」


 返事を噛んでしまった。


 フィルスタの様子を見て、美女の口からクスリと笑い声が漏れた。


 フィルスタの頬が熱くなった。顔が紅潮しているのが分かる。恥ずかしい。


 恥ずかしさが、フィルスタの緊張と混乱を緩めた。口が回るようになってきた。


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