第四十話① 森の少女(前編)
深い森。
木々の隙間からは昼間の陽光が差し込み、地面に影を映し出している。
そこかしこから、小鳥の囀り。
地面には、木から落ちた葉。
フィルスタは、仲間十一人と森の中を歩いていた。戦士型の男が四人。フィルスタを含めた女が七人。女は全員、魔術師型。
フィルスタ達は、近くにあるペリフェリア村の住人だった。エルフだけが住んでいる、人口三〇〇人ほどの村。排他的な村で、よその人を受け付けない。村から出て行く人もいない。村で産まれ、村の住人と子をもうけ、年老いて死んでゆく。だから、エルフ以外の人種もいない。
主な生活様式は、狩猟と採集。ごくたまに、村長などの身分の高い者が、街に繰り出して物を購入してくる。もっとも、外の世界は、「お金」という物と物品を交換するのが一般的らしい。だから、村で獲った肉や野菜を売り、得たお金で物品を購入してくるという。
今、フィルスタ達は、集団で狩りに出ていた。
フィルスタにとっては、十五歳にして初めての狩り。心臓が、うるさいほど音を立てている。とはいえそれは、緊張からではなかった。
初めて見た村の外。木々が立ち並び、大きく広がる世界。遠すぎて見えない、地平線の向こう。
つい、フィルスタは、キョロキョロと目を動かしてしまった。
「フィル」
村の男に呼ばれて、フィルスタは視線を止めた。視線の先には、狩りのベテランである中年のエルフ。
「何?」
「あんまりソワソワするな。真面目に獲物を探せ」
「はーい」
溜め息混じりに、フィルスタは返事をした。
耳を澄ませる。獲物を探すために周囲を見回す。
獲物となるのは、シエルボという大型の草食動物。雄には角があり、繁殖期には攻撃的になる。この角に刺されて命を落とす者もいる。
また、森には、凶暴な肉食獣もいる。シエルボなどの草食動物を餌とする、大型の肉食獣。狩りの際には、肉食獣に襲われる危険性もある。だから、一定以上の能力がある者しか狩りには出ない。
フィルスタは、若干十五歳にして、村の中でも上位に入る魔術師だった。回復魔術も含め、全ての属性の魔術を使用できる。だからこそ、今回の狩りに参加することになった。
十一人が固まって、獲物を探す。森の中を探索する。ベテランの狩人がいるから、森の中で迷う心配はない。
ペリフェリア村は森の奥深くにあり、もっとも近い街からでもかなりの距離がある。村長などが街に行くときは、複数人の護衛を付ける。森の中で迷ったら、近隣の街に辿り着くことはおろか、村に帰ることも困難だという。事実として、森の中で行方不明になった者もいる。
フィルスタには目標があった。魔術の腕を磨いて狩りに出るのが、目標への第一歩。次は森の地理を把握し、街まで行く道筋を覚える。
いつか村を飛び出して、広い世界で生きたい。
両親も祖父母も、村で生きて村で死ぬのが当たり前だと思っている。
でも、フィルスタは、もっと広い世界で生きたかった。お金という物で買い物をしてみたい。エルフ以外の人と知り合いたい。人族やドワーフという人種を見てみたい。人族とエルフ、あるいは人族とドワーフのハーフも見てみたい。
そして、いつか。
恋というものをしてみたい。
閉鎖的な村で成り行きのように誰かと結ばれ、自然の摂理のように子を産んで育てるのではなく。
自分の命よりも大切だと思えるほど、誰かを好きになってみたい。
フィルスタは、初恋というものに憧れがあった。村の誰もが、村の中で初恋の相手を見つける。たった三〇〇人程度しかいない村で、それでもなぜか、誰かを好きになってゆく人達。互いに互いを好きだと言って、どちらかの家に紛れ込み、情交をして子を孕む。
フィルスタの目には、村人達の恋が、近場で妥協して得た恋に見えた。フィルスタ自身が恋をしたことがないせいか、他の人の恋が、妥協としか思えなかった。
誰かを好きになるとは、どんな気持ちなのか。どんな気分になるのだろうか。好きな人の心が欲しくてたまらなくなるのか。好きな人の体が欲しくてたまらなくなるのか。もしくは、好きな人との子供が欲しくてたまらなくなるのか。あるいは、その全てか。
考え、想像するだけで、フィルスタの期待は高まった。期待に応えてくれる男は、村の中には誰一人としていない。
だから、いつか村を出たい。
憧れを夢想していると、視界の端で何かが動いた。
フィルスタはすぐに、近くの男に声を掛けた。
「あの」
「何だ?」
「あっち、何か動いた。動物みたいなの」
フィルスタが指差した方向に、男は目を向けた。
そのまま、しばし沈黙。
また、視界の中で何かが動いた。今度はしっかりと見えた。シエルボが二頭。飛び跳ねるような特徴的な動きで走り、一本の木の近くで止まり、根元に生えた草を食べている。
「魔術師、用意しろ」
男の一人が指示を出してきた。
「シエルボの後方と左右に魔術を討て。こちらに逃げてきたところを、俺達が仕留める」
戦士型の、村の男達。二人が剣を、二人が槍を持っている。街で購入した武器だという。製鉄という、村にはない技術で作り出した武器。
男の一人が、小さな声で指示を出した。
「打て」
フィルスタを含めた七人の女が、それぞれ魔術を放った。火の魔術。二人がシエルボの右側に。二人がシエルボの左側に。フィルスタともう二人が、遠投のようにシエルボの後方に魔術を放った。
赤い放物線を描いて、魔術が飛んでゆく。地面に当たり、ボンッと爆発音を鳴らして火の粉を散らした。
次の瞬間、二頭のシエルボは、怯えたように駆け出した。火の魔術が飛来しなかった方向――つまり、こちらへ。
恐怖と興奮に囚われたシエルボが、息を吐きながら向ってくる。
槍を持った男が二人、前方に出た。シエルボに向って槍を突き出した。
槍は、二頭のシエルボの胸に刺さった。だが、それでもシエルボは足を止めない。もっとも、走る勢いは明確に落ちたが。
シエルボを刺した男二人が、槍を手放して左右に飛んだ。
剣を持った二人が前方に駆け出て、シエルボと交差した。
血が赤く飛散った。二人の剣が、シエルボの首に突き刺さった。人間に比べると長い首。
シエルボを刺した二人は、素早く剣を抜いた。
さらにおびただしい血が飛んだ。
二頭のシエルボはフラフラとしながら、それでも逃げようとする。足取りはおぼつかなく、フラフラとしている。出血のせいだ。もはや、人間よりも動く速度が遅い。
やがてシエルボは、二頭とも崩れ落ち、その場に倒れた。
戦士型の男がシエルボに近付き、様子を伺った。狩りに出る前に注意されていたが、瀕死の動物ほど恐いものはないという。最後の最後に攻撃をしてくる場合があるそうだ。実際に、仕留めたと思った動物に近付き、殺された村人もいるらしい。
シエルボに近付いた男が、手にした剣でシエルボを数回刺した。
シエルボは、もう動かなかった。
「大丈夫だ。血抜きをして内臓を抜いて、村に持ち帰るぞ」
「わかった」
男達が言い合って、剣と槍でシエルボの体を裂いた。首を裂いて血を絞り出し、腹を裂いて内臓を抜き取る。
初めて見る狩りの光景は、フィルスタにとって衝撃的だった。いつも食べている肉は、このようにして獲っているのだ。
「フィルスタ」
「あ、うん」
呼ばれて、フィルスタは慌てて返事をした。
「シエルボの体を冷やせ。凍り付くくらいにしていい」
「うん、わかった」
血と内臓を抜かれたシエルボに近付き、水の魔術を放った。魔力で、可能な限り温度を下げた魔術。息絶えたばかりのシエルボが、見る見るうちに凍り付いてゆく。
「いいぞ。さすがた」
男が頷きながら、フィルスタを誉めた。
他の六人の女は、土の魔術を使って地面を掘り返し、シエルボの内臓を埋めていた。
周囲に、獣の臭いと血の臭いが充満した。不快感と、どことなく危機感を覚える臭い。
シエルボの体が、フィルスタの魔術によってほとんど凍り付いた。
「よし」
男の一人が、軽くシエルボに触れて頷いた。
「村に帰るぞ。血の臭いを嗅ぎつけた肉食獣が来る可能性がある。早急にこの場を離れるんだ」
「ええ」
女達が賛同した。
男達は、二頭のシエルボの足を、それぞれ二本ずつ持ち上げた。そのまま村に向う。
今さらになって、フィルスタは、胸が高鳴っていることを実感した。
初めて狩りに参加した。自分達の口に入れるために、獲物を殺した。生きるためには食べなければならない。食べるためには殺さなければならない。そんな当たり前のことを、初めて学んだ気がした。
村の外に出たことで、初めて学べた。
動物を殺すことが楽しかったのでは、もちろんない。
ただ、疑問に思った。
自分達は生きている。他の生き物の犠牲があって、初めて生きていられる。
それなのに、ただ淡々と村の中で生きていていいのか。
何かの犠牲の上に成り立っている命なら、もっと学び、もっと広い世界を知り、生きていることに価値を見い出すべきじゃないのか。
初めての狩りが、フィルスタの「村から出たい」という気持ちを、さらに大きくした。俄然、周囲のものに興味が湧いてきた。
ふいに、木の根元に咲いている花が目に映った。村では見たことのない花だった。
フィルスタの足は、自然と花に向っていた。初めて見る物への興味と学習意欲が、フィルスタの足を動かした。
しゃがみ込み、その花をじっくりと見た。花びらは白いが、根元は黄色い。花芯も黄色だ。
チョンチョンと、指先で花に触れてみる。
この花は食べられるのか。それとも、毒があるのか。何の花なのか。
怒られるかも知れないが、村に持ち帰ってみよう。フィルスタは土の魔術を使い、地面をくり抜くように抉った。花を、根ごと採取するために。根と切り離してしまっては、花が枯れてしまう。もっとも、受粉させることで種はできるかも知れないが。
地面ごとくり抜いた花を両手で持ち、フィルスタは立ち上がった。
立ち上がって、周囲を見て。
「……あ」
ようやく、一緒に来た村人達がいないことに気付いた。
もちろん彼等は、意図的にフィルスタを置き去りにしたのではないだろう。フィルスタが花に近付いたことに、気付かなかったのだ。気付かず、そのまま村に向って歩いた。結果、フィルスタは置き去りになった。




